ワニなつノート

安全に守られるはずの場所から 子どもが放り出されないように



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昨日の琉球新報の記事で紹介されていた仲村さん夫妻と、つい最近知り合いました。お会いしたことはないのですが、高校受験のことでメールをしています。

そんな中で、ふと私が思い出した10101という数字のことを尋ねてみました。その後のやり取りを紹介します。

           ◆


仲村さん

数字の返信、ありがとうございます。
ご指摘の通り、沖縄戦で死亡した「14歳未満の戦没者数」は、11,483人とあります。私が覚えていたのは、その中で最も多い「理由」でした。14歳未満の子どもが死んだ理由、「壕提供」の数字10,101人でした。


私が初めて聞いたのは、大学生のころです。日高六郎さんの講演でした。それまでにも「自決」や「弾薬運搬」など「軍への協力」という話は聞いたことがありました。しかし、10101人の子どもが、「軍に壕を提供したために死んだ」という話は衝撃でした。「初めて聞いた」と書きましたが、その後四十年一度もこの話を聞いたことがありません。

私が我慢できなかったのは、日本軍に壕から追い出されて子どもたちが死んでいったことはもちろんですが、それを戦後になっても「壕提供」という言葉のままで置かれていることでした。

日高さんは、1960年代以後の厚生省の資料にあると話されていました。私は自分が生まれた後にも、「軍に壕を提供したから、子どもたちは死んだ」のだという説明が生きていることが我慢できませんでした。

また当時の厚生省は、「提供」という言葉の根拠を問われた際に、「14歳未満の子ども」は「本人の意思があるかどうか」は分からないから「自ら提供した」とみなすのだと聞きました。

それは、虐待で子どもを殺した親が「しつけ」だと言い、体罰で子どもを殺した教師が「教育」だと言うのと同じ理屈です。それはまた、言葉のない障害児に「本人の意思があるかどうかわからない」という見方と同じです。そして、それは戦争が終わった今も、死んだ子どもたちを「殺し続けていることではないのか」と思ったのです。でも、何もできないまま生きてきました。

これからの時代には、「沖縄戦での戦没者」の数字であるとともに、「日本軍による児童虐待死」という言葉をちゃんと遺したいですね。ほかの理由として「食料提供」もあるのですから。


今回、その数字を思い出したのは、仲村さんと出会ったからだと思います。

「本人の意思」と「定員内不合格」と「10,101」が、私の中で重なりました。

定員内不合格とは、「本来なら安全に、安心して、学ぶことが守られる場所」から、追い出されることでした。

本来なら、子どもが安全に守られる場所から、追い出されるということ。

しかも、本来なら、子どもを守るべき大人、教師が、子どもを棄てるということ。

そこに、席は空いているのに。


「本来なら安全に守られる場所」=「なぜと問われるまでもない基本の居場所」

「県民への公約である、教育可能な人数である定員」が空いている学校。

本来なら、子どもが安全に守られ、学べる場所を公立学校というのではなかったか。

それが子どもに対する、大人の「公平・公正・平等」という意味ではないのか。

その安全に学べる場所であるはずの学校から、席が空いているのに「座らせない」と、入学を拒否される子ども。

それは、かつて南アフリカで、黒人は入れなかった学校のあり方とどう違うのか。


しかも、その子どもが安全に学べる場所を、奪うのが、大人であり、「このやり方が、公平・公正・平等」であるという。

それは、戦争で子どもが死んだのは、「軍に、安全に守られる居場所を提供してくれたから」だという理屈とどう違うのか。


仲村さんの暮らす場所が沖縄であることが、頭のどこかにあって、沖縄でそれをしてもいいの?という思いが湧いてきたのだと思います。

高校の「適格者主義」とは、戦前の日本人の発想です。障害者を不適格とし非国民とみなした先に、「適格者主義」はあります。沖縄の教師が、それをそのまま受け入れていていいのかという思いがあります。だって、それは、沖縄の14歳未満の子どもを、「自分たちが故郷に置いてきた子どもと同じ、守るべき日本の子ども」とは思わなかった日本人の考えです。その日本人の考えを真似て、日本人の適格者という考えに服従して、同じ沖縄の子どもを「安全に安心して学べるはずの学校」から、追い出していいのかと思うのです。

すみません。これがそのまま通用するとは思いません。でも、沖縄でならもしかしたら、適格者という日本的な考えの非道さが見えやすいんじゃないと思ったようです。

佐藤


               □


佐藤さん

佐藤さん、佐藤さんのこのメールを読んで、どうにも泣けてしょうがなかったです。

この後、私も調べてみました。確かに『壕提供』10101とありました。その後の『食料提供』76の数字も。この『提供』と表現していることを、恥ずかしいことに私は見落としていました。

でも佐藤さんのおっしゃるように、本当にありえない。犠牲になった人を、亡くなった後も尊厳を壊す表現です。戦後、狂気の混乱から冷静になって、国として戦争の責任を国民に負うのなら、子どもを棄てた事実を、痛みを、しっかりと適切な言葉で弔い、恥ずべき行為だったと認めるべきなのに。それを『提供』と正当化するのか。

10101、本人の意思、定員内不合格。この国の、子どもをいとも簡単に棄てる体質は変わっていないのですね。子どもを簡単に棄て、責任の所在を明らかにしようとしない。よく『しょうがない』とも言いますよね。この国の社会は。ああ、私は絶対に許せないです。私は断固として闘います。


ちなみに、実は私の母も、戦時中危うく壕から追い出されそうになったという話を、私が幼い頃親戚から聞いたことがあります。

母は当時2歳だったのですが、何日も壕の中にいて恐ろしさから泣き止まなかったので、祖母はずっと乳房を含ませていたそうです。でも栄養失調で乳は出ず、泣き声も激しくなってきた為、一緒に壕の中にいた日本兵が日本刀で祖母を脅し、子どもを壕から追い出せと迫ったのだそうです。

普段は穏やかでおとなしい祖母が、この時ばかりは服がはだけ乳房が晒しているにも関わらず、怒り狂ったように、拳で自分の胸を叩きながら、『子どを殺してまでお前は生き延びたいのか!それがお前の正義か!』『だったら今すぐ私から殺せ!』と怒鳴り散らしたそうです。親戚の人の話はそこで終わったので、その後どんな展開があったのか、結局聞けずにいたのですが、あの時、祖母が母を守ったから今の私がいるんですね。

また、祖父が出征する前、『逃げる時は決して秀子(母の名)を背におぶってはいけない。必ず前に抱っこして逃げなさい』と言ってたそうです。背におぶってしまうと、弾から母を守ることができないからという理由だったそうです。これは祖母から聞きました。祖父と長男、次男は、出征してすぐに亡くなったそうです。

戦後、大事な人をたくさん失った絶望の中で、それでも祖母たちは、生き残った子を生かすため、荒れ果てた大地からトタンを集め雨風をしのげる小屋をつくり、土を耕して畑を起こし、道をつくり、産業を復活させ今の沖縄を再生させました。

その祖母が母を守ったように、その母に私も守られて育てられたように、私も必ず伊織をこの社会の既存の意識から守ると、改めてこの沖縄の大地に誓いたいです。


佐藤さん、このメールの内容は、私とお父さんだけで共有するのはもったいないというか、伊織の会の方々とも共有したいです。できればFacebookでも触れさせてもらえないでしょうか。

佐藤さんのおっしゃっていることは、特に沖縄の戦後生まれの私たちが、未来に対する責任として持っておかなければならない視点です。ぜひ他の方とも共有させて下さい。お願いします。

仲村


              □


仲村さん

ありがとうございます。仲村さんのおかげで、長い間言葉にできず抱えていたものが何だったのか、少しずつ感じられるようになりました。


そしていまなぜか、今年の5月に亡くなった船戸結愛ちゃんの作文が浮かびました。

「もうパパとママにいわれなくてもしっかりとじぶんからきょうよりもっともっとあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします」
「きのうぜんぜんできてなかったこと これまでまいにちやってきたことをなおします」

ゆあちゃんは、児相で「児童養護施設と自宅とどちらが好き?」と聞かれ、ちゃんと「施設」と答えたそうです。でも、4才5才の子どものことばを、そのままに信じてくれる人はいないんですよね。

ゆあちゃんの作文を読んで以来、児相で出会ったMが私に話しかけてくるのです。
「さとうは、ぼくのいうことをしんじてくれてたよね?」

小学校3年生の男の子でした。自分から児相に来て、家には帰らないと言い続けました。でも、身体的な虐待がなかったこともあり、児相は彼が家に帰ると言い出すのを待ち続けました。一時保護所で半年以上、彼があきらめるのをただ待ち続けているように見えました。

その後、私は移動になり、彼の消息を知りません。保護所で一番仲良くなった子でした。いまは23才かな。ときどき会いたくなります。

すみません、話がそれました。やっぱり私はもっともっと、子どものおもい、子どものことばを、ちゃんと受けとれる大人になりたいです。

私も、仲村さんから頂いたメールを、自分だけのものにするにはもったいないです。

「10101、本人の意思、定員内不合格」「安全、安心な子どもの居場所を守ること」
書きたいこと、表現したいことは次々と浮かぶのですが、とりあえず、亡くなった子どものおもいを大切にする人と出会うために、先の2通のメールをそのままFacebookの「ノート」に公開してもいいでしょうか?

佐藤
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