「バロックのパソ街!」 (十一)

2013-01-21 03:01:23 | 「バロックのパソ街!」(十一)―(十五)
 


                (十一)




 敬語と虚礼を廃すおれの「反儒教革命」はすぐに頓挫した。それ

は敬語がすでに標準語に取り込まれていたからや。後は「ため口」

しか残されていなかった。しかし、教師との会話は喋っている自分

が吃驚(びっくり)するほど「立場を弁えない」乱暴な言葉遣いに思

えた。そもそも標準語そのものが序列差別を認めているんや。ど

うも儒教道徳の本質はこの「立場を弁える」ことにあるのではない

か。そしてそれこそが福沢諭吉の云う「名分」に違いないと思った。

「おはよう、北森さん」

「おう、おはよう、どうした今日は、早いな?」

「違(ちゃ)うねん。朝まで起きてたから今から寝たら寝過ごす思て、

そんで寝んと来たんや。これから学校で寝よ思て」

「あほか!」

そんなため口は北森さんには通じたが、側で聞いていた教師には訝

しがられた。ある授業で教師が、地球が球体で自転していることは

キリスト教の宣教師によって日本に伝えられた、と言った時、おれ

は手を挙げて、

「山本さん、何で日本ではあっさりと地動説は受け入れられたん?

せやかて西洋では裁判までして地動説を認めなかったやんか」

「山本さんって私のことか?」

「はい」

「君はものを言う前にちゃんと言葉の勉強をしなさい!」

山本教師は腹を立ててしまい、おれの質問には遂に応じなかった。

 おれは、自分の言葉使いに吃驚したからか、克服した筈の吃音に

また悩まされ始めた。ただ、嘗ては阻喪(そそう)からだったが、今

度はことばを失ったことによるものだった。我々は言葉をただ記号

として交わしているだけではなかった。ことばの遣り取りには序列

意識への本能的な執着が隠されている。目上の者への「ため口」は

言葉よりその言い方が彼らのプライドを刺激した。敬語を使わず「

おはよう」と言っても素直に「おはよう」と応えてくれる「先生」

は皆無だった。それどころか、

「誰に言うてんねん?」と凄まれたことさえあった。

 つまり我々は敬語による「立場を弁えた」言葉しか持ち合わせが

無いのだ。それはいかなる共同体であれ、序列を超えた「立場を弁

えない」自由な議論など成り立たないということである。敬語を使

う者は、上司の過ちを指摘したり異なった意見を述べる時には、そ

れこそ切腹する覚悟で挑まなければならない。我々は「先生」の前

では、想っていることが言葉になっても何時も吐かずに飲み込んで

しまう。部下は上司のカツラがずれていることさえも畏れ多くて「

お告げする」ことが出来ないのだ。それをこの国では「奥床しさ」

だとか「惻隠の情」といい、美しい日本語だとさえ思っている。

 おれの吃音は日に日に酷くなって、「わが闘争」を支持してくれ

た北森さんでさえ「おい、大丈夫か?」と心配するほどだった。

「たった一人の反乱」は、武器の不具合から口撃ができなくなり、

「先生方」から逆襲を喰らい「口ほど」の負け犬と罵られて忍従の

日々を過した。幸いすぐに夏休みが始まって「城天」での路上ライ

ブを再開した。人前で歌うことへの不安はあったが、ことばを失っ

た自分にとって予め詩がきまっている歌は全く吃(ども)らなかった。

自信を取り戻すと、あんまり悔しかったので「吃りの唄」まで創っ

てしまった。それはフレーズの始めの発音が全て吃音を繰り返す、

 「 どっどっどっどっどっどっどっどっどうしてだろう

  かっかっかっかっかっかっかっかっかなしささえも

  たったったったったったったったったのしいのは

  きっきっきっきっきっきっきっきっきみがいるから・・・」

 そんな感じ。ほら、読むだけで曲になったやろ。これが信じられ

へんくらい路上オーディエンスに受けた。

                              (つづく)

「バロックのパソ街!」 (十二)

2013-01-21 03:00:30 | 「バロックのパソ街!」(十一)―(十五)



                (十二)




 夏休みが終わって二学期が始まると、三学年担当の教師たちは巣

立つ生徒の進路指導に奔走して、おれの「言語ゲーム」に付き合っ

てくれなくなった。もちろんおれも卒業を控えていたが、この学校

に「露と落ち」た時から「進学のことは夢のまた夢」と、路上ライ

ブの合間に大阪城の天守閣を眺めながら自省の句を残していた。そ

れでも教師は大学がダメなら専門学校、専門学校がダメなら就職と、

パンフレットを変えリーフレットを変えて、欠陥生徒の販売先を探

してきた。が、おれはそのころ城天の路上ライブで、アルバイト学

生が学校をズルしてフルタイムで働いて手にする日給をわずか一時

間足らずで稼いでいた。馬鹿らしくて今さら自由を棄て「お縄を頂

戴します」と自ら牢獄社会へ舞い戻る気など更々なかった。それで

も進路指導の教師は執拗く社会復帰を説得した。それはまるでおれ

の為と云うより彼の営業成績の為だったに違いない。つまり商品の

売れ残りを計上したくなかったのだ。

 軽音楽部の活動も三年生から在校生への引継ぎが行われようとし

ていた。そんな時に新しくアメリカからの帰国男子生徒が入部を申

し込んできた。彼はまだ一年生だった。日本で学生生活を送ること

は初めてで「トマドっている」と言った。何処でどう聞き付けたの

かおれの「反儒教革命」を支持してくれた。

「古木の言うように日本のアイサツは憂ざいよ」

おれは後輩からあっさりと呼び捨てにされたことに快感を覚えた。

「サビリティー(奴隷根性)だね」

その言葉は確かに日本人の、分けても関西人の発音でなくネイティ

ブだった。そして城天でのおれのライブパフォーマンスも見たらし

い。

「クールだった!」

そして、

「悪くなければ一緒に演らせてくれない、古木?」

そう言って、おれが城天で演奏した曲をギターを取って弾いてみせ

た。それは何と言うか、コテコテした関西弁訛りとは違ったネイテ

ィブな演奏だった。

 おれの「反儒教革命」は、教師たちの反発を買って異端視され、

教室では、卒業を控えて進路相談に教師の世話になる級友たちから

も無視され、毎朝、晒し者になる為にわざわざ登校しているような

思いにうち拉がれていたが、それに反して部活では、それぞれが音

楽を通しての繋がりから年下であってもおれを励ましてくれる部員

さえいた。そしてそこにはアンちゃんが決めた唯一つのルールが今

も残されていた。それは「ここでは敬語を使うな!」

 音楽をする目的で部活に入ってくる者にとって部活とはあくまで

もその手段である。組織とは個々(主体)の目的を果たす為の手段に

過ぎない。ところが目的を諦めた者や見失った者は組織にすがり組

織そのものを目的にする。主体にとって手段に過ぎなかった組織が

目的に成り上がるのだ。すると、目的を無くした主体は目的となっ

た組織に「主体」そのものを明け渡し組織の手段に成り下がる。こ

うして、個々と組織の「主体」が入れ替わる転換が起こる。ただ、

目的は唯一つしかないが手段は序列的に存在する。目的を失い手段

に成り下がった個々はその序列に則って秩序化される。序列社会と

は、目的を失った主体が本来手段であったはずの組織を目的に転化

することから始まる。組織そのものが個々の目的になった社会は、

手段となった個々に序列秩序(目的)を与える。つまり、秩序や道徳

を声高に叫ばれる社会は、個々が自分の目的を見失った社会なんや。

福沢諭吉は、社会に隷属する国民に対して独立不羈を説いた。それ

は「自分の目的を見失うな」ということだ。

 黙って聞いていた帰国生は、おれたちは彼を「シカゴ」と呼んだ。

彼はその名の通りアメリカのシカゴで暮らしていたからや。そのシ

カゴが口を開いた、

「それは、つまり東大を目標に受験勉強してきた人が、入学を果た

して目的を見失い仕方なく公務員になるようなもんだね」

「ああ、それはいい例えや。そして成れの果ては愛国主義者となっ

て『国を愛そう』などと道徳を説くんや」

「自分は国家に依存しながら」

「そうや」

 アンちゃんが書いた規則は部室のドアの正面に貼られていた。

A4判くらいの大きさの紙に、右端にマジックで「規則(一)」と縦

書きされ、その真ん中に太い毛筆で「ここでは敬語を使うな!」と

勢いよく書かれ、最後に「軽音楽部部長」そしてアンちゃんの署名

がされていた。アンちゃんが死んだ時、指導の教師はそれを剥がそ

うとしたが、部活の皆の強い反対で今も残されていた。

「それっ、わかる!僕も向こうでバンドを組んでる時、音楽性の違

いでもめたことがあった」

シカゴがそう言った。

「ふんふん」

「その時にリードボーカルの奴にイニシアチブを執られて、まあ、

こっちは演歌やねんから当然といえば当然なんやが、そいつの言い

なりになって結局僕から脱けた」

シカゴが言った出来事はここでも頻繁に起こる。音楽のジャンルが

細分化してしまって、たとえ僅かであっても、リズムに拘る者は緩

慢な旋律に流されたくないし、旋律を重んじる者は単調なリズムの

繰り返しにウンザリする。志向の異なる者がユニットを組み「一つ

の音楽」を目差すのはなかなか平和的にはいかない。僅かの違いが

決定的な亀裂を生む。やがて「一つの音楽」を巡って意見が対立し、

そして対立を避けようと自分の音楽を譲りユニットを優先させる。

遂には本来の自分の音楽を見失い、手段であったはずのユニットそ

のものが目的化する。メンバーたちは外面だけの協調や信頼といっ

た「道徳」を重んじ、そして「一つの音楽」は聞き飽きたメッセー

ジの焼き回しを繰り返しても気付かずにユニットを讃える。しかし、

「ところで自分が目的にしていた音楽はどうなったの?」ってなる。

「じゃあ、どうしたらいいと思う?古木」

「何かもう、愛だとか信じるだとか飽いたよね」

「それじゃあ何を歌えばいいんやろ?」

「んーんっ、例えば、醜さだとか無力感の方がリアリティーあると

思わん」

「あっ!そう言やぁこの前テレビ点けたらドラマのエンディングに

森田童子の曲が流れてたけど、つい最後まで聴き入ったわ」

(知らない人はこちらで)
http://www.youtube.com/watch?v=KF77sQz1hIQ&feature=related

「森田童子か、『みんな夢でありました』はいいと思うけどね。だ

けど、ほんとは沈黙するのが一番いいかもしれん」

「チンモク?」

「うん、静寂。一番足らんのは静けさやないか思う。音の無い世界」

「じゃあ、プレイしないの?」

「例えば、楽器を持って『オリジナル曲【静寂】をやります』と言

って、始めに一小節だけ演奏してその後3分間は何もしないの。物

想いに耽ってるポーズをしてもええな。ホールは水を打ったように

シーンとして、3分経ったらもう一度和音を変えて終いの一小節を

弾いて終わる。そして、『オリジナル曲【静寂】でした』と言って

頭を下げる」

「そんなんアカンわ」

シカゴはアメリカ帰りにも係わらず、おれのボケにタイミング好く

ツッコんでくれた。和んだ会話に誘われて傍にいた女生徒がシカゴ

に話しかけた。

「なあ、シカゴって家はどの辺なん?」

「ボク?ハナテン(放出)!」

「え―っ!信じれへん」

その女子部員はそう言っておれの方を見て、つい最近までアメリカ

のシカゴで暮らして居た青年が、「ハナテン」というローカルな地名を

言ったことに、何故だかおかしくって顔を見合って笑ってしまった。

するとシカゴは真顔になって、

「何や、放出(はなてん)てそんなにおかしいか?」

と怒ったように言った。

                                   (つづく)    

「バロックのパソ街!」 (十三)

2013-01-21 02:49:37 | 「バロックのパソ街!」(十一)―(十五)



                   (十三)




 日曜日にシカゴを誘って城天で路上ライブをやった。彼はどうし

ても始めにビートルズの「Why Don't We Do It In The Road?」

を演るべきだと練習の時から言っていた。

(知らない人はこちら)
http://youtu.be/KM02WcvlKn0

確かにオープニングには持って来いだと思った。それにアメリカ帰

りのシカゴだもん、今日の主役は彼に違いなかった。彼の言う通り

にさせてやった。二人は白のТ―シャツにジーンズ、デッキシューズ

とステージ衣装も揃えた。彼は一年生のくせに170センチ弱のおれ

よりも背が高かった。

「あっちじゃ低い方だった」

「おれ、アメリカには絶対行かん!」

日本人のアメリカへの憧れの度合いは、背の高さに比例しているん

じゃないかとフト思った。確かにアンちゃんも背が高かった。シカ

ゴはサングラスも一緒に揃って掛けよう言ったが、それだけは絶対

嫌だと反対した。おれはサングラスを10分と鼻スジで支えたこと

がなかった。家族で海水浴に行った時、ずり落ちるサングラスを辛

うじて鼻翼で止めていると、母親から、

「あんたのはサン(ズ)ラスやね」

と言われてから、生涯に使うであろう必需品のリストの中からメガ

ネの類は一切削除した。もしも、レンズが最初に日本やアジアで考

え出されたら、東洋人の誰もがよもやそれが鼻に掛けれるとは思わ

なかっただろう。恐らくヘッドバンドなどを頭に巻いてそこから垂

らしたに違いない。

 メインボーカリストのシカゴは一曲目からポール張りのシャウト

を効かせ、「No one will be watching us」と歌いながらも行き交

う見物人の注目を集めた。しかし、調子に乗りすぎて何時までも繰り

返して、遂にノドを痛め、予定していた彼のブルース・スプリングステ

ィーンの歌をおれに代わってくれと泣きついた。

「古木、次からこの歌は最後にしよか、ゴホッ!」

シカゴは擦れた声でそう言ったが、おれも歌ったことの無いブルー

スの歌を少しでも似せようとして声を絞り出して歌った為、シカゴと

同じようにノドがイカレてしまった。情けないことに二人とも一曲歌

っただけで休憩する羽目になってしまった。

「ゴッホッ!ちょっと休憩させて、ゴホッ!」

「ゴホッ!ごめん、みんな!ゴッホッ!」

オーディエンスは、七転八倒する二人に冷たい一瞥を浴びせて、

三々五々四散した。

 おれとシカゴはコンビニでドリンクを買って木陰で休むことにした。

日差しは夏のままだったがその盛りが過ぎたことは、湧き上がる積

乱雲がその勢いを失って棚引く様子や、木立の間を時折吹き抜け

る涼風からも感じられた。その風にのって何処からともなく他のパ

フォーマー達の演奏や歌が届けられたり、或は急に遠退いたりした。

ただ彼らも人が演ってる時は邪魔しないように気を配っているのだ

ろう、向こうで歌が終わるとそれを待っていたように今度はこっちで

演奏が始まった。

 シカゴがペットボトルの蓋を開けながら話しかけた。

「あんたが言った森田童子の『みんな夢でありました』だっけ、そ

れってどんな曲?」

おれは飲みかけのペットボトルを置いて、カバンから歌詞ノートを

出してギターを弾いてその曲を歌った。

(知らない人はこちらで)
http://www.youtube.com/watch?v=N4RaoKh7K2w


あの時代は何だったのですか
あのときめきは何だったのですか

みんな夢でありました
みんな夢でありました

悲しいほどに
ありのままの君とぼくが
ここにいる

ぼくはもう語らないだろう
ぼくたちは歌わないだろう

みんな夢でありました
みんな夢でありました

何もないけど
ただひたむきな
ぼくたちが立っていた

キャンパス通りが炎と燃えた
あれは雨の金曜日

みんな夢でありました
みんな夢でありました

目を閉じれば
悲しい君の笑い顔が見えます

川岸の向こうにぼくたちがいる
風の中にぼくたちがいる

みんな夢でありました
みんな夢でありました

もう一度やりなおすなら
どんな生き方があるだろうか

「みんな夢でありました」
(作詞/作曲 森田童子)

歌い終わるとシカゴが歌詞ノートを取ってしばらく眺めてから、

「ぼくはもう語らないだろう、ぼくたちは歌わないだろう」

と、歌詞の一節をつぶやいた。

「ああ」

「何か滲(し)みるね」

「おれらは理想を語れんようになって、現実まで見えんようになっ

てしまったんや、きっと」 

「あんたが部室で話したことなあ、ほら、手段と目的の話し」

シカゴはおれと向き合ったまま、寝そべりながらボソボソと呟いた。

おれはペットボトルに残ったスポーツドリンクを嗄れた喉に流し込

んだ。

「ああ」

彼は歌詞ノートに目を止めたまま続けた。

「そもそも生きることは目的なのか、それとも手段なのかって」

「ふん」

「どう思う?」

「それぞれと違うんかな」

「せやろ、もし目的ならただ生きていても間違いやないと思うねん。

今あんたが言うたように、それそれが自分の生き方でええんやない

かって、みんな何かと戦えなんて言えんやろ」

「まあな」

「目的があっても思うように行かなかったり、止めざるを得んかっ

たり。そんな単純やないと思うんや」

「確かにそうかもしれん」

「だから、目的を持たないからといってそういう人を蔑むのは間違

いやないかなって。つまり、個人の生き方と社会のあり方は分けて

考えなあかんと思うんや」

「うん」

「そもそも社会のあり方に問題があって、それを自覚の無い個人を

嗾(けしか)けて改革しようとしても・・・」

「上手くいかんか」

「たぶん」

「アメリカでは一体どうなってるの?」

「何が?」

「敬語とか」

「スラングはあっても敬語なんてほとんどないよ。ただ言い方で伝

わるけどね」

「例えば教師との朝の挨拶とかは?」

「そんなの『ハーイ』と『バーイ』で済んじゃう」

「あっ!それええなー、それで行こっ!」

                                (つづく)     

「バロックのパソ街!」 (十四)

2013-01-21 02:45:42 | 「バロックのパソ街!」(十一)―(十五)



                (十四)




 人は、きのうを知ることができてもあしたを知ることはできない。

知ることは覚えることから生まれる。だから、きのうのことを覚え

ることができてもあしたのことを覚えることはできない。つまり、

人はあしたのことを語っているつもりでも、実は、きのうのことを

語っている。

 我々の知性は、未来について語っていても、実は、過去の記憶を

変換しているに過ぎない。しかし実際は過去と未来は違う。過去は

変えられないが未来は変えられる。いくら過去を変換しても新しい

未来は生まれて来ない。我々が未来を語る時も、知性はアーカイブ

から過去の編集された映像を流し始め、表象化された記憶が甦り、

実は、過去を語ってしまう。しかし、未来が過去よりも明るいなら

ば、我々は過去の記憶に執着してはならない筈だ。知性だけに頼っ

て未来を語っても過去への回帰を繰り返すばかりで閉塞した状況は

何も変わらない。新しい未来を拓くには知性だけではない新しい何

か、方法なのか能力なのか、感性なのか或は運動なのか、それとも

アッサリ狡(こす)い知性など投げ出してしまうか、過去を辿るよう

に未来に戻ってしまっては、新しい仮定や試みが生まれるはずがな

い。

 「我々とは何か?」という問いしても、知性に委ねれば只管(ひた

すら)古(いにしえ)を遡(さかのぼ)り、それでも明解な一論に辿り着

けないまま二論が残る。つまり、道理(ゾルレン)の下に存在(ザイ

ン)があるのか、否、それとも逆なのか。更には、国が存在するから

人の暮らしがあるのか、それとも人が存在するから国が生まれたのか。

権利と義務はどちらが優先されるか、個人の自由と社会の秩序はどち

らが重いか、秩序とは自然に存在するものか、それとも人が作り出し

たものか等々。知性がいくら過去に訊ねても真偽を得ることなど出来

ない。それにも関わらず、族閥を偏重し身分秩序に拘るこの国の「自

虐」道徳は、その由来を原始道徳である支那の儒教に求め、というの

はその原則は全て「力は正義」「早いもん勝ち」なのだ、結果、人々

は卑しいまでに謙(へりくだ)り「何故そうしなければならないか?」

を説かれないまま犬のように腹従させられて人格を蔑(ないがし)ろに

される。権力に媚び身分に諛(へつら)い序列に従うことを強いる自虐

道徳に惑溺した閉塞社会から、新しい未来を切り開く若者が生まれて

くる訳がないではないか。我々に決定的に足らないのは、足元だけし

か灯さない記憶だけを辿った安っぽい知性に委ねられた人間関係をそ

の上から照らし出して俯瞰させる、太陽のような理性だ。

「アメリカなんて簡単だよ」

何時かシカゴはそう言った。

「何で?」

「誰が創ったかって直ぐ解かるもん」

「ああ、神でないことだけは確かやな」

「そう、アメリカはアメリカ人が創った」

「それでもピューリタンの伝統は残っているやないか」

「あるね、確かに。それでも神様だ聖人だっていう怪しいのはまあ

存在しないから」

「日本人は棄てられんのや、そういう伝統みたいなもん」

「コレクターなんや、きっと」

「あっ!そうか、伝統文化のコレクターオタクなんや」

「たしかに国中足の踏み場もないほど伝統で溢れかえってる」

「同じ東洋人でも中国人は権力者が代わったら前の文化は全て壊し

てしまうって、司馬遼太郎が書いてたけどなあ」

「それ解かる、あっちにもいっぱい居たけど、奴らセルフィッシュ

やってアメリカ人にも言われてた」

「アメリカ人にそう言われたら本物やで。中国人は宗族主義やから

な。確か孫文も国家意識が生まれないって嘆いていた。」

「へーっ、あんた読書家やね」

 おれとシカゴは長い休憩を終えて再びライブを始めることにした。

「やる?」

と、おれが聞くと、シカゴは、

「やるよ!せやかてまだ一円にもなってないで」

そうだ、おれ達は衣装まで揃えて出資してまだ一円の収益も上げて

いなかった。

 真夏の舞台を照らし続けた太陽は、そのエンディングが迫ってい

るにも係わらず澄んだ秋空に励まされて日差しを強め、頂点に昇っ

て少し休んでから降りはじめると、俄かに人出も増えはじめ、人気

のストリートパフォーマーは多くのストリートオーディエンスに囲

まれて汗を垂らしながら自分のライブを熱唱していた。

「やるか!」

と、おれが言うと、シカゴは、

何も言わずにギターを取った。そして得意のブルース・スプリング

スティーンを歌い始めた。すると、離れて様子を窺っていた馴染み

の娘らが痺れをきらしたように集まって来た。彼が歌い終わると、

おれは左腕を彼の方に向けて、

「紹介するわ、今日デビューしたばかりのシカゴです!」

すると、彼女達は拍手をしながらもローディング中のCPのように

身動ぎせずただジーッと彼を見ていた。彼女らの頭の中に何がイン

プットされようとしているかはおおよそ見当がついた。シカゴのシ

ュッと通った鼻筋や何処までも伸びる長い脚、更にはネイティブな

発音の英語の歌に彼女らは股間を緩ませるに違いない。そして、

おれの見当どおり、シカゴというコンテンツをダウンロードした彼

女達は彼の歌声に酔い痴れて、好奇心のポインタで彼のアバターを

なぞっていた。気が付くと天然の照明は天守閣の向こうに落ちよう

としていた。二人とも時間を忘れて歌い、小声で話せないほど喉を

広げて唸っていた。そして、ギターケースの賽銭箱には信者からの

有り難いお賽銭が唸っていた。シカゴとおれは掌を合わせてそれを

拝んだ。こうして彼の城天デビューは先ずは大成功に終わった。

                                (つづく)  

「バロックのパソ街!」 (十五)

2013-01-21 02:44:45 | 「バロックのパソ街!」(十一)―(十五)



                (十五)



「ほら、古木・・・」

祭りの後片付けをしながらシカゴがおれに声をかけた。おれはギタ

ーケースのお賽銭を掴んではコンビ二袋に投げ込んでいた。どうし

て人は金を弄(いら)ってる時には周りのことが見えなくなるんだろう

か。シカゴに言われて顔を上げるとアンちゃんの妹が、縄跳びの輪

の中に入り逸(そび)れて何時までも佇(たたず)んでいる女の子の

ように所作無く立って居た。

「あれっ、どうしたの?」

おれが屈み込んだままそう言うと、

「こんばんは」

と別世界から答えたっきり畏(かしこ)まって黙り込んだ。

「あっ、『城天』見に来たんか?」

そう言うと小さく頷いた。彼女は学校の制服のままカバンを正面に

提げてその柄を正しく両手で握り締めていた。カバンの下から覗い

てる白い靴下が眩しかった。おれは腰を起こして立ち上がった。

立ち上がると彼女は後退りした。

「おれ等のライブ見てくれた?」

また頷くだけだった。

「何や、言うてくれたらええのに、来てんの知らんかったわ」

彼女は答えずにただ頷くばかりで、その頷く意味が全く理解できな

かった。

「アッ!思い出した、良子(よしこ)ちゃんや、なっ!」

「はい」

「何んや、やっと答えてくれたわ。久し振りやなぁ、元気にしてた

?」そして、「あっ!そうや、シカゴ紹介したるわ」

そう言って彼の方を振り返ると、彼女はそれを拒むように、

「あの―、実は、相談があるんですけど・・・」

と急に早口で喋った。それは独りで何度も暗誦してきたセリフ

みたいだった。

「えっ!相談?」

「あの―、ここでは出来ないので兄の部屋まで来てもらえませんか?」

「え?ああっ、別にええけど・・・」

アンちゃんの部屋は彼が居た頃のまま残されているとお母さんから

聞いていた。ステージを片付けてから、シカゴと約束していた打ち

上げを断って、良子ちゃんが待つアンちゃんのマンションへ行くこ

とにした。するとシカゴは、

「何や!祝杯あげへんの?」

「ちょっと、用事がでけたんや。ゴメン」

「どんな用事?」

「まあ、ええやないか」

「あれっ?言うてくれへんの、水臭さ―っ!」

「悪い!今日は水に流してまた今度水入らずでしようや」

それでも、おれには良子ちゃんがどんなことで悩んでいるのか皆目

見当がつかなかった。ただ、思い詰めた彼女の眼は、市役所の動

物愛護(?)センターで殺処分を待つ犬のように何かを訴えている

眼だった。おれはシカゴを城天に放置してアンちゃんのマンション

に向かった。

 「相談があるんですけど・・・」良子ちゃんはそれだけしか言わ

なかった。つまり、部屋には彼女ひとりだけとは限らなかった。

「しまった!もう少し聞けばよかった」と思いながらエントランス

のインターホンで、一時は入り浸っていたアンちゃんの部屋の番号

を押した。

「古木です」

良子ちゃんは何も言わずに玄関ドアのロックを解錠した。馴染みの

エレベーターも心做しか冷たく感じた。部屋の前でチャイムを鳴ら

すとすぐに部屋のドアが開いた。すると、生活感のない脳の視床下

部を刺激する香りが部屋の中から漂ってきた。

「すみません、呼び出して」

良子ちゃんは学校の制服を着替えて、紅いТシャツに紺のショート

パンツ姿で現れた。後ろで纏めてあった髪は解かれて、城天で恥ず

かしそうにしていた彼女とはとても思えないほど大人びて見えた。

良子ちゃんは加減を越えたパヒュームばかりか口紅まで差していた。

「部屋を間違えたかと思った」

そう言うと嬉しそうに笑ったが、その笑い顔にはまだ少女っぽさが

残っていた。

「どうしたん?相談って」

こっちから先に切り出さないと永遠に相談にのる機会を失うかもし

れないと、つまり相談なんてどうでもよくなってしまわないうちに、

進路相談の担当教師のような素っ気ない聞き方をした。すると、

「中に入って下さい」

彼女はおれの言葉を無視して、どちらが年上かわからないほど冷静

に部屋の奥へ案内した。彼女が悩みを打ち明けてくれないので相談

員のおれは言葉を失って黙ってソファに座った。正面の奥には笑っ

てるアンちゃんの遺影と新しい花が飾られた祭壇があった。

「あっ!そうや、アンちゃんに挨拶せんと」

そこに気付いた自分が一歩社会人に近づいた思いがしたが、さて祭

壇には遺骨は置かれていたが、パーカッションの類いが何もなく蝋

燭や線香すらなかった。仕方がないので横に立掛けてあるアンちゃ

んが愛用していたギターの弦を爪弾いてから掌を合わせた。

「無信仰やから何もするなって、お兄ちゃんが」

彼女がアイスコーヒーのグラスを二つ持って来て、一つをアンちゃ

んの祭壇に置いた。

「それはおれもしょっちゅう聞かされた」

アンちゃんは儒教は言わずもがな、自殺者の一人も救えんくせに来

世での救済を説く仏教も批判した。そのくせ「死人の上前を撥ねた」

上がりを世襲すると罵った。良子ちゃんはもう一つのグラスをおれ

が座っていた前のテーブルに置いた。

「どうぞ」

おれはソファに戻ってアイスコーヒーを口に含んだ。そして、良子

ちゃんはおれの前に立ったまま、突然こう言った。

「実は、相談というのは、私とセックスしてくれへん?」

「ブッふぁ―ッ!」

おれは驚きのあまり口に入れたコーヒーを誤って鼻孔へ流し込んで

吹き出してしまった。それはまるでド真ん中のストレート勝負を挑

まれて手も足も出せない打者のように言葉がなかった。それでも彼

女は落ち着いていて、テーブルにあったクロスで拭こうとしたが、

おれはそのクロスを引き取って自分の粗相を始末しようと屈んだ。

すると目の前にはショートパンツから伸びた彼女の脚が塩化ビニー

ルのような光沢で艶やかに聳えていたが、それ以上見上げることが

出来なかった。

「嫌っ?」

「どっ、どうしたん?急に」

「やっぱり嫌なんや」

「いっ、嫌やないけど、急に言われた誰でもびっくりするやろ」

「そしたら、してくれる?」

おれはそのストレートの球には手を出さず、

「きれいになったね」

そう言って彼女の肩に手を伸ばすと、良子ちゃんはギラついた眼を

ゆっくり閉じた。その彼女の背後ではアンちゃんが笑っていた。

 ところが、良子ちゃんにとっておれは単なる手段にすぎなかった。

キスを交わした後で、

「ごめん、歯磨いてくれへん?」

タバコ臭いと言われた。

「歯ブラシないで」

「ある」

彼女は「おれ用」の歯ブラシまで用意していた。おれはエサを前に

「待て」と言われお預けを強いられた座敷犬のように、その気など

端からなかったように装いながら、

「ごめんごめん、ライブやると無茶々々タバコ喫うてしまうからな」

そう言ってバスルームに行くと、今度はバスタオルと陳列用のフッ

クが付いたままのブリーフを渡された。おれはもう女王様の命令に

はどんなことでも従おうと思った。シャワーを浴びただけでは納得

できないと言うのであれば香水を頭から浴ったて構わなかった。臭

いというのは不思議で人が鼻を曲げる程には自分の臭いに気付かな

い。それどころか自分だけはそれほど臭わないのではないかと思っ

てしまい、やがて他人もそうなんじゃないかなどと、とんだ勘違い

に到る。この臭いに対する認識の違いが自己と他者の差異を生む根

源なのだ。そして、他人の臭いが許せる許せないの分水嶺を人はど

のような条件の下で、環境や習慣や体調や利害、或は人間関係とい

った全く臭いとは関係のない理由で、受容したり或は拒絶したりす

るのかという研究は、心理学や行動学においても等閑(なおざり)に

扱われていることが信じられない。凡そ我々が愛着を感じる匂いと

はクサイのだ。そして共同体とはその臭いを共有することである。

「はい、これっ」

良子ちゃんはバスルームから出てきたおれにコンドームを差し出し

た。そんなものまで用意していたのだ。

「何これ?」

「それ、つけて下さい」

「付けられないよ」

「どうして?」

おれは彼女が用意したブリーフを履いていた。元々はトランクスし

か履かなかったが、彼女がブリーフを隆起させて反り返る男根に妄

想を逞しくしているので女王様に従ったが、そのブリーフを下ろし

て萎えた風船を曝してやった。

「キャ―っ!」

「ほらっ、付けられへんやろ」

「何で大きならへんの?」

おれはその原因を彼女と一緒に丁寧に探りながらコトは始まった。

「ほら、ここで付けるんや」

もう良子ちゃんは何も聞いていなかった。そして、良子ちゃんが女

に生ろうとしているベットは、かつて、おれが彼女のお兄さんに誘

われて初めて男に成ったベットでもあった。ただ、アンちゃんが笑

ってる写真はこの部屋からは視線が届かなかった。

 おれは良子ちゃんと合体して、世界征服を企(たくら)む悪人共を

やっつけようと愛とセイギの為に立ち上がった。しかし、横の壁か

ら悪人どもの嘲笑うような声がした。

「・・・ゲキョウ、なむみょう・・・、南無妙法蓮華経、南無・・」

「何、あれ?」

良子ちゃんは合体に集中してそれどころではなかった。作業を一時

停止して彼女の頬を叩いて気付かせると、

「ええっ?」

「何か聴こえるで」

良子ちゃんが言うには、隣の部屋のおばあさんがお経をあげている

というのだ。おれが、アンちゃんが居た頃はそんなことはなかった

と言うと、どうもアンちゃんが死んでから入信したらしい。おれも

隣のおばあさんとは何度か廊下で出会って挨拶を交わしたが、年は

いっていたが穏やかな人柄で、何よりもアンちゃんを孫のように可

愛がっていた。

「出てくるんだって、お兄ちゃんが夜になると」

「ほんとっ!」

「管理人さんから聞いたんやけど、お兄ちゃんがこっちへ来いって

呼ぶんやて」

「どうする?」

「えっ!」

「やめる?」

「いややっ!」

良子ちゃんはおれの身体を引き寄せた。まったく大阪に住む者は宗

教などを畏れていては暮らしていけない。夕方に裏通りを歩けばこ

の種の独唱は何時でも聴ける。いや独唱どころか輪唱も時にはコー

ラスさえ耳にする。休みになればそれぞれの新興宗教の信者が新聞

の勧誘員と競うようにして家々を訪れ、人々は洗剤ではなく霊験に

縋って三ヶ月契約で入信し「あすこはご利益がない」と言っては別

の神仏に乗り換えるのだ。高校野球を観れば一目瞭然で、大阪と謂

わず関西から甲子園に出場するのは神仏の加護に縋る高校ばかりだ。

さながら大阪は新興宗教のメッカ(?)のようだ。ただ、それほどま

でに神仏が蠢き信仰に篤い人々が集いながら、何故か大阪の街の暮

らしは悪くなる一方だ。

「音楽流そうか」

たまたまCDに入っていたアンちゃんの唄をかけてボリュームを上

げて再始動した。すると、おばあさんはその歌を「祓い」除けるか

のように更に大きな声で唱え出した。

「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、・・・・」

しかしおれも愛とセイギの為に止めるわけにはいかなかった。おれ

はおばあさんのお経に負けまいと必死で合体し続けた。おばあさん

もまるで二人の動きを見透かしているかのように早口で唸り始めた。

いつの間にかおれはおばあさんが唱える五字七字のお題目のリズム

に合わせて腰を動かしていた。良子ちゃんも我を忘れて節目ごとに

喘ぎ声を発した。全く関係ない話しだが、民謡の合いの手はこれが

由来に違いない、そう思えるほど三人の息が合っていた。一回裏表

の攻防が終わるとおばあさんも同じように休んだ。我々が再びCD

をかけて二回の攻防を始めるとおばあさんは遅れてならじと応援席

からお経を唱え始めた。我ら愛とセイギの味方と世界征服を企む教

団の闘いは熾烈を極め、二人は不浄を祓うお経の中でさながら冥府

魔道に堕とされた餓鬼のように求め合い、深夜を過ぎても決着がつ

かず夜が白み始める頃、遂におばあさんのお経も絶えて、戦いは若

さに優る我々の五回裏コールド勝ちで決着した。悪人どもから愛と

セイギを守った二人の戦士は、世界が黄色くなってしまったことに

驚いたが、夕方まで死んだように眠った。

 良子ちゃんが聞いたところによると、あの夜、おばあさんはいく

らお教を唱えてもアンちゃんの呼ぶ声が消えなかったらしい。どう

もアンちゃんのCDを流したのがいけなかった。

 それから、良子ちゃんは路地を歩いていてあのお経が聴こえてく

ると欲情すると罰当たりなことを言っては、おれがライブをしている

城天に現れた。それでも良子ちゃんの眼は、新しい飼い主が現れ

て間一髪でガス室送りを免れた座敷犬のように穏やかさを取り戻

した。一方、おれは、何も明かす必要もないのだが、あの日から

下着を長年愛用していたトランクスから女王様お気に入りのピッチ

ピチのブリーフに変えた。

                                  (つづく)