「あほリズム」
(567)
「何だこれ、ブロガ―自身の出入りを訪問者としてカウントしたら
意味ねーじゃん」
「あほリズム」
(567)
「何だこれ、ブロガ―自身の出入りを訪問者としてカウントしたら
意味ねーじゃん」
「あほリズム」
(566)
はっきりしていることは、近代科学文明は永続性のない文明である
ということである。つまり何万年後には人間は、もちろん絶滅してい
なければの話だが、決して今のような社会生活を営んでいないという
ことである。
かつて人々は信仰に救いを求めたが、今では我々は楽して生きるこ
とでしか救われない。だが、未来の人は誰一人としてそんな風には生
きていないだろう。
「あほリズム」
(564)
AI社会を超えるには与えられた退屈な幸福を拒むこと、
敢えて厳しい不幸を受け入れること。
自分の意志で生きること。
(565)
「google」 のニュースを見ていると、私の関心のある記
事を見事にピックアップして並べてくれる。始めの頃はとて
も満足してクリックしていたが、この頃何だか操られている
ようで不満を覚えるようになった。つまり、私の知りたいこ
ととは私にとって未知のことであるはずだが、しかし、関心
のあることだけが知りたいことのすべてではないし、それど
ころか関心のない情報に接する時の方が思いがけない関心が
芽生えて、むしろそっちの方が本来のNEWS(新しいこと)な
のかもしれない。AI化によって自分が知りたい情報だけを
先回りして「おもてなし」されると何か後味の悪さが残る。
「おもてなし」も限度を超えると鬱陶しくなる。
「あほリズム」
(563)
動物たちは、自分が死ぬことなど知らないとよく言われるが、
たぶんそれは間違いだと思う。人間のように理性では理解してい
ないかもしれないが、本能的には分かっているに違いない。自分
がいずれ死ぬことを理解しているにもかかわらず人間は所有に執
着するが、彼らは何も残さずに未練なく死ぬ。
「アメリカがすごかった頃」
夕方に車を走らせて、ラジオのスイッチを入れるとFMから渋谷
陽一のDJが聴こえてきて、聴くとはなしに聞いていると、ザ・バ
ンドの「The Weight」が流れてきた。突然の懐かしい曲にボリュ
ームを上げた。
The Weight - The Band (lyrics)
かつて、日本の若者たちがアメリカへの強い憧れを抱いたのはアメ
リカンポップカルチャーであり、分けてもアメリカンポップミュー
ジックの魔法に罹らなかった若者は皆無に等しかった。確かにあの
頃の《自由の国》アメリカはこの国の「腐儒の腐説」(福沢諭吉)に
よるリゴリズムにウンザリしていた若者たちにとって魅力的だった。
私は彼らの解散ライブの映画「ラストワルツ」を観ながら何かが終
わったような気がして涙を流しながら観た。間もなくしてジョン・
レノンが凶弾に倒れて、それは親の死よりも衝撃的で、何か大きな
支柱のようなものを失ったような気がして、その後のミュージック
シーンに集中できなくなった。私が「ああ、終わったな」と思った
時は、ジョン・レノンの死とテレビゲームがブームになった時だ。
あれから40年以上経って、今やアメリカはもちろん未だ大国に
は違いないがかつてのような勢いを失い、その象徴のように彼らは
自分たちが共有できる音楽を生み出すことができなくなった。つま
り、自分たちの音楽を生み出せなかったことがアメリカを没落させ
たのではないか?