講演会の三日くらい前になって、しきりに思い出されたのが、次の詩でした。
その後に続くメモは、講演会前のメモです。
◇
≪「私」をもっとよく見て!≫
イギリス・ヨークシャー・アシュルティ病院の老人病棟で一人の老婦人が亡くなりました。
彼女の持ち物を調べていた看護師が、遺品の中から彼女が書いたと思われる詩を見つけました。彼女は重い認知症でした。この詩を見つけたナースはどんなに驚いたことでしょうか。
☆ ☆ ☆
何が見えるの、看護婦さん、あなたには何が見えるのあなたが私を見るとき、こう思っているのでしょう。気むずかしいおばあさん、利口じゃないし、日常生活もおぼつかなく、目もうつろにさまよわせて、食べ物をぼろぼろこぼし、返事もしない。
あなたが大声で「お願いだからやってみて」と言っても、あなたのしていることに気付かないようで、いつもいつも靴下や靴をなくしてばかりいる。おもしろいのかおもしろくないのか、あなたの言いなりになっている。長い一日を埋めるために、お風呂を使ったり食事をしたり。これがあなたが考えていること、あなたが見ていることではありませんか。
でも目を開けてごらんなさい、看護婦さん、あなたは私を見えていないのですよ。
私が誰なのか教えてあげましょう
ここにじっと座っている私が、あなたの命ずるままに起き上がるこの私が、あなたの意志で食べているこの私が誰なのか。
私は十歳の子供でした。
父がいて、母がいて、兄弟、姉妹がいて、みなお互いに愛し合っていました。
十六歳の少女は足に羽をつけて、もうすぐ恋人に会えることを夢見ていました。
二十歳でもう花嫁。私の心は躍っていました。守ると約束した誓いを胸に刻んで、
二十五歳で私は子供を産みました。その子は私に安全で幸福な家庭を求めたの。
三十歳、子供はみるみる大きくなる。永遠に続くはずのきずなで、母子は互いに結ばれて
四十歳、息子たちは成長し、行ってしまった
でも夫はそばにいて、私が悲しまないように見守ってくれました。
五十歳、もう一度赤ん坊が膝の上で遊びました。
私の愛する夫と私は再び子供に会ったのです。
暗い日々が訪れました。
夫が死んだのです。
夫のことを考え、不安で震えました。
息子たちはみな自分の子供を育てている最中でしたから、
それで私は、過ごしてきた歳月と愛のことを考えました。
今私はおばあさんになりました。自然の女神は残酷です。老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談。体はぼろぼろ、優美さも気力も失せ、かつて心があったところには、今では石ころがあるだけ。でもこの古ぼけた肉体の残骸には、まだ少女が住んでいて、何度も何度も私の使い古しの心をふくらます。私は喜びを思い出し、苦しみを思い出す。そして人生をもう一度愛して生き直す。
年月はあまりに短すぎ、あまりに早く過ぎてしまった私は思うの。そして何者も永遠ではないという、厳しい現実を受け入れるのです。だから目を開けてよ、看護婦さん。目を開けてください。気むずかしいおばあさんではなくて、「私」をもっとよく見て!
「いのちのレッスン」内藤いづみ 雲母書房 2009年
◇
hideがふつうに、二人の兄と同じように、地域の保育園、地域の小学校、中学校、そして高校で生きてきたこと。その学校生活の中身が、「私と同じ」ようにありふれた子どものふつうの学校生活であったこと。
そうした「ふつうの世界」を「知らないで」、その人の人生を「支援」するとかしないとかっていうことが、そもそもおこがましいことに思えるのです。
hideのなかにある、膨大な量の人間関係、豊かな人間関係、普通学級の日々、そのことをhideはことばに、しない。
ことばにしないhideの、外見を見て、この社会の人は「障害者」という。重度の知的障害者という。
社会の99%の人はきっとhideが養護学校にいたと思うだろう。小学校から高校まで、12年間を養護学校で過ごしたと、迷わず思うことだろう。「外見」から「わかる」「みなすまなざし」は、「そういうもの、常識」だ。
イギリスの老女はいう。「わたしをみて」
「hideをみる」とは、どういうことか。
hideの中にある豊かな社会と苦労と、喜びと闘いと、悲しみと連帯と、ありふれた日常、そうした日々があったことを。私たちが見る目。感じる目。当たり前の人生の一つの形と見る目があるか??
普通か養護かを、「親の選択」だという人にはたぶん見えないように思う。
☆
hideに問う。
小学校はどうだった? 中学校は?
普通学級?えー、ほんと?高校も?ほんと?
重度知的障害なのに?
問うても、hideは言葉では返さない。
それは障害か?
誰の障害だ?
何の障害だ?
私はその答えを知っている。
私と同じだと知っている。
その問いは、私には問うまでもないことの一つだ。
あなたは6歳だったことがある?
あなたは10歳だったことがある?
あなたは15歳だったことがある?
あなたは赤ちゃんだったことがある?
問うても、hideは言葉では返さない。
それは障害か?
誰の障害だ?
何の障害だ?
私はその答えを知っている。
私と同じだと知っている。
その問いは、私には問うまでもないことの一つだ。
・・・・・・
問うてもいい・問うところから、はじまる。耳を傾けることから始まることはある。でも、その問いに、答えるのは、相手だけではない。でも、問うことで始まるものが何か。それは問うた者自らが答えなければならない。
なぜそんなことを問う?
なぜ、そんなことを問いたがる?
そうなのだ。・・・
「分からないから」から、問うのは、「自分が経験したことのない」、「養護学校」や「特殊学級」「施設」の暮らしだろう????
「養護ってどんなところだった?」「養護学校の授業って、どんなふうなの?」「運動会はどんなだった?」「修学旅行もあるの?」
それなのに、自分と同じように、「地域の小学校に行った」という秀和に、「小学校はどうだったのか」と聞くことに、どんな意味があるのだろう?
周りの大人には、あえて問わない中身を、ヒデに問うのはどうしてなのか?
問うのが当たり前みたいに、問うのはどうしてなのか?
問うて、知らなければならない。経験の貧しさを抱えているのは、私たちの方なのに、知的な遅れ、障害を持っているのは、私たちなのに。
この期に及んで、まだ私たちはヒデを「知的障害者」と呼ぶ。!!!
0点でも送れる豊かな学校生活があるということ。
0点でも送れる豊かな高校生活があるということ。
もういい加減、そのことを知っておくべきだろう。
「障害者の自立生活」を語るなら、こんなことは「当り前」だと。
そう言えるなら、それを「選択」と呼んでもいい。
つまり、今はまだ、自立生活を語る人々のレベルから、小中学校の子ども時代が、「選択」などではないことを物語っている。
★
そうか、当事者講演会とは、
問う、私たち・・聞く私たち、の「答え」を話す場なのだ。
《私たちは、あなたを「支援」することが、できているのですか?》
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