(百十一)
日頃より信心を侮(あなど)る者の祈りはやはり届かず、その後
の列車ダイヤは大幅な遅れや運休が出て、今日中にバロックの処へ
辿り着くことが出来なくなった。逆に願いを叶えたお父さんは満足
げに「仕方がないさ」と何度も私とサッチャンを慰めた。そして直
ぐタクシーを捕まえて彼の家へ連れて行った。街の様子はまさに四
十七都道府県分の一で、覚えを無くして当てずっぽうにその名前を
言ってたとえそれが誤っていても、そのことを恥かしく思い返すこ
とは無いだろうと言えるほど安易に東京を「コピペ」しただけの心
に係らない街だった。それでもお父さんは熱心にタクシーの前席か
ら行く手を指しては街の案内をしてくれて、お陰で退屈せずに街の
外れに在る彼が暮らす住まいへ、頻りに我々を招く彼の家に到着し
たら、何とっ!それは教会だった。しかも彼はその教会の牧師だと
言う。私の祈りが叶う筈がなかった。
私とサッチャンは、ほころびかけた桜の下を通って娘さんに従っ
て礼拝堂とは別の質素な建物へ、広い敷地には幼稚園から福祉施設
まで手広く、否、手厚く設けられていて礼拝堂が無ければ公共施設
と見紛うばかりの二階建ての建物へ案内された。彼女は二人を二階
へ導き、来客用と思われる洋風の部屋のドアを開けた。そして、
「ほんと勝手な父でごめんなさいね、ご予定もお在りでしょうに」
「とんでもない、招いて頂かなければ途方に暮れるところでした」
それから彼女は部屋の説明をしながら、お父さんの人柄やら手掛け
ている事業やら、そう言えばサッチャンをテレビで見たことを思い
出したとか、「わたし実は地震が大嫌いなんです」とか、グアムへ
行ったことがあるかとか、食べ物は何が好きかとか、此処の土地柄
だとか、お友達は何故そんな山の中で暮らしてるのかとか、民主党
の政治をどう思うかとか、東京では何が流行っているのかとか、一
言にすれば他愛もない話しをサッチャンと交わした後、
「どうぞご自分のお家のように遠慮なさらないで」
そう言い残してドアの向こうに消えた。私とサッチャンは当然の様
にカップルと思われていた。しかし、それよりも私はお父さんが電
車で語った実存主義的な思想と、教会の牧師という職業(?)がど
うしても結びつかなくて、狐に抓(つま)まれた思いがした。
「お待たせして申し訳ない」
娘さんがドアの向こうに消え、随分経ってからそのドアから現れ
た黒装束の牧師を気軽に「お父さん」とは呼べなかった。彼はグア
ム島から戻って来た事を報告しなければならかったらしい、恐らく
「ネ申」に。
時間を持て余した私とサッチャンは、窓の外の弾けんばかりの蕾
を付けた桜の枝越しに未だ春が遠い残雪の山々をしばらく眺めてい
たが、サッチャンはバスルームに引き篭もり、私は買ったばかりの
ノートパソコンを弄(いじ)ったりしていた。それは部屋の真ん中
に置かれた二つのベッドが二人の意識を徒(いたず)に遠ざけたか
らだ。
お父さんが聞いた。
「ここは初めてですか?」
「コンサートで何度か来た事があります」
「私は初めてです」
彼はこの街が自慢らしく我々の観光案内を買って出た。すぐに黒装
束のを脱ぎ捨てて牧師から「お父さん」に戻り、娘さんが運転する
ワンボックスカーで郊外や旧い町並みを巡るうちに市街地とは違う
情緒ある景観にお父さんの土地への愛着が少しずつ解かってきた。
訪れる観光客は用意された名所や名跡の「美しさ」ばかり巡って、
暮らしの中にある情景に触れることなく通り過ぎる。しかし、その
土地の好さや温もりはそこで暮らす人々の中から生まれてきたのだ。
ただ観光客は檻の外から眺めるばかりで決して暮らしに触れようと
しない。人と語らずにその土地の好さはわからないのだ。私は、ホー
ムレスという社会関係者以外の立場を弁(わきま)えて立ち入ること
を躊躇(ためら)っていたが、自らを蔑んで人を遠ざける誤りに気付か
された。
日が落ちて、古くから営まれる料理屋に落ち着いた。お父さんは
名の通った人物らしく私とサッチャンは彼の客として丁重に扱われ
た。神に仕える身でありながら、やがてお父さんは牧師という肩書
きまで脱ぎ捨てて上機嫌になって、頻(しき)りとサッチャンの歌を
褒め称えた。そして、
「ぜひ礼拝の賛美歌を歌ってもらえないだろうか?」
何だそういうことだったのか。そして再起を目指すサッチャンはど
んな場所でも、路上だって電車の中だって、聴いてくれる人が居れ
ば歌う決意をしていたのでよろこんで引き受けた。
お父さんはもう現役を退いて後を息子に任せていた。幼稚園や福
祉介護施設は全て彼の息子が始めた事業だった。お父さんは自身が
関わっていた障がい者施設に力を入れていたが、それをきっかけに
して息子が発展させた。ただ、営利に敏(さと)い息子には批判的
だった。ある日教会の看板の十字架をスプレーで¥マークに落書き
されたことがあったらしい。人は見ているんだよ。信仰を語って誘
(おび)き寄せ弱みを握んで説教を垂れ、挙句上前を撥ねるのは畜
生にも劣る最も卑しい人間のすることだ、と強い口調で言った。そ
れを聞いていた娘さんが急に立ち上がってサッチャンを真似て歌い
始めるのかなと思っていると、そのまま手洗いへ行ってしまった。
食事が終わって和やかな会話も尽きた頃、サッチャンと娘さん、
つまり彼の息子の嫁さんは、私とお父さんを残して先に帰った。
私は、早速お父さんにどうして牧師に為られたのか聞いた。
「電車の中で、どこまで話したかな」
そう言ってから話し始めた。
彼は捕虜になってすぐにアメリカ本土の収容所へ送られ、大腿部
からの切断手術が行われた。壊疽(えそ)を起こしていて選択の余
地が無かった。手術は成功したが全く嬉しくなどなかった。それは
片足で生きなければならないから、否、死ねなかったからだ。
「仲間が皆死んでんだよ。生きたいなんて思わなかった」
終戦を知らされても何も感じなかった。グアム島の戦闘で日本が勝
てない事は解かっていた。許せないのは事実を隠して戦争を長引か
せたことだ。紙飛礫(つぶて)すら無いのに玉砕を強いて国民を巻
き添えにしたことだ。権力者が「一億玉砕」を強いて自国民をジェ
ノサイド(集団虐殺)へと向かわせようとした国家が嘗て存在した
だろうか。この国では国民を守る為に国家が在るのではない。国家
を守る為に国民が居るのだ。ただ、組織を護る為に事実を隠して事
態を悪化させるのはもうこの国の文化だね、絶対に改まらない。そ
う言って近頃の政界や経済界を槍玉に挙げ、この国の内向き志向を
嘆いた。
農家の四男坊だったお父さんは、切断した大腿部の傷口が塞がり
義足が用意され杖があれば自由に歩ける様になったが、自分だけが
生き残った負い目や文字通り家族の足手纏(まと)いになることを
怖れて、進んで日本に帰りたいとは思わなかった。そしてアメリカ
社会の豊かな生活とその豊かさを育む合理的な考え方に魅せられて
アメリカを離れたく無かった。そこでは、労働はあくまでも生活に
「仕え」、余裕のある生活は生産を産み、生産は雇用を創る単純で
理想的な社会に思えた。そして何よりも人々の関係に上下の拘(こ
だわ)りがないことに驚かされた。
ある日曜の朝、親しくしてくれた人に誘われて仕方なく教会の礼
拝に同行した。多くの人々が牧師の説教に耳を傾け、最も彼には言
葉が難しくてさっぱり解からなかったが、皆で賛美歌を歌い始める
と、何とそれはグアム島の米軍の施設であのアメリカ兵がハーモニ
カで吹いていた曲ではないか。その懐かしさに、彼はそれまで堅く
封じていた激戦の記憶が堰を切った様に甦って、共に戦った仲間の
無念を告げて死んでいく姿が浮かんできて涙が堪(こら)えられな
くなり、そしてすぐにその時の恐怖が襲ってきて緊張から意識を失
くし、義足では支えきれなくなってそのまま前方へ倒れこんだ。歌
は止められて人々が駆け寄り、牧師を始め全ての信者が敵の兵士で
あるにも拘わらず彼の苦しみを共に哀しみ、そして慰めてくれた。
「その時解かったんだ、この国の人々を支える社会理念というか、
社会の根本にある考えが」
「キリスト教ですか?」
「まあ、そうだ」
「それじゃあ、あなたが電車で語った認識と違うじゃないですか?」
「実はそれで私も悩んだ。あの戦闘は何だったんだと。もしも米国
がキリスト教徒の国でアガペー(神の愛)を唱える教義を実践する
なら、何故あんな惨(むご)い殺戮を行えたのかと。教義に反する
ではないか」
「ええ」
「ただ、そんな係わりが出来てしまったのでその後も仕方なく日曜
の朝には教会へ義足を引き摺った」
「はっはっ」
私は思わず笑ってしまったが、彼は気にせず続けた。
「そして今の私位の歳だったと思うがその牧師に訊ねたんだ」
「すみません、笑ってしまって」
「なに、笑わす為に言ったんだから」
「はい」
「えーとっ。そうそう、私は神の存在を信じません。あの戦場で堅
くそう思いました。そして、だいたい神の下で永遠の幸福を得んが
為に善を行うことを偽善と言うのではありませんか?キリストの教
えは偽善ではないでしょうか?そう訊ねた」
「ええ」
「すると彼は、その通りです、と答えた」
「えっ!認めたんですか?」
「そう。そして、それじゃあ貴方は神を信じないのに何故毎週礼拝
に来られるのですか?と訊き返した」
「ええ」
「私は正直に、実は皆さんに温かく迎えて頂いたのでそれに応えよ
うと思って仕方なく訪れてました、と告白した。すると彼は、それ
は偽善ではないですか?と聞いた。」
「ええ」
「神から見れば私は偽善者ですが皆さんへの感謝の思いは決して偽
善では有りません。すると牧師は、ここはただ神に善を誓う場所で
はありません、その行いを誓う場所です。そして、あなたが我々の
行いに応えようと共に集って下さることこそがイエスの説く善なの
です。善であるか偽善であるかは私にだって解かりません、ただ神
のみぞ知るです。」
私は、
「それじゃあ、神への信仰は偽りだって構わないんですか?」
彼は、
「私が善意から行うことも人から見れば偽善に映るかもしれない。
いや、そもそも善意などと言うのは偽善そのものかもしれない。考
えを行動に移そうとする時どうしても偽善が伴う。ほら、愛の告白
なんて偽善そのものじゃないか。愛そのものに偽りが無くても」
「社会的にはそうかもしれませんが、それではあなたはどうして神
への不信を越えられたんですか?」
「なに、未だに越えてなどいないさ。ただ、最後に牧師はこう言っ
た。あなたは信仰に真理を求めるが、信仰は決して真理を説くもの
ではありません。信仰とは悩める人に救いを説くものです。何故な
ら如何なる真理も悩みや迷いから人を救えないからです。我々は真
理に騙されるか、それともイエスに騙されるかです。」
牧師はそう言って日本語の新約聖書を彼に贈った。
「真理に騙される」という言葉に彼は興味を惹かれた。
「私はあの戦場の死臭の中で生死を彷徨いながら生きる意味を失っ
た。私は死ぬ外なかったんだ。ところが死ねなかった、生きなくて
はならなくなった。生きる意味を失ったにも係わらず生きなくてな
らない。ずい分とその矛盾に苦しんだ。真理はただ荒涼たる死の世
界を映すばかりだった。生きるということは私にとって大きな転向
だった。私は何か生きる為の理屈を求めていた。そんな時にその牧
師に出会った。真理によって世界を更新すれば人間は消え失せるに
違いない。人間は真理を越えた存在なのだ。牧師はそう教えてくれ
た」
「『実存は真理に先行する』ですね」
「サルトルか。それから私は必死で聖書を読んだ。神がどう世界を
お創りになったかなどどうでもよかった。どうせ嘘っぱちだ。ただ、
人間イエスの言動を知りたかった。そしてイエスなら信じても良い
と思った。そしてそのことを牧師に告げた。」
「神には絶対騙されたく無かったが、人間イエスになら騙されて
もいいかと思ったんだ。信じるとは騙されることだからね」
彼はそう言った。
こうしてお父さんは人間イエスを信じ牧師を目指した。そして、
「世界が意味を失ったのではない、私が意味を見失っただけだった」
「はあ?」
「つまり、私が認識を変えれば世界は意味あるものに変わるという
ことだよ」
「ええ?」
お父さんはその後、信仰によって認識を変えたようだが、既に、
私はアルコールによって意識を失いかけていた。つまり、お父さん
の言うことが皆目認識できなかった。
「それじゃあ、意味を失ったのは世界ではなく我々の認識の所為
(せい)だと言うのですか?」
「その通り!」
そう言ってお父さんは残った焼酎を煽った。
「ああ―っ、なんだ、我々が意味を見失っただけなのか」
「そうだ!」
「それじゃあお聞きしますが、この世界は一体どんな意味があると
言うのですか?」
「何をっ?わからん奴だな、そんなものは無いさ!」
「えっ!だって今意味が生まれるって言ったじゃないですか」
「そうだよ、全ての意味は私の認識から生まれるんだ。この世界に
意味など無いさ」
「エッ、え―っ?」
私は増々解からなくなった。
「だから、言ったじゃないか。意味というのはこの世界に無いんだ!
ただ、我々が意味を求めてるだけなんだ!」
「それじゃあ、我々がこの世界を意味の在るものと認めればすぐに
でも世界は意味の在るものに変わるとでも言うのですか?」
「そう言うことだ!」
そして、
「世界なんぞ十一枚に折り畳んでポケットへ入れて置けばいい。我
々は意識を変えるだけで世界を変えることが出来るんだから。イデ
アであれコギトであれ所詮我々の認識に過ぎない」
彼が言うには、世界に意味など無い、ただ我々が世界に意味を求
めているだけだ。つまり、我々が意味など無いと認識すれば忽ち世
界は意味を失くすが、意味を持って世界に向き合えば世界は我々の
認識に従って意味を語り始める。意味を生むのは我々自身なんだと。
「それじゃあ、自分勝手に生きていいというのですか?」
「まあそうだ」
「でもそんなことになれば社会が混乱するじゃないですか?」
「私は社会の生き方を言っているのじゃない」
「はい?」
「社会の中で生きる意味を求めるから自分を失うんだ」
「じゃあ社会を捨てろと言うのですか?」
「だから社会なんてポケットの中に入れて置けばいいんだ。自分の
生きる意味を自分以外に求めても仕方ないんだから」
「ええ」
「つまり、我々は世界をもっと小さく見た方がいい、ちょうどこの
位に」
そう言って横にあったオシボリを両手で摘んで広げた。
「俯瞰しろってことですか」
「そうだ!そうすれば自分の生きる意味も生まれてくるのではない
のかな」
「つまり、神の目線で見ろってことですか?」
「それだよ、君!」
(つづく)