【理由2】『分けられた場所、障害児のための場所では、できることが限られてきます。』(北村小夜)
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振りかえれば、安全なふつう学級では、みんなが「非言語的コミュニケーション」を通して、また「生理学的表現」を理解することによって、お互いが安全を感じているか否かを伝え合っていました。
「授業」云々の前に、6歳から18歳の長い子ども人生を、そこで生活すること抜きに、その「社会交流システム」に参加し、体験し、身につけることはできません。
まして、障害のために「言葉」での理解に困難があるのであれば、本や映画など他の手段で理解することはもっと難しい。だからこそ、障害が重いといわれる子ほど、一緒に「いること」が重要になってきます。
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「いること」が安全であるとき、それが「腹側迷走神経」優位な状態であり、それこそが、『私たちにとって不可欠な、人と人との関係性を築くための神経生理学的基盤を提供する。』(171)
そしてまた、
『安全な状態は、最適な社会的行動だけでなく、人間が創造的で生産的であることができる高次脳機能にアクセスするための前提条件である』(184)
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つまり、「知的障害」とみなされた子どもの、「知的機能」を豊かに育てたいのなら、その「前提条件」として、『子どもを分けてはいけない』のです。なぜなら、本人の了解なしに「分けられること」は、子どもにとってもっとも「安全」でないことだから。
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