ワニなつノート

失くしたものは(1)




【SCENE1 子どもが泣いている】


一人の子どもが泣いている。
学校に行きたくないと、泣いている。
みんながいじめると、泣いている。
勉強が分からないからいやだと、泣いている。
ぼくもみんなとドッジボールがしたいんだよと泣いている。
ぼくも100点がとってみたいんだよと、泣いている。
朝になると、お腹が痛くなる。
休んでいいよと言われると、少しほっとして、だんだん元気になる。

週に一日、二日と学校を休みがちになり、
いつしか、登校できる日が一日二日になり、
その一日もなくなる…。

この子がそこで失くしたものは何だったのか。
いじめられて、仲間に入れてもらえず、勉強も分からず、
この子が失くしたもの。
あこがれの百点を一度も取れず、
この子がそこで失くしたものは、何だったのか。



【SCENE2  取り戻すもの】


学校に行けなくて、テストも0点で、
休み時間も誰も遊んでくれなくて、
最低だと信じている自分へ、自分でつける0点。

「こんなんじゃ、なにもかも無理。サイテーのサイアク」
そう思いながら、過ごす日々。
それが日常として当たり前に続くこと。

学校を休んで、気持ちが少し楽になっても、
不意に、「また行けなかった」と自分を責める瞬間が訪れる。
そんなことが繰り返される日々。

学校からも、いじわるな友だちからも逃げられるけど、
毎日繰り返される日常からは逃げられない。
自分で自分につける0点に、追いかけられることもある。

そうした日々のなかにあっても、
子どもが自分の手でつかむものがある。
自分の心で少しづつ、確かめられることがある。
学校は休むことができても、自分を休むことはできない。
自分はここにいる。

それを基本にして、確かにここにいる自分を感じられること
自分が休んでも、0点でも、周りは何も変わらない。
地球は回り続ける。
今日も何事もなかったように一日が過ぎる。日常が続く。
その中で、ふと、感じられる人と人とのつながりの瞬間。
ただ、声をかけられること。
ただ、笑いかけてもらうこと。
ただ、自分の話に耳を傾けてくれること。

それはすべて、サイテーよりは、まし。
情けない自分、だめなはずの自分。サイテーの日々。
でも、ずっと心配してくれて、
だまって見守っていてくれる人がいる。

自分はこんなにだめなままなのに、信じていてくれる。
もしかしたら、こんな自分にも
何かいいところがあるのかもしれない。
全部が全部、だめなわけでもないのかもしれない。
自分にも何かいいところがあるのかもしれない。
自分でもまだ気づかない力があるのかもしれない。

人に信じてもらえる自分。
大切に思ってもらえる自分。
期待される自分。
ふつうでいられる自分が、ここにいる。
ような気がする。

もしかしたら、こんな自分でも、こんな不器用でも、
生きていける道があるのかもしれない。

半年、一年…、ゆっくり休んで、
ぽつりぽつり学校に行き始めるとき、
取り戻したものは何だったのか?
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