ワニなつノート

仕事のメモ


《「わたし」の助け方》

わたしが子どもに手をのばしつづけるためには、
わたしの手を握りつづけてくれる手を、忘れてはいけない。


     ◇


① 子どもの今日のすがたを、否定しないこと。
いまを認められずにつぎを認めることができるか。
今日放した手を、つかめる次はあるか。
今日のあなたは助けないと放した手を、明日この子はつかんでくれるだろうか。


② 「待つ・見守る」、といえるほどの度量はない。
だから「流し待ち」くらいでいる。
自分のことをやりながら横目で見ているくらい、なら耐えられる。
相手も自分も、追い詰められない距離。

自分が待ち疲れてあきらめてしまわないように。
待たれることで、相手が苦しくならないように。


③ ジタバタする自分に耐えること


④ 人に頼ること。
  頼れる人を知っていること。
  自分の最終判断のブレーキになる人が、心にいること。


⑤ 私を無条件に肯定してくれた人を思い出すこと。

⑥ 私を無条件に肯定してくれる存在に出会うこと。(ni)


      ◇


《子どものたすけ方》



① 子どもの苦労はいろいろであり、助け方も一つじゃない、ということ。
  やり方はいくつもある。


② 助ける方も、助けられる方も道は一つじゃない、ということ。
  道はいくつもある。
  道でなくてもいい。
  生きて歩ければ、そこが道だ。


      ◇


やり方はいくつもある。道は一つじゃない。

子どもを苦しめている事柄の領域に無知すぎた。
子どもにとって「否定的な経験の領域」がどういうものであるか。
「ターゲット」を絞りきれていなかった。

自分の未熟さの自覚も足りなかった。


私はどんな子の、どんな部分を、どんな助け方をしたいのか。
どんなことならできるのか。
何ができないのか。

自分にできることでしか、その手をつかむことはできない。
自分の手でつかめる手しか、助けることはできない。

私がこの手でつかめる手はだれの手か。


ここ(N)で相互・応答の関係を作りあった子の手は、放さない。

一度、手を放したことがある。
私が放した手を、数年後に握り返してくれた子がいた。
助けられたのは、私の手だった。

私の手が誰も助けられない情けない手になりかけていたのを、助けにきてくれたのは、いつも子どもの手とことばだった。


だから、同じ間違いはしない。

この年で突然のガンも抗がん剤も体験して、同じ間違いを繰り返している時間はない。

そういえば、病名の分かる前日、ホームでその子の妊娠を聞いた。
高校をやめて産みたい、という。

翌日、ガンと告げられたとき、その赤ちゃんと「入れ替わり」の運命かもと、ちょっと思った。


一年後、予想した運命は、ちがった。
私とその赤ちゃんはしばらく一緒に暮らすことになる。
(結婚はうまくいかず、母子で行くところがなくなった。しかも、母子ともに無国籍…。)

助けなきゃいけないことは、いろいろある。
その子と、その赤ちゃんの国籍をなんとかしなきゃいけない。

子どもの苦労はいろいろであり、助け方も一つじゃない、ということ。
やらなければいけないことは、いくつもある。

わたしが助けたかったその手を、今はもう3才のちいさな手が必死でつかんでいる。

手続き一つに何年も手間取っている間に、その子はもう3才だ。


さてと。
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