「明けない夜」
(八)
「社会を捉えなおす」―⑫
これまで述べてきたように「世界限界論」は近代文明の限界である
。それはエネルギー資源の限界、世界人口の限界、地球環境の限界な
どによって自由主義経済が限界に到ってやがて世界経済が行き詰る。
それらの問題は国家単位の対策では解決することができない。さらに
言えば、COP(Conference of the Parties)のような締約国だけに
よる規制では間に合わなくなる。世界的規模でのエネルギー資源の配
給制や、人口制限、地球環境の保全などをそれぞれの国家の自由に委
ねるわけにはいかない。やがて国際的なガバナンスが求められ世界政
府による強制的な規制の下で、その全権を奪われた国家は自由主義経
済が成り立たなくなり世界政府に取って代わられる。こうして「世界
限界論」が求めるのは何よりも自由の制限であり、かつて旧ロシアの
革命家レーニンは「自由は大事である。だから平等に分け合わなけれ
ばならない」と言ったが、自由が平等に分け与えられた社会とは、ま
さに社会主義そのものである。つまり「世界限界論」の下で人々が平
和を望み、つまり誰のものでもない領土や資源を奪い合う戦争をせず
に、なお近代文明を手放すことができないとすれば、世界政府が目指
す体制は必然的に社会主義世界で、それはイデオロギーに基づく転換
ではなく、世界限界という事実存在による転換であって思想対立の余
地はない。
(つづく)