「特別支援学校高等部は、高校か?」
イエスであり、ノーである現実があります。
イエスと感じ、ノーと感じる子どもがいる事実があります。
「特別支援学校高等部は、ランドセルか?」
その思いが真実である現実と、
それをランドセルとは感じられない、多くの子どもたちがいる現実があります。
6歳の子どもが、入学前にランドセルを手にするときの喜びの気持ち。
それは、「新しいカバン」を買ってもらった、ということではありません。
入学前にランドセルを背負って家で遊んでいる子どもを、誰もがうれしそうに見守る笑顔は、ランドセルが「ただのプレゼント」ではないことを表しています。
「学校に行く前にこわれちゃうよ。学校に行くまでちゃんとしまっておきなさい」と、叱られときでも、子どもはそこに「未来」や「希望」の気配を感じ取ります。何の迷いもなく。
お母さんもお父さんも、お姉ちゃんもお兄ちゃんも、おばあちゃんもおじいちゃんも、近所のおばちゃんも幼稚園の先生も、通りすがりの人も、テレビのなかも、サザエさんやドラえもんの世界でも、どこにも「ランドセル」に込められた「希望」や「未来の喜び」を疑わせるものは、何一つありません。ランドセルは、いまの社会を生きる「人類の希望」の象徴のようでさえあります。カンボジアやアフガニスタンの貧しい村で、内戦で壊れた学校が復活したときに生まれる、村中の人々の喜びと希望と笑顔と同じものが、日本のランドセルには隠れています。そのことを、子どもは感じています。何の迷いもなく。
だから、地域の小学校、中学校で、みんなと一緒に学校生活を過ごした子どもたちにとって、いまの日本では、「高校はランドセル」だと思うのです。何の迷いもなく。
でも、自分の娘に、何の迷いもなく、高等部はランドセルだとは言えません。
いま中3のやっちゃんやナオちゃんに、高等部はランドセルだとは言えません。
そうでない子どもたちの思いを、ずっと見てきたから。
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