「明けない夜」
(十一)
「行けるわけないでしょ」
彼女は、弁明によって担当者の白い目に「目入れ」をして開眼させようと
試みたが、成就しなかったので研修ツアーへの参加をあきらめた。そこで
、わたしが無農薬栽培をしている農場を見学に行くので一緒に行かないか
と誘うとあっさり応じた。さっそく担当者を呼んで二人がリタイアするこ
とを告げると、
「これ婚活ツアーじゃないんですけどね」
と嫌みを言った。担当者は二人が「できてる」と信じて疑わなかった。わ
たし達は旅館をチェックアウトして、彼女が車を駐めている駅まで一旦戻
ってから、彼女の車で山間にある農場へ向かった。道中はカーナビが案内
を放棄するほどの山道ですんなりとは辿り着けなかったが、昼過ぎには何
とか到着できた。オーナーの娘さんが迎えてくれて農場内の案内をしてく
れた。その日はすでに農作業を終えていたので、わたし達も寝ていなかっ
たので、娘さんが手配してくれたすぐ近くの温泉宿に宿泊することにした
。応対した係の女性は一部屋しか用意していなかったので、彼女が「二部
屋お願いします」と言うと、しばらく黙って二人の顔を窺った。「できて
いない」男女が温泉宿の相部屋で一夜を過ごすのはさすがに気まずかった
。わたし達は湯に浸かるよりもまず寝ることを優先してそれぞれの部屋に
別れた。
農家の朝は早い。二人が朝食をすまして農場に着いた時には彼らはすで
に仕事を始めていた。オーナーの娘さんが手袋を外しながら「おはようご
ざいます」と言って現れた。早春の農繁期が始まる前で、今は春野菜を播
種をするための土づくりに忙しいと言いながら、彼らが生活しているログ
ハウスへ招いた。中に入ると傍らの木机で彼女の夫と思しき男性が書類を
拡げて事務作業をしていたが、わたしたちに気付いて手を止めると立ち上
がって、「お早うございます」と関西訛りで名前を名乗った。その側らに
は彼らの幼女がイスの上に立ちあがって何か呟きながら、我々にはまった
く関心を示さずに、ペンを握って夢中で書類に殴り書きしていた。彼が愛
娘に「ゆいちゃん、ご挨拶は?」と促すと、手を止めずに「おはようござ
います」と言って作業を続けた。わたしたちは机の横のソファ―を勧めら
れて一頻り会話をしているとドアが開いて白髪の男性が現れたので、ふた
りは立ち上がって彼を迎えた。オーナーの娘さんは、
「竹口さんです、いまキャベツの栽培をしてもらってます」
彼は名乗ってから自己紹介をした。
「広島からキャベツの無農薬栽培を勉強するために御厄介になってます竹
口です、どうぞよろしく」
そう言って、われわれの方へ掌を差し出した。わたしはてっきり握手を求
められたと思ってその掌を握ると、彼は咄嗟にわたしの手を振り解いた。
一瞬気まずい空気が流れたが、彼が「どうぞ、座って下さい」と言いなが
ら改めて掌でソファーの方を示したので、わたしは自分の勘違いに気付い
て詫びると、みんなが大笑いした。今度は「ゆいちゃん」も作業の手を止
めてみんなと一緒に笑った。
(つづく)