「あほリズム」
(817)
科学の疚しさはゴミ問題に尽きる。そして、人間の生産活動には
ゴミの排出が必然であるとすれば、それは近代人の疚しさである。
(818)
これからは、如何にして新しい「モノ」を生むかよりも、それが
如何なる「ゴミ」を生むのかが問われる。つまり、棄てることから
の逆転した技術革新が求められる。
「あほリズム」
(817)
科学の疚しさはゴミ問題に尽きる。そして、人間の生産活動には
ゴミの排出が必然であるとすれば、それは近代人の疚しさである。
(818)
これからは、如何にして新しい「モノ」を生むかよりも、それが
如何なる「ゴミ」を生むのかが問われる。つまり、棄てることから
の逆転した技術革新が求められる。
「・・・」
ハイデガーはまず、「存在とは何か?」を問う前に「存在とは
何か?」を問う人間とは何かを問います。何故なら「存在とは何
か?」という問いは人間だけが発する問いであり、その答えは人
間が認識できなければ意味がないからです。そもそも人間以外の
生物たちは本能に支配されていて「いまここの自分」だけにしか
関心がなく、そこには過去も未来もない。しかし人間は進化した
理性によって本能的な自分が置かれた「いまここの自分」を脱け
出して、ハイデガーはそれを「脱自態」と呼びますが、過去を思
い出し未来を思い描きます。こうして過去、現在、未来を想像す
ることは「おのれを時間化する」(ハイデガー)ことだと言い、こ
の「時間化」こそが「いまここの自分」を超越してその先の世界
を規定する「存在」へと関心が向けられる、と言うのです。つま
り、われわれが「存在とは何か?」を問うのは「おのれを時間化
する」ことから生れるのです。では、なぜ「存在とは何か?」を
問うのかと言えば、世界を規定している「存在」の視点に身を置
くことによって、世界全体を認識することができるからです。ハ
イデガーはそれを「存在了解」と言います。
「二元論」
(6)
あまりにも枝葉末節にこだわり過ぎて根幹が見えなくなったの
で、ここでもう一度木田元による「ハイデガーの思想」をわかり
易く整理しますと、まず初期のハイデガーは〈現存在が存在を規
定する〉と考えていた。これはどういうことか言うと、たとえば
現存在を神と置き換えて〈神が存在を規定する〉と言えば多分す
んなり理解できると思いますが、そして、その神が「死んで」(ニ
ーチェ)、その代わりに現存在、つまり「人間」が世界を規定する
と考えていた。だから「世界は人間によって作り変えられる」。
であれば、人間はそもそもの〈本来性〉に立ち返って、世界を〈
存在=生成〉として捉え直して、人間中心の科学技術を見直すべ
きだと考えていた。ここでどうしても理解しづらいのは「人間の
本来性」という言葉だと思いますが、これはわれわれ近代人の生
き方が本来的ではないと言うのです。つまり、人間が生成として
の世界(自然)を「材料・資料」として扱い、人間が中心の固定化
した「非生成」社会に作り変えることは「世界=内=存在」とし
ての人間の「本来性」から逸脱しているのではないか。そこで、
たぶんハイデガーはそれまでの〈現存在が存在を規定する〉とい
う存在概念を改めて、〈存在が現存在を規定する〉のではないか
という転回(ケ―レ)を認識したに違いない。「世界=内=存在」
という考え方は〈存在が現存在を規定する〉という存在概念から
でなければもたらされない。
(つづく)
「あほリズム」
(816)
当局の政治意識がそれほど違わずに、しかし国民の数が日本の
14倍もあるとすれば、中国人の人権意識は日本の14分の1程
度に違いない。われわれが一人の理不尽な死をも許さないにして
も、彼らは14人くらい死なないと「ヤバいじゃん!」とならない。
「あほリズム」
(815)
LINE(創業者:李海珍〈韓国人〉)だけじゃないだろ、
yahoo!japan(創業者:孫正義〈在日帰化〉) だって疑わしい。