(十六)
峰々に留まっていた残雪が雪解け水となって渓谷を流れ下り、再
び天地の間を巡る果てしない循環に回帰し始めたが、その一部は人
によって行く手を遮られて流れを逸れ、乾いた田に導かれて潤し、
水面となって春の日差しをメタリックに反射させた。温んだ水は小
さな生き物から順に目覚めさせ、新緑が芽吹き始めた樹木の下では、
陽射しが遮られる前に種を残そうと大地にしがみついた草花が慌た
だしく可憐な花々を咲かせていた。冬の間、巣に閉じ篭って口を噤
んで耐え忍んでいた小鳥たちも、それまでの辛さなどすっかり忘れ
てしまったかの様に無邪気な鳴き声を響かせた。この国に生きる人
々が、すぐに過ぎ去ったことを忘れてしまうのは、もしかすると、
目まぐるしく移り変わる四季の所為かもしれない。春の訪れを喜ぶ
時に厳しかった冬を忘れてしまうことは到って自然なことではない
だろうか。
「お父ちゃん、まさか、また忘れたんとちゃうやろな?」
娘のミコが寝ている私の部屋のドアをノックもせずに勢いよく直角
に開けて、叫んだ。
「何が?」
私はフトンの中から身動きもせずに疎ましく応えた。
「何がって、池本さん等が来はんのん、今日とちゃうのん」
「あっ!せや、忘れてた」
私は慌てて上フトンを撥ね退けて起き上がった。
「もうっ、またや」
ミコは、私の物忘れの良さに常々呆れ果てていた。しかし、もしも
人の記憶に容量の限りがあって、何を保存するべきか、或は削除す
べきかを決定するのは、記憶を掌る理性にあるのではなく、むしろ、
移ろう感情に支配されている。つまり、理性が幾ら忌まわしい記憶
の「削除」を試みても感情がすぐに「復活」させてしまうのだ。ただ、
わたしはこの時ばかりは理性に従う。何故なら、過去の記憶に縛ら
れて今を見失いたくないからだ。記憶の容量を思い出で満たしたく
ないのだ。わたしは記憶を保存することよりも削除することを心掛
けているのだ。
「年をとると物忘れがひどくなってあかん」
「物忘れよりも物覚えが悪いのとちゃうの?」
「それ、どう違(ちゃ)うの?」
池本さん一家は、わたしたちと同じようにCS(化学物質過敏症)
に苦しむ子供を抱えていた。社会生活を共有できない疎外感は発症
した本人だけに止まらずその子を見守る親たちにも及ぶことはこれ
までにも幾度となく記したので繰り返さないが、彼らとは大阪に居
る頃、CS患者の集まりで知り合った。その後、わたしたちが大阪
を離れてもお互いに連絡を取り合い、今では「虫食い農園」の野菜
を買ってくれるお得意さんだった。もちろん、わたしたちが都会の
生活を棄てて山村に居を移したことは、彼らにとっても大きな関心
だったのだろう。娘のミコの症状が改善したことが彼らがここへ移
り住むことの大きなきっかけになった。とはいっても、すぐにお父
さんまで仕事を辞めて何もかも棄てて一家がここで暮らすことは出
来ないので、とりあえず十才になったばかりの女の子「あやちゃん」
、名前を文香(あやか)と言った、とお母さんのふたりが体験生活を
することになった。
「お父さんも一緒に来るんでしょ?」
ダイニングテーブルのPCでニュースを見ているわたしにミコがコ
ーヒーカップを置いてそう言った。わたしは何も混ぜないで口に流
し込んだ。
「ああ、一週間くらいは居ると思う」
「ご飯どうしょう?」
「どうしょうって?」
「あやちゃん、食べられへんもんってあるんやろか」
「アレルギーか?」
「うん」
わたしは半熟の目玉焼きの黄身に塩をかけフォークで崩したところ
へ、自家製の小麦で作ったトーストを対角線で二つ折りにして、そ
の一角を浸けて口に運んだ。ミコは「変な食べ方」と言って怪訝な
眼で見るが、皿に流れる卵黄をどうすれば防げるか長年考えた末
の食べ方なのだ。食べ終わった後に黄身で汚されていない皿はわ
たしの小さな自慢だった。目の前にある食べ物をただ胃の中へ移す
だけでは食文化は生まれない。同じものを食べても、つまり、譬え結
果は同じであっても過程を工夫することで豊かさが生まれる、文化と
はそういうものだ。ミコのように朝取りの新鮮な鶏卵を生命体の跡形
も残らないまで火に炙って炭化物に変質させてしまっては元も子もな
い。あっ、言うのを忘れていたが、彼女は小さい頃から卵へのアレル
ギー反応があって一切受けつかなかった上に、鶏卵だけに止まらず
凡そ卵というものを口にすることを厭がった。それには母親の影響も
あったのか、突然ふたりは「ベジタリアン」になることを宣言して、そし
てわたしが夕食にわたしだけの為に用意された豚カツなどを頬張って
いると、犠牲になった仲間を貪る卑しい猛獣を遠くから無言で眺めて
いるトムソンガゼルたちのように蔑むような眼でわたしを見ていた。
それでも、育ち盛りのミコはここに来てから少しずつ魚や鶏肉さえも
口にするようになった。ここでは命を奪うこととその命を食すことが
ひとつの行いとして繋がっていた。生きるとは自分の命を養うために
ほかの生き物を殺すことに他ならない。その明快な論理が彼女に生き
るためのある決心をさせたのかもしれない。今ではたじろぎもせずに
鶏の首を絞めて食事に賄った。わたしは白い皿だけを残して、そして
カップの底に溜まった冷めたコーヒーを飲み干して立ち上がった。
「わかった、会ったら聞いてすぐに連絡するわ」
そう言って池本さん一家を迎えるために家を後にした。
わたしたちが暮らしている集落はすでに限界集落となって久しか
った。一時は学校も造られるほど賑やかだったこともあったらしい
がもうその面影はどこにもなかった。ただ一本の道路で街と繋がっ
っていたが、先の地震で川に架かる橋の橋脚が崩落して舗装道路は
陥落して垂れ下がり、辛うじて此岸の壁面で止まっていた。従って、
自動車の通行が出来なくなり、車で街へ出るにはその道を反対方向
に向かって九十九折(つづらおり)の道を走って山を越え、隣町に出
てから県道を廻って迂回しなければならなかった。そのルートは橋
が壊れる前の三倍以上の時間を要したが、行政の対応は鈍く、未だ
道路は此岸の壁面に繋がったままだった。ただ、化学物質からの避
難を繰り返さざるを得なかったミコはそれを歓迎した。わたしが役
場へ掛け合ってくると言うと必死になって引き止めた。やがて役場
からもそんな不便な集落を出て、いまの暮らしに見合った土地や家
屋は用意するのでもう少し人里に降りてきて暮らさないかと提案し
てきたが、こんどはこの地で代を守って生きて来た僅かばかりの老
人たちが先祖代々の土地を自らの手によって棄ててしまうのは忍び
ないと頑(かたく)なに拒んだ。こうして、ミコと老人たちの不思議
な連帯が生まれ、遂にはその訴えが実を結んで行政を「動かさなか
った」。
車でやって来る池本さん一家とは遠回りでも道が繋がっている隣
町で待ち合わせた。しかし、わたしはその隣町とは反対方向の橋が
陥落して道路が途切れた場所へ歩かなければならなかった。と言う
のは、わたしの車は街へ出る時のために行き止まりになった対岸の
道路に停めてあったので、車に乗るためにはそこへ行かなければな
らなかった。そして、遠回りする道路を辿らずにショートカットの山
道を歩いた。もちろん、街へ行くにはその方が早かったが、車まで歩
いてそれから隣町へ行くのと反対方向から車で山越えをして隣町に行
くのとはそれほど時間は変わらなかった。こうして、循環が途切れて
しまった一本の道路の此岸と彼岸とは、かつては繋がっていたにも
拘らず、断裂によっていまでは目の前に在っても最も離れた直線の
両端へと変貌してしまった。つまり、最も近くに在るものほど最も
遠くに離れてしまうのだ。
モノトーンに飽いた山々は、種々の木々が樹皮を破って生まれて
くる新しい芽吹きに彩られるように、気付かないうちに山裾では様
々な新芽の淡い色彩が明暗ばかりの色調を乱し始めた。その間を縫
って勢いよく流れ下る穢れのない渓流は岸の岩場に当たっては純白
の白波を其処此処に立てながらその一部は霧となって空を舞い、迫
り出した小枝の先の若葉を惜しげもなく潤した。山道は融け始めた
土の匂いと草花の甘い香りや樹木の凛とした芳しさが、立ちこめる
霧にやさしく覆われた。それは息吹き始めた生き物たちの春の営み
の薫りだった。そして、山道の右に沿ったり左に現れたり、時には
音だけを轟(とどろ)かせて隠れてしまったり、すると突然、淀みに
流れ落ちて静寂の中でわたしを待っていたりするせせらぎの低音、
せっかちな小鳥が木の上から高い鳴き声でそれに応じ、つられて一
斉に歌声を競い合い、それが残雪の残った森にこだまして春風を誘
い、幹の柔らかな草々を爽と揺らした。こうした色彩と薫り、生き
物たちの鳴き声と水の流れ風の音、この麗しい自然の世界の中に留
まることができるならば、移ろい易い薄っぺらな欲望や、自らの幸
福を他人の羨望によって確かめなければならない生き方や、偶々知
り合っただけの者との馬鹿げた恨みに執着することなど、それらは
どれもたったひとつの生き物としてこの自然の中で気ままに生きる
ことができるならば、作為的な豊かさ、つまり、偽善的な社会など
全く棄ててしまっても構わないとさえ思った。
たとえば、この小一時間をかける山歩きを不便だろうからと世話
を焼いてくれて、件(くだん)の橋を架け替えてくれるようなことに
なって車に乗って僅か十分程度で辿り着くようになれば、わたしは
確かに時間的には大きな節約を得ることができるだろうが、しかし、
その退屈な十分間を耐えるために、楽しい小一時間の山歩きを諦め
なければならないのだろうか?草花の可憐な色彩や森の薫風、絶え
間なく流れる渓流の水音や小鳥の囀(さえず)りを楽しむ歓びが満腔
を充たし時間を忘れて歩く歓びを棄ててまでも、わたしはただそこ
へ早く行かなければならないのだろうか?東京―大阪間を飛行機や
鉄道を使って三時間足らずで何度も行き来する者が、何週間もかけ
て宿場を辿って只管(ひたすら)歩いて、後にも先にも人生一度きり
の花のお江戸に辿り着いた者よりも東京―大阪間のことなら何でも
知っているとは言えない。ただ、彼が熟知しているのは「移動する
こと」だけである。通り過ぎた土地のことなど知ろうとしないし興
味すら湧かない。世界地図の訪れた都市の上にどれほどピンを立て
てもそれらは線にもならないし況してや面にもならない、ただの点
に過ぎない。「世界各国へ行った」。そうだ、そのとおり彼はただ
「行った」だけなのだ。それも大概は自分の興味からではなく人の
興味を得る為の都合のいいエピソードを求めて。我々はアナログ社
会の過程を棄てて、ただ結果だけを求めるデジタル社会を迎えてい
る。或る人は社長になった。しかし、「何をして」などどうでもい
いのだ。また、或る者は総理大臣になった。「何をしたか」などど
うでもいいのだ。つまり、結果を残せない過程など価値がないのだ。
しかし、それでは、過程を省かれた結果というのがそれほど価値の
あることだろうか。もしも、世間が結果だけを見て、つまり、人を
富や肩書きだけで判断するなら、そんな社会はきっと一発屋芸人の
ギャグほどにも何も生まない社会だからあっさり見切って、人への
自慢にはならなくても、後にも先にも一度きりの人生を、拙速に移
り変わる世間に惑わされずに自分の足で歩いて行こうと思った。何
故なら、時間とは社会から生まれた概念だから。
(つづく)