以下は、8年前に記した文章だが、およそ進歩ない自己を嘆かざるを得ないのだが・・・。何れにしても個々人は周辺上位者が何をしてくれるかを問うのでなく、個々人が何が出来るのがを問う必要があるとは、JFケネディの就任演説の言葉である。
三毒の焰(ほのお) 2010-11-06記述
最近読んだ本で頭に残る言葉が「三毒の焰」です。
およそこの世で人が関与した害となる出来事は、三毒を要因とするのだと記さ . . . 本文を読む
ここで車両整備と云ってもクルマでなく、蒸気機関車のことを想像の中で記して見たい。我が町にも昔の蒸気機関車が主流だった頃、機関区というのが設置され、大勢の工員が働いていたことが各種書物に一端が示されている。彼ら工員の職場は、いわゆる扇型車庫と呼ばれる、中心にターンテーブルがあり、車庫(ピット)が放射状に配列されたものである。この車庫において、様々な点検、整備などが行われたのだろう。
我が町の機 . . . 本文を読む
ご存じの通り沼津の上水道水源地は柿田川湧水にある。市役所HPに上水道の沿革でも記載されているが、戦後のS25年から泉水源地より送水開始と記されている。その後、だいぶ遅れてS50年から駿豆水道として、同じく泉水源地より三島市、函南町、熱海市に供給されている。
柿田川湧水は富士山の伏流水が溶岩流の先端から湧き出しているそうで、大自然の数十年という時を濾過に費やされた清水なのだ。従って、上水道施設 . . . 本文を読む
沼津の城址というと、明治になり早々に解体されてしまったという沼津城址がまず思い当たるのだが、ほとんどめぼしい遺構はない。しかい、大手町だとか如何にも城下町風な町名は残っている訳だが・・・。
沼津の城として、およそ500年前となる戦国時代にまで遡れば幾つもあったのだろう。その中で、この地を出発点として、韮山から伊豆国一円、箱根を越え相模国一円までを平定した北条早雲が思い浮かぶ。そう、興国寺城址 . . . 本文を読む
今や知らない方が多いと思うが、静岡県内で最も早く施設された鉄道は、沼津港と沼津駅間を結ぶ蛇松線だったということをご存じだろうか。つまり明治22年に突貫工事により東海道本線は開通するが、それに先立つ物資の補給路として作られたのが蛇松線だったそうだ。従って往時は、ここで船に満載された鉄道レールや枕木などを、貨車に積み替えて、東海道本線の沼津駅の東西に供給していたのだろう。
東海道本線開通後も、現 . . . 本文を読む
沼津市と戸田村が合併し程なくだった頃だと思う、松城邸の特別公開があると云うので訪問時の一部写真を紹介してみたい。
この戸田村だが江戸時代は君沢群戸田村で、今の沼津市西浦あたり以南土肥までと三島市が入るくくりとなっていた様である、当然伊豆国であり、沼津の駿河国とは異なる。伊豆国は幕府の直轄地であるが、納めていた代官(今の県知事以上の権力者)は、韮山の代官所を置いた江川太郎左衛門である。この江川 . . . 本文を読む
写真は静岡県富士宮市上井出というところにある、戦中まで陸軍少年戦車兵学校の正門近くに満身創痍で安置された旧軍チハ車(97式中戦車)を背にする碑文だ。碑文を読むと、15才から17才の少年を、1期~6期の合計で4千名余を送り出したとある。この地の富士山側(北東)が広大な演習地となっているから、そちらで実戦同様の訓練を十分とまでは足らずに行い、泥縄式に南の島へ戦車と共に送り出されたのだろう。
同地 . . . 本文を読む
幕末の志士として坂本龍馬とか新選組の土方歳三などは高名だが、伊庭八朗はそれ程でもないが、知ってる方は知っていると思う。その豪傑さとイケメンぶりの様子は、池波正太郎が表すところの「幕末遊撃隊」にイメージだが、、明治資料館にて今般開催されている特別展「御一新」の展示で、遊撃の途上で、沼津・霊山寺に滞在したことを知る。
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数日前のAM6ちょっと過ぎ頃か、沼津市江浦の国道414号線を南下していたら、対向の救急車とすれ違った。それから、数分も経ない中で前方に警察官の誘導の姿と、横転した1BOXカーが対向車線に北向き横たわっているのを視認した、そして、前方至近の左手ガードレールに大きな変形があるので、ここにぶつかっ結果なのだと瞬時に判断できた。つまり、横転車は、私と同様に南方向に進行しており、何らかの原因により車両の左 . . . 本文を読む
びゅうお隣のガラス窓に富士がキレイだ。また、昨今はラブライブなどのラッピングバスやファンの乗用車は見るけど、ここまで描き込んだトラックを見ることは少ないなぁ。何れも 2009/4/2 撮影のもの。
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今回は河内の大杉を紹介してみたい。
場所は、沼津市西浦河内だが、西浦木負から山にだるま山の方に一方的に登って行く。本当に山の中の道だが、簡易舗装はされており一般的な乗用車でも問題なく行けるだろう。途中幾つか分かれ道があり迷うが、右側に写真の様な河内大杉の小看板が現れる。森の中の斜面をちょっと歩くとご対面出来る。
この辺りの山間は、交通も少ないが、冬場などは落ち葉が堆積していて、注意しないと . . . 本文を読む
貨物車とかバスなどに触れる方なら、その何処かに写真のラベルを見知っている方も多いだろう。この、JABIAとは(一般社団法人)日本自動車車体工業会のラベルだ。この組織のHPは以下だが、我が住い地には、山田車体工業(株)というアルミバンボデーを作っている企業があるが、10年ほど前までにはパブコ(元加藤車体として沼津に設立し隣接地たる長泉町で稼働)もあったのだが、本社共々、神奈川県海老名市に集約されて . . . 本文を読む
江浦から口野放水路交差点に向かって走行中、左手の海縁岩壁に写真の様な岩穴が見える。前から、あの穴は何だろうと気になっていたので、今日はちょっと探検を敢行してみた。途中、この先立ち入り禁止と施錠があるが、ちょっと失礼と乗り越え進むと、容易に件の穴まで到達できた。
この岩穴、中には入ることまではしないが、それ程の奥行きもないし、海面上から1.5m程と高いので、従前記した様な戦争遺跡ではない様に思 . . . 本文を読む
先日、我が町に残る戦跡たる洞窟様の穴と特攻兵器たる「震洋」(しんよう)のことを記したが、それら洞窟内の一部には人間魚雷「回天」(かいてん)という、特攻兵器もあったやに聞く。
この、回天だが、自爆攻撃用小型潜水艇なのだが、推進機関(エンジン)は、日本海軍が誇ったという酸素魚雷を流用したというものだ。空気の代わりに純酸素を利用すると聞くもので、ちょっと調べて知るが、内燃機関としてシリンダー内で燃 . . . 本文を読む
写真は沼津市岡宮神社のクスと云われる巨樹だが、案外知らない方もいると思い紹介してみる。神社自体も小さいし、通りから引っ込んでいるため、案外に知られていないのだと思う。
幾千年の時を刻んで来ただろう巨樹は、見るものに尊厳すら感じさせる様に思えるときもある。
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