(二)
季節の移り変わりほど自然の流れを感じることはない。我々の技
術がいかに進歩しても、春の始まりをカウントダウンすることは出
来ないんや。カウントテンになっても止まったり、更に後戻りさえ
する。それでも気が付かない間にゼロになって春は間違うことなく
訪れる。自然を科学と変換した人間は、すべての結果は原因から導
き出されると考えるが、その原因もまたある結果にすぎない。我々
は自然の流れの一部分を取り出して自分達の都合の好いように語っ
ているだけや。我々の豊かさとは自然の流れに逆うことなんや。も
はや我々は自然の流れのように生きることなど出来ないんや。おれ
がこんな山奥に流れて来たのも(おかしい?)自然の流れなんかや
なかった。
おれの親父は大阪で不動産屋を営んでいた。バブル最盛の頃は判
を押すだけで金が入ってきて、親父はよくその印鑑を「打ち出の小
槌」と言っていた。仕事が忙しくてほとんど家に居なかったが、強
くて頼りになる親父はおれが最も尊敬する人だった。彼の言葉に励
まされて勉強し中学の成績は親父も他人に自慢するほどだった。親
父とは歳の離れた若い母は穏やかな人柄で、成績のことをうるさく
言わなかったが兄より、そうそう、おれには5コ上の兄が居たんや、
彼より頭が良いと言ってくれた。希望する高校に入学した頃、親父
にオンナがいることが解かって、それから母がジッと考え事をして
いる姿をよく目にした。やがて親父が戻ってくる度に二人の言い争
いをする声がおれの部屋まで聞こえてきた。親父は思い通りになら
ないとすぐに力任せになった。苦々しく思っていたが、それで一旦
は事が収まった。ただ増々親父の足は家路から遠ざかった。しばら
くして母親から、親父の会社が大きな債務を抱えて倒産したことを
聞かされた。もちろん住み慣れた自宅も差し押さえられて、数日後
に明け渡さなければならなくなった。やがてマスコミはバブル景気
崩壊のニュースを頻繁に伝えるようになった。母と二人で安い賃貸
マンションに引っ越したが家財は生活できる最低限のものだけが残
された。母は家財と一緒に躊躇(ためら)うことなく親父も手放した、
そして躊躇いながら夜の仕事に就いた。
一夜にして転落を強いられた生活は、まるで空を飛んでいる鳥が
突然魔法を掛けられて魚に姿を変えられて、慌てた魚が胸びれをは
ばたかせながら落ちていくようだった。運よく水面に叩きつけられ
たと思ったら、水の中で自分に戻った。新しい暮らしは息がつけな
かった。学校から帰ると母は出勤した後で、鳩小屋のような部屋に
エサが置いてあった。おれが目覚める頃、母はたぶん魔法を掛けら
れる夢でも見ているのだろう、うなされて寝ていた。学校の成績は
魔法を掛けられた訳ではなかったが為す術も無く落ちていった。そ
れでも不思議と焦ったりはしなかった。本気を出せば何時でも追い
着けると思っていた。しかし、だんだん授業について行けなくなっ
て、気が付けば落ちこぼれていた。悔しさを慰めるように、記憶力
だけで能力を計る授業を蔑(さげす)みサボるようになった。国語
の授業が特に嫌やった。行かず後家の偽善女教師は、中勘助の「銀
の匙」に出てくる「とりよみ」を席順にやらせた。「とりよみ」と
は音読して読み間違いをすればそこで終り、次の者が変わって読み
繋いでいくんや。その頃おれは家庭の事もあって吃音(きつおん)
がひどかった。最初の授業で自分の番に廻って来た時、緊張から吃
(ども)って何度も同じ発音を繰り返した。それでもう終りだった
が何とか名誉挽回しようともう一度同じところで吃ると、蜘蛛の巣
女教師が、
「顔を真っ赤にして何をキッキキッキ言ってるの」
と言って、クラスのみんなが大声で笑った。その後「よみとり」の
ある授業はすべて欠席した。ちっ、ちっ、畜生!そのうち「声に出
さなくたって読みたい日本語」を書いてやるわい。ただ歌だけは何
故か吃らなかった。その頃流行っていた尾崎豊に憬れて母が居ない
夜中に一人でギターを弾きながら歌った。それは吃音を克服する為
の練習でもあった。酒気を漂わせて母が帰って来るのは朝刊が届く
のよりも遅かった。二学期の終りに担任から、このままだと進級で
きないと告げられた。酔っ払った母に伝えると母はさめざめと泣いた。
人望とはその人が困窮した時に顕(あらわ)になる。世間一般が
頭を下げて敬うのはその個人自身に対してでは無く、その人が持っ
ている権力や財力、つまり社会性に対してなんや。今の政治家や財
界人或いは知識人がその社会性を失っても、自らの個性で慕われる
人物が果たして存在するだろうか?利害を離れて人格そのものが人
々に敬われる人がどれ程居るんやろか。白昼にランプを掲げて捜し
歩いてももうそんな人物は居ないかもしれない。それはその人物の
問題なんか、それとも社会性を、力を失った個人など評価しない社
会がおかしいのか。ただ、間違いなく個人を尊重しない社会化、つ
まり蓄群化が進んでいると思う。
親父の会社が破綻して被害を被った関係者から親父の人望が漏れ
伝わってきた。バブル期絶頂の頃、不動産会社の社長と謂えば誰も
が勢いに乗じてその辣腕を揮(ふる)った。更に、老舗大銀行のト
ップまでが「向こう傷は問わ無い」などと檄を飛ばした為、向こう
傷を憚(はばか)って辛酸を甘んじて嘗めていたチンピラまでが、
出番だとスーツに身を窶(やつ)して弱い者相手の阿漕(あこぎ)
な地上げに血眼(ちまなこ)になった。金の力だけに靡(なび)い
ていた人々は、金を失くした親父に対して恨みを露(あらわ)にし
た。世間は親父を棒で突っつく事があっても、その棒に?まらせて
助け上げようなどとは努々(ゆめゆめ)思わなかった。親父はワシ
ら家族にも連絡せずに消息を絶った。
母は、東京の大学に通う兄が卒業して就職するまで何が何でも仕
送りしなければならないので、おれの留年をきっかけに学費の安い
公立高校へ転校してほしいと、泣かずに言った。やがて兄が卒業す
れば仕事に就くだろうから、そうすればお前の進学を賄うことが出来
るとその計画を語ったが、その後卒業した兄は就職出来ずにフリータ
ーで凌いでいる。我々家族は、表示の壊れた高速エレベーターに乗
っているような、何時地上に着くとも知れない降下を繰り返して、もし
かしたら永遠に地上には辿り着けないのではないかという不安と諦
(あきら)めに苛(さいな)まれていた。
どんな夢も希望も、「君にはその才能がない」と言われれば反発
もしたくなるが、「そんなお金ないから」と言われると仕方が無い
と諦められる。夢や希望を叶えられなかった責任は、自分の能力の
「所為(せい)」では無く、周りの所為に責任転換できるからや。
公立高校の編入試験を受けてめでたく進級できたが、親父に誓った
夢は前の学校に忘れてきた。2コあった夢は、夢Аはもともと親父
が勝手に期待したもので、浮き沈みの激しい仕事からおれに国家資
格を取るように勧めた。しかしバブル経済崩壊後の金融危機はそん
な進路も崩壊させた。ただバブル期にその予兆はあった。生活の中
で、誰もが金はあってもその使い道が無かった。それでも誰もが大
金持ちの夢を見た。当然、金は投機に流れ還流された金で再び金を
売り買いしていた。あの頃の大阪は異様な空気が漂ってた。金に纏
(まつ)わる信じられない事件が頻発し、金儲けに取り憑かれた亡者
や、新興宗教に取り憑かれた信者が如何わしい勧誘に回っていた。
しかし大阪は何でこんなに新興宗教が多いんや。他人の話しにも気
軽に付き合ってくれるから誘い易いのかもしれん。大阪では金持ちに
は怪しい儲け話の誘いが、貧乏人には怪しい幸福への誘いが持ち掛
けられる。バブル期に人々が追い求めていたのは結局は現実からの
逃避やったんや。豊かな暮らしを求めて只管(ひたすら)頂上を目差し
て這い登って来たら、頂上は靄(もや)がかかって何も見えない。ああ
っ、せめて一瞬でも晴れ々々とした気分で頂上からの景色を眺めたか
った。そうでなければ降りるに降りれぬ。そんな報われない悔しさが
投機バブルに殺到した。あれから二十年経ったが我々は現実を取り
戻したんやろか?閉塞感は今に始まったことやない、二十年前から
ずーっと続いているんや。そして大阪で起こった事は日本中で起こり、
日本中で起こった事はアメリカでも起こった。恐らく今後二十年、アメリ
カ社会は目的を見つけられぬまま低迷するやろ、今の大阪のように。
夢Вの方は、シンガーになることやった。夜中に部屋でギターを
弾くと苦情が来たので、学校の音楽室が使える軽音楽部に入った。
尾崎豊のコピーは部員のみんなから絶賛された。その頃、大阪の若
者がなりたい職業は、夢Аは大阪府の公務員、給料以外に様々な手
当てが付いた。夢Вは吉本の漫才師、一発当たれば高額のギャラが
入る(?)が、しかし、漫才がうけなかったら二「人」三文。
あっ!そうかっ、夢というのは現実逃避のことやったんや!
(つづく)