ワニなつノート

校長権限(2)



この子は16年間、大切に、大切に、育てられてきた。
一人の子どもとして、両親に愛され、家族に愛され、
ありのままの姿を十分に受けとめられてきた。
同じ時代に生まれた子どもたちと一緒に、
6年間小学校に通い、3年間中学校に通った。

この社会は、小学校の6年間、中学校の3年間の生活を通して、
子どもたちに多くのことを伝えている。

多くの仲間と一緒に学び、遊び、生活しながら、
大人になっていく子どもたち。

子どもと関わる大人たちは、それぞれの場所で、
その時々の子どもの姿を、十分に受けとめ、信じることで、
この社会への信頼を伝え、育てている。

いままで、この子は様々な壁にぶつかりながらも、
ここまで、ありのままの自分を受けとめられて育ってきた。


この子は、「障害」をもって生まれてきた。

同じ障害をもつ子どもは、この世に生まれ来る前に命を落とすこともある。
生まれることを、受けとめてもらえない子どももいる。
その子どもたちの命を受けとめるために、
遺伝子カウンセラーという専門家さえいる。

ただ生まれてくることを、
受けとめてもらうことにさえ専門家を必要とする、
この子たちには生き難い社会がここにある。

生まれる前に、その赤ちゃんの命を受けとめるかどうかという条件を出す、
生き難い社会がここにある。

受けとめてもらえなければ、消えていくしかない命。
命の初めから苛酷な試練にさらされる社会に、この子は生まれてきた。
生まれた後でさえ、心臓や腎臓の手術を親に拒まれる場合さえある。
治療をして生き延びることを、受けとめてもらえず、消えていく命もある。

そういう障害をもって、この子は生まれてきた。
命の初めから、存在を拒まれる障壁ばかりの社会に、
この子は生まれてきた。

そうした、他の子どもよりたくさんの障壁やリスクを抱えながらも、
この社会の中で、あたりまえに、一人のふつうの子どもとして、
両親と家族に、友だちに、仲間に、
小学校、中学校に、普通に受けとめられて、ここまできた。
立派に成長した16歳の子どもがここにいる。

両親と家族だけでなく、この子を取り巻く社会の人の中で、
この子はありのままの姿をうけとめられて、
障害のあるふつうの子どもとして、ここまで成長してきた。

その一人の16歳の子どもを、
ただ点数が取れないという障害を理由に、一日もつきあわず、
ひとりの子どもに教育を行う知識も、技能も、意欲も持たず、
16も空いている席の一つにさえ座らせない「判断」を、
人間らしさを持たない人間の「判断」を、
「校長権限」という。
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