「同じものの永遠なる回帰の思想」

2017-08-31 06:39:57 | 「存在とは何だ?」

        「同じものの永遠なる回帰の思想」

 

「ニーチェⅠ」

「ニーチェⅡ」

 「ニーチェⅠ」    「ニーチェⅡ」

 

 かつて、木田元著「ハイデガーの思想」(岩波新書268)を読ん

で、これはとても解り易かったので、このブログでも記事にしたこと

があった。(「存在とは何だ?」)随分前に、その木田元氏(2013

年死去)が新聞の書評か何かでマルティン・ハイデガー著「ニーチェⅠ

Ⅱ」(平凡社ライブラリー)を絶賛していたのを読んで、ハイデガーが

ニーチェを語っていることを知って驚いたこともあって、早速ネット

で取り寄せた。が、まったく難解で先に進めずほとんど読まずに積読

していた。ニーチェの本は「悲劇の誕生」から「ツァラチュースツァ

ラは斯く語りき」までランダムに「一応」目を通してきたが、どうし

ても晩年の永劫回帰思想だけは理解できずに居る。ネットなどで調べ

ても凡そのことは把握できても核心が掴めない。永遠の時間の中で限

界のある存在は無限に同じ場面に遭遇する、とすれば我々はそれを「

然り」と受け止めなくてはならない、のはぼんやりと理解できても、

ではペシミズムに陥らずに超えるにはどうすれいいのかが解らない。

ニーチェ自身も思考を積み重ねて辿り着いた思想ではなく、ある日突

然に直観的に閃いた思想であることを告白しているが、言葉によって

直截的には語っていない。たぶん言葉では語れないのだと思う。そう

いうこともあってハイデガーなら読み解いてくれると期待したが、ま

ず使われる言葉の意味をギリシャ時代から辿って定義し直して、そし

て様々な命題の誤謬が延々と語られ、優に千ページを超える重厚な本

のどこに私が捜し求める「真理」が隠されているのか倦ねてしまった。

 覚束ない理解を承知の上で、それではニーチェは、古い価値が崩壊し

て(神の死)、喪失によるペシミズムを乗り越えて「新しい価値定立の原

理を確立する」ためにはいったい何が重要かと言えば、真理などではな

く芸術であると言う。同書からの抜粋で、

一、芸術は力への意志のもっとも透明でもっとも熟知の形態である。

二、芸術は芸術家の側から把握されなくてはならない。

三、芸術とは、拡張された芸術家の概念によれば、あらゆる存在者の根

  本的生起である。存在者は存在するものである限りは、自分を創造

  する者、創造される者なのである。

四、芸術はペシミズムに対する卓越した反対運動である。

五、芸術は《真理》よりも多くの価値がある。

  (同書「芸術についての5つの命題」より)

 そして、「われわれは真理のために没落することがないようにするた

めに芸術をもっている」とまで言う。科学がどれほど世界の謎を解き明

かしたとしても我々にとっては何の精神的な救いにならない。それどこ

ろか解き明かされた「真理」は生命体としての存在者をいよいよ絶望へ

と追いやる。われわれが新しい価値を築くためには「美」への陶酔こそ

が重要だと唱える。「おのずから無為にして萌えあがり現れきたり、そ

しておのれへと還帰し消え去ってゆくものであり、萌えあがり現れきた

っておのれへと還帰してゆきながら場を占めている」存在者にとって新

しい「美」の創造こそが「力への意志」を目覚めさせる。

 まさに今は「美」が「真理」(科学)に取って代わられた時代である。

「美」そのもに代わって合理主義に基づく「機能美」に溢れている。周

りを見渡せば高層ビル群や舗装道路、自動車、スマートフォン、どれも

「美」そのもの価値によってわれわれを陶酔へと誘うことはない。「新

しい価値定立の原理を確立する」ためには、芸術家によって「新しい美」

が創造されなければならない。

 表紙カバーの絵は私の大好きな画家C.D.フリードリヒです。

「ニーチェⅠ」は「雲海を見下ろす旅人」部分、

「ニーチェⅡ」は「樫の森の中の修道院」部分です。

これに釣られて買ってしまった。

                            (おわり)


「『愛と死を見つめて』を見つめて」②

2017-08-29 05:27:14 | 「愛と死をみつめて」を見つめて

    「『愛と死を見つめて』を見つめて」②


 吉永小百合主演の「愛と死を見つめて」の映画を観てから、当時

21才の若さで亡くなられた大島みち子さんのことが頭から離れな

い。どれほど無念だったかと思うとやり切れなくなる。

 彼女は軟骨肉腫という難病に冒されて、ついに転移を防ぐために

うら若き女性が顔半分を切除する手術を受ける決断をする。しかし、

それでも進行は止まず、やがて自らの死を悟って、独り病室のベッド

の上に仰臥して暗闇を見つめながら涙を流すシーンが脳裏に浮かんで

きて離れない。

 映画では、彼女は思い描いていた将来の夢を病気によって断たれ、

改めて社会の役に立ちたいという思いから、快復後は医療ソーシャル

ワーカーになる決心した。そこで身近にいる入院患者の身の回りの世

話を進んでやりはじめる。ところが、それを勘違いして妬む者から酷

い中傷を受ける。余命宣告を知らされた上に、少しでも社会の為に生

きたいという意志までも挫かれた彼女は、自らの死を見つめるしかな

かった。そして、

「生きてる意味がない!」

たぶん彼女もそんな自答を繰り返したのかもしれない。しかし、我々

が求める生きる意味とは社会的な意味でしかない。そして社会的な意

味というのは相対的な価値でしかない。そんなものはすぐに移ろう。

そもそも命の価値を社会的価値によって判断するのは倒錯である。サ

ルトル流に言うなら「命は社会に先行する」のだ。彼女は何度も死ぬ

ことを考えながら、それでも病の苦しみと闘いながら余命を最後まで

生きた。そして彼女が自らの死を見つめて書き遺したことばは多くの

命に届いて社会に大きな感動を与えた。つまり、彼女が自らの死を見

つめて最後まで生きたことは、決して「意味のない」余命ではなかっ

た。

 あなたは私の頭の中でまだ生きてます。


「『愛と死を見つめて』を見つめて」

2017-08-25 10:09:31 | 「愛と死をみつめて」を見つめて

 

       「『愛と死を見つめて』を見つめて」


 人生のテーマとは何か?たとえば、社会的成功だとか社会貢献だと

か、もっと身近ではお金儲けや家族の幸せといった、生い立ちの違い

から人それぞれの思いは異なるが、しかしもっと原点に戻って見詰め

直してみると、すべての命あるものにとって避けることができない事

実「死」こそが我々を「何か為せ」に駆り立てるのだ。「いつか死ぬ

」、この絶対逃れることのできない事実を前にして我々は、いやすべ

ての命あるものは、むざむざと消滅してしまうことに抗おうとする。

こうして「生」は、もはやそれ自体が目的ではなくなり手段に転換さ

れる。生きることとは何か為すことである。そこで命あるものは自ら

を犠牲にしても新たな命を残そうとする。死する命から生まれる新た

な生命、その関係がもたらす感情を「愛」と呼ぶなら、すべての命あ

るものは「愛」の繋がりによって「死」の消滅に立ち向かう。「死」

による消滅は避けられないが、それでも「愛」によって新たな命が再

生されるのだ。

 「死」と「愛」について語れば、「愛と死をみつめて」(大和書房)

を取り上げないわけにはいかない。もう半世紀以上も前の初版だが、

難病に冒されて21才の若さで命を奪われた大島みち子さんと彼女が

愛した男性との文通を書籍化した本だが、当時、その悲恋は大きな反

響を呼んで映画化もされ歌も作られて大ヒットした。彼女は迫り来る

「死」の恐怖に怯えながら、しかし強い「愛」に支えられて「死」に

抗った。彼女の願いはただ「生きたい」ということだけだった。これ

を記すにあたって吉永小百合主演の「愛と死を見つめて」を観たが、

後半は哀しくてとても涙なしには観れなかった。しかし、どれほど強

い愛で繋がっていたとしても死はその絆を拒んで孤独を迫る。独りベ

ッドの上で死と向き合う不安な夜をどれほど耐え忍んだことだろう。

映画は死へ旅立つ彼女の絶望的な孤独を見事に表現していた。快復し

ない絶望から彼女は何度も自殺を考えたがそれを思い止まらせたのは

愛に違いなかった。死への抗いから愛は生まれる。そして生きること

とは死ぬことへの抗いだとすれば、愛は生きることのテーマたり得る

「なぜ愛するのか?」

「生きるためだ!」

 愛を感情による繋がりだとすれば、人と人との繋がりが疎んじられ

た社会は共生が損なわれて、それぞれの心に孤独が忍び寄る。そして

「愛」を見つめられなくなった者はやがて「死」を見詰めるしかない

。 余談だが、時期はずっと後のことだが、実は私はかつて彼女が入

院していた病院で働いていた。あまり詳しく記せないが、彼女が入院

していた病棟にも何度も足を運んだことがあった。そして映画の中で

彼女が、「実験に飼いおかれし 犬の声 病舎に響きて 夜寒身にし

む」と詠んだが、まさにその実験にも係わっていた時期があった。そ

れを観て驚いたが、その後近隣住民からの苦情が殺到して屋上に設え

られた犬小屋はすべて撤去されたと聞く。そして、今はもうそこに病

院そのものもない。

                          (おわり)

 


「明けない夜」 (1)

2017-08-23 22:05:28 | 「明けない夜」1~6
         「明けない夜」
 
           (1)
 
 
「ずっと容子の匂いを嗅いでいたい」
 
寛(ひろし)は、その匂いだけが残こされたベッドで、容子に囁いた
 
言葉を思い出しながら胎児のように丸まって彼女の追憶に浸ってい
 
た。容子と別れれてほぼ一月が経った。今となっては追憶の中でし
 
か彼女に会えなかったが、それでも彼女の居ない今を忘れさせてく
 
れた。
 
 寛は、容子と大学のゼミで出会った。彼はそれまで専攻を変更し
 
たりして留年を繰り返したので彼女より年は2コ上だったが、彼女
 
は二人姉妹の次女で現実的で、傍目にも二人の年の差はまったく感
 
じられなかったし、それどころか口論になればいつも寛の方が鼻白
 
んでしまい、彼女の鼻を明かすことができなかった。やがて就活の
 
時期を迎えると、就職氷河期と言われて久しい時代だったが、それ
 
でも容子はあっさり大手スーパーの採用内定を得たが、いったい自
 
分が何をしたいのかさえ定まらない寛は、仕方なく卒業後の生活の
 
糧を得るためと、何よりも容子を安心させてこれからもずっと一緒
 
に居たいという思いから、進まぬ気持ちを無理やり就職という進路
 
へ追いやったが、まるでその思いを見透かしているかのようにこと
 
ごとく面接で落とされた。それは進路の選択というより迷路の選択
 
だった。そして、
 
「何だ、社会とはそういうことで成り立っているのか」
 
と、つまり組織に従属しない者は社会で生きていけないことを改め
 
て知らされた。もちろん、これまでにも書店でのアルバイトや深夜
 
のコンビニでのレジ係、また、いわゆる「マックジョブ」と呼ばれ
 
る仕事も経験してきたが、それらは地方出身の彼が東京で糊口を凌
 
ぐためのもので自らの本分ではなかった。つまり、彼の家庭は彼が
 
学生としての本分を修めさせるために援助できるほどの経済的余裕
 
はなかった。
 
 迷路から抜け出せないまま四回生になって、卒論に追われてそれ
 
に没頭しているうちに、ところで彼の卒論のテーマは「マルクス『
 
資本論』への生物学的批判」というものだったが、それは、そもそ
 
も彼は経済学部専攻で入学したのだったが、マルクスが云うところ
 
の余剰価値は労働者の搾取によってたらされるという考えに生物学
 
的視点から違和感を覚え、つまり、すべての生命体は増殖、即ち剰
 
余価値を生むために生存しているではないか。そして、資本の生産
 
過程が細胞の分裂増殖過程と類似していることに着目して、逡巡の
 
末に生物学部に専攻を変えて再入学し直して、とくに生命体を形成
 
する細胞が分裂増殖するしくみを解明しなければ資本主義の本質は
 
見えてこないと思ったからで、たとえば、細胞はやがて成体を形成
 
すると増殖を制御して安定するのだが、ところが資本主義は生産さ
 
れた剰余価値を資本に蓄積して制御なき増殖を繰り返す。それは生
 
物学的に見れば明らかに偏った姿であって、制御できない細胞の増
 
殖とは細胞のガン化であり、成体を志向できない資本主義はやがて
 
破たんするにちがいないと思ったからだ。ただ彼は、自分の研究課
 
題がいまや全盛の万能細胞の研究からかけ離れていることから教授
 
陣に疎んじられ、再び文学部へ再転部して容子と知り合った。
 
 そうだ、容子との関係を説明するつもりだったが話が逸れてしま
 
った。いずれ機会をつくって寛の考えを詳しく述べたいと思うが、
 
こんなふうにして寛は卒論に取り組んでいる間は容子のことは最小
 
化してタスクバーの片隅に追いやった。一方、容子は社会心理学の
 
ゼミも掛け持ちして、分けても消費者心理に興味を持ち、もちろん
 
それは就職に有利になると思ったからで、希望していた大手スーパ
 
ーに履歴書とともに学習の成果をレポートにして提出すると、すぐ
 
に担当者から直接デンワが掛ってきて称賛され、間もなく内定をも
 
らった。もっとも、それらは先進国であるアメリカの研究論文を翻
 
訳した文献からのパクリがほとんどで、他人の引用文を自分の言葉
 
で繋いだだけのレポートだった。そして、卒論さえもそのレポート
 
を拡大して焼き増しただけの使い回しでひと月も費やさずに書き終
 
えて提出した。進路も決まって後は学生生活最後の青春を思いっ切
 
り楽しみたいと思っている容子にとって、いつまで経っても迷路か
 
ら抜け出せずに、昨日認めた文章を今日は否定する思索に耽る夜々
 
を送る寛が次第に頼りなく思えてきた。じっさい寛は容子の何でも
 
ない買い物の誘いさえも断った。暗闇に慣れた寛の眼に容子の居る
 
光あふれる世界は眩しすぎて、自分を失いたくなかった。
 
「いまは女の時代だから」
 
寛のことばを容子は黙って聴いた。
 
「就職にしたって女性はいずれ辞めてくれるから採り易いんだよ」
 
「そうかもしれないね」
 
容子は、寛のことばを聴いてやることが彼の慰めになると思った。
 
しかし、傷つけないように気遣い、自分の思いを打ち明けられない
 
相手から気持ちは冷めていった。たぶん、思っていることを言って
 
口論したほうが後腐れがなかったかもしれない。
 
「ずっと容子の匂いを嗅いでいたい」
 
ベッドで寛が容子にそう囁くと、容子は、
 
「じゃあ、眼をつぶって」
 
寛が言われた通りそうすると、容子は寛の鼻を舐めた。
 
「何、これ?」
 
「わたしの匂いするでしょ」
 
「うっ、臭い!」
 
 その日を最後に容子はもう寛の部屋に来ることはなかった。
 
寛が書き直して卒論を提出したのは年が改まった期限ぎりぎりだっ
 
た。
 
 就職できない寛を落ち込ませたのは、容子への思い以上に、親父
 
と離婚してから女手ひとつで大学まで行かせてくれた母を安堵させ
 
ることが出来ないことだった。それまでにも母に勧められて地元の
 
会社の入社ガイダンスにも眼を通したが、容子の居る東京を離れて
 
母と一緒に暮らす決心がつかなかった。容子の居る華やかな東京は
 
母の居る肩身の狭い地元ととは比べものにならなかった。夢の中で、
 
足を滑らせて断崖に落ちた自分を崖上から容子と母親が手を伸ばし
 
て叫んでいたが、ところがいくら踏ん張っても足元が滑って、まる
 
で蟻地獄に落ちた蟻のようにもがけばもがくほど彼女らの手から遠
 
退き、ついには奈落の底へと転がり落ちたところで眼が覚めた。汗
 
まみれだった。
 
 卒業して働き始めるとすぐに新人研修があって、東京を離れるこ
 
とになるのでこれまでのように会うことはできなくなるという容子
 
の言葉どおりメールだけで会えなくなった。そして、そのメールも
 
これまでの他愛もないやり取りとは違って関われない研修の報告の
 
ようなものばかりで、ただ「がんばって」とか「いいね」とか他人
 
事のような返事しか返せなかった。
 
 一方で、寛自身も好き勝手な生活を送る免罪符だった学生証を返
 
納して、いつまでも遊んでいるわけにもいかないので、派遣会社に
 
登録して働き始めると、派遣先の職場で仕事を教えてくれる男が同
 
じ大学を同期入学した顔見知りだったことに嫌気が差してすぐに辞
 
め、しばらくは短期のアルバイトで食い繋いでいたが、いろいろ考
 
えた挙句、出来るだけ他人と関わらずにそれなりに暮らしていける
 
仕事、当座の生活を凌ぐための非正規だったが警備会社の警備員
 
として働き始めた。すると二人を繋ぐ共通の話題はいよいよ無くなり
 
メールさえも途絶えがちになった。警備会社の仕事はイベント会場の
 
警備から道路工事の交通誘導員まで現場は様々だったが、ただジッ
 
と立って行き交う人々を眺めているだけで退屈さが紛れた。ちょうど
 
動物園の飼育員のような眼差しで人間を監視した。人々は彼の制服
 
を見てその社会的な存在を理解したが、彼はその社会的な存在に隠
 
れて私的な好奇心から彼らの振る舞いを覗った。すると他人を監視す
 
る者の自由さえ感じることができた。それは秩序を強いられた人々が
 
奪われた自由なのかもしれないと思った。支配される者が奪われた自
 
由は支配する者の手に入る。自由を奪われることを搾取されるという
 
なら、自由もまた資本主義の「商品」なのだ。否、人は自由を手に入れ
 
るために生産するのだ。労働者の搾取によってもたらされる剰余価値
 
とは資本家が自由を手に入れるための手段に過ぎない。つまり、労働
 
者が搾取されているのは自由なのだ。資本家は奪った自由によって選
 
択の自由を得るが、労働者は自由を提供するしかない「しかない」選択
 
しか残されていない。つまり、お金が保証するのは社会的自由なのだ。
 
これまでそんな風にして社会を見たことがなかった彼は、結構この仕事
 
が気に入った。もちろん搾取されてはいるが、大概のことは自分の裁量
 
に委ねられて、社会的自由を奪われずに報酬に与ることができた。
 
 しばらくして容子のケイタイは繋がらなくなった。
 
                           (つづく)
 
 
 パソコン買いました、また小説書きます。ケケロ
 

「明けない夜」(2)

2017-08-23 22:03:42 | 「明けない夜」1~6
          「明けない夜」
 
             (2)
 
 
 
 記憶というのは匂いのようなものかもしれない。寛の部屋から容
 
子の匂いが薄れるとともに彼女への想いも次第に薄れていった。と
 
ころがある日、部屋にあるはずのケイタイを捜していると、ベッド
 
の下から白いTシャツが出てきた。それは以前に、容子が就職する
 
はずの大手スーパーの店舗で買ってきたパック寿司を一緒に食べ
 
ようとしていた時に、彼女が添えられている醤油の袋を切り裂こうと
 
して醤油が飛び散って汚したTシャツだった。容子は「切り口」と書い
 
てある袋を彼に見せて、彼女が切れて文句を言った時のことを思い
 
出した。容子はまるでスーパーの責任者のように憤慨し、遂には日
 
本企業のモノ造りへの意識が著しく劣化しているのでないかと彼に
 
訴えた。寛は、
 
「それは使命感がないからだよ」
 
と言うと、容子は、
 
「使命感?」
 
「だって非正規社員は言われたことをするだけで、おかしいと思っ
 
ても黙ってるさ」
 
「使命感がないから?」
 
「って言うか、聴いてもらえないから」
 
「なんで聴かないの?」
 
「多分めんどくさいんだよ、決めたことを見直すのが」
 
「そんなのおかしい」
 
「だって非正規社員なんてもう機械と一緒なんだから」
 
「寛もバイトでそんな経験したことがある?」
 
これまで非正規社員として数々のバイトをしてきた寛が、
 
「何度もある」
 
と答えて、
 
「それどころか、余計なことを言うなと叱られたこともあった」
 
と言った。そして、かつて日本製の品質の高さをもたらしたのが安定
 
した雇用に支えられた作業者の使命感から生まれたとすれば、不安
 
定な雇用の下で使命感を持たない作業者の姿勢が品質に反映され
 
ないはずがない、と言うと、容子はTシャツに飛び散った醤油を拭き
 
取る手を止めて黙ってしまった。
 
 それは一年前の思い出だった。今になって、就職が決まって夢を
 
膨らませている容子に焦りから冷水を浴びせるようなことを言ったこ
 
とが恥ずかしくなった。寛はケイタイを捜すことなど忘れて、そのTシ
 
ャツを鼻に近づけて微かに残った彼女の匂いを嗅ぐと、消えていた記
 
憶が鮮やかに甦ってきた。
 
 すぐに、自分のTシャツを渡して着替えるように言うと、容子はその
 
場で醤油の飛び散ったTシャツを躊躇わずに脱いで下着だけになった。
 
そしてすこし頭を傾げて寛を斜めから覗った。寛は容子の眼を見て近
 
づき彼女の肌に触れた。そして、ふたりはそれだけは決して機械が為
 
し得ない生産的な行為に耽った。テーブルの上のパック寿司は蓋が開
 
いたままで手も付けられずに、食べようとした時にはすでに乾ききって
 
いた。
 
 思い出に浸る寛は、容子の匂いがするTシャツに顔を埋めた。
 
 
                       (つづく)