2020年1月24日 沖縄タイムス
【共に学ぶ高校 障がいがあっても】(3)
知的障がいのある山内寛さん(19)=大阪府四條畷(しじょうなわて)市=は2016年4月、志願倍率1・02倍の府立城東工科高校に入学した。母親の華奈子さん(50)によると、5歳の時にてんかんを発症した影響などで、記憶力や脳機能の働きが弱い。地域の小学校では授業中に筆箱を投げたこともあった。言葉は話せるが、すぐ忘れる。「自己中心で会話にならなかった」と華奈子さんは振り返る。
小さな声で「やった」
小3から中2まで特別支援学級で過ごした。同級生と関わりがほとんどないことに違和感を覚えた華奈子さんは、障がい児も公立の普通高校に進学できると知り、中3から普通学級に戻れるよう学校と交渉した。寛さんは高校受験に向け、勉強に力を入れた。暗記の必要がない数学の点数が伸び、提出物をきちんと出すことで内申点も上がった。合格発表の時、小さな声で「やった」とはにかんだ息子の姿を、華奈子さんは「生涯忘れない」という。
だが、入学後に待っていたのは試練だった。テストの度に赤点を取り、補習や追試を受けても40点の及第点は取れない。華奈子さんも付きっきりでテスト勉強に臨んだ。毎日考えていたのは点数の取り方ばかり。「親子ともに学校の基準に合わせようと必死にやってきたが、40点のラインをクリアできなかった」
華奈子さんはどれだけ頑張っても点数を取るには限界があると、学校側に配慮を訴えた。だが、返答は厳しかった。「点数が大事。成績が悪いのになぜ進級させられるのか」「うちのブランドが傷つくから、点数が取れない子は社会に出せない」。転校までほのめかされた。
華奈子さんは支援団体と何度も高校や府教育庁に足を運んだ。「息子の障がいの状況に合わせて評価してほしい。点数以外のことで努力させてください」。懸命の交渉の末、進級がかない、19年3月に卒業した。
一番の宝物 級友
寛さんは高校に入り、それまで一人で乗れなかった電車を利用し、通学できるようになった。点数の代わりにノートや板書をしっかり取るよう頑張った。無遅刻、無欠席。仲のいい友達もでき、休みの日は一緒にカラオケに行ったり、自転車で自宅から20キロほど離れた大阪城まで遊びに行ったりした。
「今も毎日遊びに来るような級友ができたのが一番の宝物。友達がやることを見て学んでいる。人間性が磨かれた」と華奈子さんはしみじみ語る。
スマートフォンでゲームをするのが好きな寛さんに「これからどうしたい?」と聞いてみた。寛さんはスマホ画面から顔を上げて「4月から大阪市内の調理師学校に進学する」とにこやかに答えた。
(社会部・徐潮)
◇
「点数によって人格まで否定されたみたい」 受験10年、世論を動かした母娘の挑戦
2020年1月25日 沖縄タイムス
【共に学ぶ高校 障がいがあっても】(4)
高校の定員に空きがあっても不合格者を出す「定員内不合格」。
そんな慣例を大阪府がやめたのは2000年代前半だ。きっかけとなったのは、枚方市に住む新(あらた)万智子さん(34)と母親のみすずさん(67)。
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