(五十一)
バロックの居無くなった広場は、ストレスを発散する為に深夜まで
人が盛ることが無くなり、治安を守る人々は一応に胸を撫で下ろし
た様だが、私はそんな風には思わない。人は社会で暮らす限りス
トレスを感じずに生きる事など出来ない。それはCO2の問題に似
ていて、ストレスの発散は此処で押さえ込んだとしても他所で噴出
すだけだ。ただ、此処の治安を気に掛ける人々のストレスは間違い
なく減ったに違いない。
バロックからのメールは何度か届いたが、彼の居場所は落ち着
か無かった。地方から東京へ出て来る者は、西から来る者は東京
から東の地理に疎く、東京を越えてさらに東に行くことに抵抗が
あり、同じように東から来る者も東京を越えて西へ行こうとしな
い。それは東京という目的地を通り過ぎて東京から離れることに
不安を覚えるからではないか?もちろんそんなことを調べたわけ
ではないがそんな気がする。バロックは関西の人間なので、西へ
行ったものと思っていたら、彼は果敢にも地理に疎い「みちのく
に」への奥の細道をなぞっていた。
バロックが居なくなったからといって、広場のパフォーマーが
居なくなった訳ではなかった。いや、かえってバロックを真似た
シンガーたちの熾烈な競争が始まっていた。それでも若いシンガ
ーたちが幾ら上手く真似ても、確かにソツなく演っているが、フ
ァミレスの蝋細工で出来たサンプルのように、臭いがしなくて物
足りなかった。彼等の声は大量生産されたように一様で、自分の
声に対するコダワリが無く女性的で、バロックの濁った声のよう
な個性的な者は居なかった。その中でも人気を集めていた、いつ
も尾崎豊を唄う若者が私の路上画廊に来て言った、
「アートさん、サッチャンがここへ来るらしいですよ。」
「何時?」
「明日!」
「えっ、ほんと!」
忘れていたがサッチャンの「エコロジーラブ」はCMソングに
使われるほどヒットしていた。彼女は我々と違って悪行に手を染
めなかったが故に、路上から天上への蜘蛛の糸を伝って昇りきっ
たのだ。私はテレビの「お笑い」歌番組をほとんど見ないが、そ
れでも彼女をテレビで何度か見たことがある。ただ、彼女の成功
は余りにもデジタルな展開だったので感慨も何も無かった。
コタカ、我々は尾崎豊の彼を「コ」タカと呼んでいた。それは
、彼が書くユタカの「ユ」の字が「コ」にしか見えなかったから
。「コタカ」の説明では、テレビの歌番組で、彼女がデビュー前に
歌っていた路上でヒット曲「エコロジーラブ」を歌うところを収録
するらしい。私は驚いて、バロックにメールをした。するとバロッ
クは、
「知ってる。」
「えっ!知ってたの?」
バロックはサッチャンがここに来る事を、「旅を栖(すみか)とす
る」前から知っていたのだ。
(つづく)