「あほリズム」
(73)
世界が存在して私が存在する。世界は私に先行する。ところが、私
が世界の意味を問う時、私の思考が世界に先行する。つまり、我々が
意味を問うということは自分を先行させる為の遡行(そこう)であり、
世界との関係性を転換させることである。
(74)
「実存は本質に先行する」ということは、本質は実存に委ねられて
いる。つまり、真理や秩序などといった絶対性が我々の存在を超えて
在るのではなく、ただ、我々の理性がそれを追い求めているのだ。
(75)
真実は一つであるというのは絶対主義者が求める妄想である。視点
が相対化すれば、真実も相対化する。
(76)
AがBを認めてその意味を問う時、Вに意味があるのではなくAが
求める意味にBが合致しただけに過ぎない。紙を切ろうと思ってハサ
ミを思い浮かべるのはハサミに元々意味が備わっているのではなく、
紙を切ろうとする主体の意味にハサミが合致するだけだ。我々が生き
る意味を自分自身に問うても、我々がまずその意味を見出さなければ
自分自身はそれに答えることが出来ない。我々が世界の意味を求め
ても我々がその意味を見出さなければ世界は何時までも無意味である。
(77)
つまり、生きることに意味がないのではなく、ただ、自分が生きる
ことに意味を見出せないだけなのだ。
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(73)
世界が存在して私が存在する。世界は私に先行する。ところが、私
が世界の意味を問う時、私の思考が世界に先行する。つまり、我々が
意味を問うということは自分を先行させる為の遡行(そこう)であり、
世界との関係性を転換させることである。
(74)
「実存は本質に先行する」ということは、本質は実存に委ねられて
いる。つまり、真理や秩序などといった絶対性が我々の存在を超えて
在るのではなく、ただ、我々の理性がそれを追い求めているのだ。
(75)
真実は一つであるというのは絶対主義者が求める妄想である。視点
が相対化すれば、真実も相対化する。
(76)
AがBを認めてその意味を問う時、Вに意味があるのではなくAが
求める意味にBが合致しただけに過ぎない。紙を切ろうと思ってハサ
ミを思い浮かべるのはハサミに元々意味が備わっているのではなく、
紙を切ろうとする主体の意味にハサミが合致するだけだ。我々が生き
る意味を自分自身に問うても、我々がまずその意味を見出さなければ
自分自身はそれに答えることが出来ない。我々が世界の意味を求め
ても我々がその意味を見出さなければ世界は何時までも無意味である。
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つまり、生きることに意味がないのではなく、ただ、自分が生きる
ことに意味を見出せないだけなのだ。
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