11月3日の祝日に(社)オストミー協会東京支部の主催の秋の散歩会に参加しました。
10時にJR駒込駅に集合して六義園に向かいました。
参加者は28人。
六義園は駒込駅から7分程度です。
駅に近い裏門は閉まっていましたので正門に回り、
六義園の園内を回りました。
裏門
六義園は徳川五代将軍の徳川綱吉の側近として権力を振るった柳沢吉保が造った江戸時代の代表的な大名庭園ということです。
柳沢吉保は忠臣蔵では憎まれ役になっているようですが文化的な嗜みもあったようです。
徳川綱吉はこの庭園を60回近くも訪れたということ。
現在は一般に開放され春の桜やツツジ、秋の紅葉が有名です。
園の中央に大きな池があり、裏手には深山幽谷の趣のある川もありました。
休憩所で昼食を食べた後、一旦解散しました。
解散後、参加者の中の有志は六義園から徒歩20分の旧古河庭園に向かいました。
旧古河庭園は洋風庭園と日本風庭園を配した大正期の名園です。
丘には洋館がたち洋風庭園には見事なバラが咲いていました。
日本庭園も心字池を中心とした名園で洋風庭園に劣らず見事でした。
10時にJR駒込駅に集合して六義園に向かいました。
参加者は28人。
六義園は駒込駅から7分程度です。
駅に近い裏門は閉まっていましたので正門に回り、
六義園の園内を回りました。
裏門
六義園は徳川五代将軍の徳川綱吉の側近として権力を振るった柳沢吉保が造った江戸時代の代表的な大名庭園ということです。
柳沢吉保は忠臣蔵では憎まれ役になっているようですが文化的な嗜みもあったようです。
徳川綱吉はこの庭園を60回近くも訪れたということ。
現在は一般に開放され春の桜やツツジ、秋の紅葉が有名です。
園の中央に大きな池があり、裏手には深山幽谷の趣のある川もありました。
休憩所で昼食を食べた後、一旦解散しました。
解散後、参加者の中の有志は六義園から徒歩20分の旧古河庭園に向かいました。
旧古河庭園は洋風庭園と日本風庭園を配した大正期の名園です。
丘には洋館がたち洋風庭園には見事なバラが咲いていました。
日本庭園も心字池を中心とした名園で洋風庭園に劣らず見事でした。