「明けない夜」 (7)

2017-08-23 21:52:54 | 「明けない夜」7~⑪
           「明けない夜」
 
             (7)
 
         「社会を捉えなおす」②
 
 
 そもそも資本主義経済とは剰余価値を生むための仕組みです。マ
 
ルクスによると、剰余価値は生産過程で労働者の剰余労働から生ま
 
れるが、労働者にはその対価が支払われず資本に留保される。そし
 
て剰余価値は再び生産過程に投資され、この運動を何度も繰り返し
 
て資本は増殖する。人間以外の自然と共生して生きるほとんどの生
 
物は、本能的なナワバリ意識はあっても剰余価値を求めたりはしな
 
い。ただ彼らにとって命を繋ぐために子孫を生むことこそが唯一の
 
価値の創造である。私の勝手な想像だが、それは彼らが死を情報と
 
して本能的に知っているからではないだろうか?そもそも死とは生
 
の最終態であって、死の対極にあるのは過程である生ではなく始ま
 
り、即ち誕生ではないか。だとすれば「なぜ死ぬのか?」を知るに
 
は、「なぜ生まれるのか?」を知らなければならない。では、生命
 
体はどうして新たな命を生むことができるのだろう。旧約聖書の「
 
創世記」には「初めに、神は天地を創造された」から始まるように
 
、原始地球に於いてもまず生命体の生存環境が整ってから様々な生
 
命体が生まれた。つまり、生命体は地球環境によってもたらされた
 
。まさに母なる地球である。しかし、生まれ出でては呆気なく絶え
 
た数多の生命体が存在したに違いない。やがて突然変異によって生
 
存適性を得た生命体だけが厳しい自然淘汰を克服して種を繋いで生
 
き延び、そして子孫を増やした。もしも、生命体が子孫を増殖させ
 
ることが剰余価値を生むことだとしたら、天地創造の始まりより、
 
人間だけにあらず、すべての生きとし生けるものは死滅を乗り越
 
えて地球資本主義の下で生存競争を闘ってきたのだ。つまり、資
 
本主義社会は何も近代になってから生まれたわけではない。
 
                         (つづく)

「明けない夜」(7)―② 

2017-08-23 21:51:06 | 「明けない夜」7~⑪
         「明けない夜」 
 
         (7)―② 
 
 
 
         「社会を捉えなおす」―②
 
 
 生命の誕生という「現象」は、太陽の惑星である地球の特異な条
 
件、太陽から一定の距離を保って公転しながら地軸を傾けて自転し
 
ている、によってもたらされた。それらの条件は地球環境に様々な
 
変化をもたらした。寒暖の差、昼夜の別、季節の巡りなどの環境の
 
変化が積み重なって、やがて生命体という自ら変化するものを生成
 
した。『生命を捉えなおす』(中公新書503)の著者、清水博氏は
 
「生命体とは(生物的)秩序を自己形成する能力である」と言ってい
 
る。しかし、そもそも「能力」とは生命体にしか預けられていない
 
ので、「生命体は自ら変化(自己形成)する存在である」と言える。
 
それらの生命体は小さな細胞で出来ている。細胞は、何度も分裂を
 
繰り返してして増殖しやがて成体を形成すると子孫を残すために、
 
人間でいえば受精卵を作って生命を繋いでいく。それでは、いった
 
いなぜ細胞は分裂増殖することができるのだろうか?たとえば、水
 
は外界からの温度変化によって液体、固体、気体と状態を変化さ
 
せるが、だからといって自ら変わることはできない。しかし、水のこ
 
の特異な性質、流動性は生命の誕生に欠かすことのできない媒質
 
である。生命体の誕生は、つまり自ら変化することができるのは水
 
の存在なしには考えられない。しかし、生命起源論はすべて仮説の
 
域を越えていないし、それどころか生物進化の系統樹でさえ再三書
 
き改められていることから、以下はまったく私の想像ですが、単細
 
胞の生命体が分裂できるようになるには、その反対の細胞結合が
 
頻繁に繰り返されていたからではないだろうか。それは主にエネル
 
ギーを得るための捕食によって行なわれ、しかし消化分解されずに
 
体内にとどまって共生するようになった。つまり、二つの細胞が結合
 
して新たな一つの生命体になった。もしもそうだとすれば、結合して
 
できた新しい細胞が、分裂の能力を獲得したとしてもそれほど驚くよ
 
うなことではないのではないか。入口は出口でもある。細胞分裂のし
 
くみは細胞結合からもたらされたのだ。細胞同士による結合と分裂
 
は無限回繰り返されただろう。やがて細胞同士の結合は細胞内の
 
不具合を調整するための新たな器官が必要になり、細胞核を生んだ
 
。こうして分裂のしくみを獲得した微小生物は、生存を賄うためのエネ
 
ルギー摂取はほんのわずかで済むため膨大な量の養分に恵まれな
 
がら分裂増殖を繰り返して爆発的に繁殖した。しかし、水中に浮遊す
 
る微小生物はその大きさから、否、小ささから、その基準は原子の大
 
きさに比較してですが、おそらくわずかばかりの水の流動にも押し流
 
されて思い通りに動くことなど出来なかったに違いない。運動を獲得
 
するためには器官の発達とそれに比例した質量が求められた。分裂
 
と結合のしくみを獲得した微小生物にとって巨大化、つまり多細胞化
 
する能力はすでに備わっていた。ただ、多細胞生物への進化は分化
 
した器官の発達を伴うのでこれまでのような単純な分裂ができなくなっ
 
た。そこで、巨大化を担う細胞の分裂増殖はそれぞれの「単」細胞に
 
委ねられ成体維持を任され、増殖は新たな生殖器官が担い、成体維
 
持と生殖に分離された。もちろん、それらの組織化された器官細胞へ
 
の情報は細胞核によってコントロールされた。つまり単細胞生物にとっ
 
て、多細胞生物への進化とは組織化されることであり、多細胞生物が
 
集団を求めるのは性的本能によると言うよりも、たぶん、組織化された
 
生命体本能から芽生えるのではないだろうか。つまり多細胞生命体と
 
は本能的に社会的存在なのだ。そして、何よりも多細胞化によって組
 
織化を余儀なくされた生命体は、それまでの一元的な生存本能とは異
 
なった能力、つまり経験による記憶から派生した知的能力を持つように
 
なった。こうして巨大化を求めた微小生物によって多細胞生物は進化し
 
たが、やがて巨大化し過ぎた生物、その基準は地球の大きさに比較し
 
てですが、恐竜の絶滅によって幕を閉じ、それは彼らが「世界限界論」
 
に対応できなかったからだが、いまではその末裔である爬虫類は小さ
 
くなって草葉の陰でなお生き続けている。
 
                          (つづく)
 

「明けない夜」(7)―③

2017-08-23 21:49:24 | 「明けない夜」7~⑪
           「明けない夜」
 
             (7)―③
 
 
          「社会を捉えなおす」―③
 
 
 多細胞化によって器官を進化させた生命体は、本来単細胞生物で
 
は一元的であった「分裂・増殖」のしくみ、個体の分裂即ち増殖だ
 
った、を「生存・存続」に二元化して、種の存続は生殖器官による
 
有性生殖によって行なうようになった。もしも、われわれが単細胞
 
生物のように個体分裂することが出来て、二人の自分になることが
 
出来るとすれば、こんなことはもちろん不可能なことですが、では
 
、いったいどっちの自分が今の自分だと言えるでしょうか?単細胞
 
生物は元になる細胞を母細胞と言い、分裂して出来た二つの細胞は
 
どちらも娘細胞と呼びます。つまり、母細胞は分裂によって消滅し
 
初期化された二つの娘細胞に生れ変ります。われわれの赤ん坊もま
 
た両親の経験や知識を受け継がずに初期化されて生まれてきます。
 
つまり、個体分裂によっても二人の自分が生れることはありません
 
。そもそも単細胞生物に自分などという意識はないからです。個体
 
分裂を行なうためには生体反応以外の複雑な器官が備わっていては
 
出来ないはずです。つまり、彼らは存続のためだけに生存している
 
。しかし、多細胞生物は存続のための器官を分化させることによっ
 
て生存そのものを獲得した。さらに、多細胞化は器官細胞を進化さ
 
せ、細胞分裂によって増殖・淘汰を行い機能を向上させ、行動の自
 
由を獲得して環境依存から抜け出した。しかし、複雑な多細胞生命
 
体への進化は、その原因は諸説ありますが、生理的寿命をもたらし
 
た。「死」は認識によって意識され、認識は理性からもたらされま
 
す。理性を持たない人間以外のほとんどの生物は死ぬのではなくた
 
だ動けなくなってしまうのです。種の存続を生殖器官に委ねて分裂
 
増殖が生存目的でなくなったことと、寿命による「死」を覚った知
 
的生命体である人間は、本能と理性による二重の疎外によって本来
 
の生存の意味を見失った。しかし、この地上で外界の作用に因って
 
ではなく、個体自らの作用によって「生物的秩序を自己形成した生
 
命体」が「命懸けで」試みたことは、紛れもなく「生存の存続」だ
 
った。物質世界の絶望の中で孤独に苛まれながら、再び物質への回
 
帰を迫られた生命体はせめて命を繋ぐことで絶望的な死を補おうと
 
した。そして、生命体である人間もまた生存とその存続のために生
 
きているのだ。もしも存在理由がなければ存在価値はないとするな
 
らば、人間以外の生命体はいったい何のために生存しているのだろ
 
うか?つまり、物質世界から見れば、生命体はただ生存するだけで
 
充分存在意義はあるのだ。だから「何のために生きるのか?」は、
 
そもそも生命体にとっては目的であったはずの「生きること」を手
 
段に貶めた倒錯した設問なのだ。つまり、すべての生命体は「生存
 
とその存続のために生きているのだ」。最初の生命体が地上に生ま
 
れ堕ちた時から、すべての生命体はその生存と存続のためにだけ生
 
きてきたのだ。何故かと言えば、それら「生物的秩序を自己形成す
 
る能力」を持った生命体が存在することは奇跡的な現象だから。つ
 
まり、われわれは如何にこの世界に留まりたいと望んでも、何れ物質
 
に還らなければならない。だから生きているということは、実はすごい
 
ことなんだ。
 
 
                    (つづく)
 

「明けない夜」 (7)―④

2017-08-23 21:47:31 | 「明けない夜」7~⑪

         「明けない夜」 

          (7)―④

        「社会を捉えなおす」―④


 細胞の分裂・増殖の循環過程は、四つの段階に分かれ次のような

順序です。まず、間期のG1期、S期、G2期と、そして有糸分裂

(mitosis)を行なうM期です。そしてM期も前期、中期、後期、終

期に分かれます。M期の前期では、細胞核内で二対の染色体が凝縮

しゴルジ体の構造が崩れ、中期では、核膜が消え紡錘体が形成され

染色体が赤道面に集まる。後期では、紡錘糸に沿って染色体が両極

へ分離し、終期では、染色体の凝縮が解かれてゴルジ体や核膜が再

形成され、同時に細胞質分裂が始まり細胞分裂が終了する。分裂に

よって出来た二つの娘細胞は同じ過程を循環して増殖していきます

。ただ、増殖した細胞が生命体秩序を乱すようなことがあれば問題

が起こります。そこで染色体はそれぞれの細胞に遺伝子情報を伝え

て統括する重要な役割を担っている。つまり、多細胞化は細胞核、

分けても染色体を進化させることによってもたらされた。

 つぎに、カール・マルクス著「資本論」(中央公論社『世界の名

著』43)より、第二巻「資本の流通過程」、第一編「資本の変態と

その循環」の第一章「貨幣資本の循環」の冒頭からの引用です。

「資本の循環過程は三つの段階をとおっておこなわれるが、これら

の段階は、第一巻の叙述によると、次のような順序になっている。

 第一段階。資本家が商品市場と労働市場に買い手としてあらわれ

る。彼の貨幣は、商品に換えられる。つまり流通行為G―Wを通過

する。(「Gは貨幣、Wは商品」筆者註)

 第二段階。買い入れた商品を資本家が生産的消費にあてる。彼は

資本主義的な商品生産者として行動する。彼の資本は生産過程を通

過する。結果は、その生産要素の価値以上の価値をもつ商品である

 第三段階。資本家が市場に売り手としてもどる。彼の商品は、貨

幣に換えられる。つまり流通行為W-Gを通過する。

 だから貨幣資本の循環を表わす定式は、G―W…P…W'―G'で

ある。このばあい、… は流通過程の中断を意味し、W'とG'は剰

余価値によって増大したWとGを表わす。」(「Pは生産資本」筆

者註)

 さて、「それがどうした?」と言われれば私の企みはうまく行か

なかったことになりますが、もちろん生命体の細胞分裂の過程と資

本主義経済の生産過程を同列に論じるつもりはありませんが、こと

増殖のしくみだけを見るとそれほど大きな違いがないように思えま

す。つまり、資本主義経済は何も近代になって考え出されたシステ

ムではなく、そもそもは生命体が分裂増殖するしくみが根源である

。細胞分裂では、分裂・増殖を決定するのは遺伝子であり、資本主

義経済の生産活動に於いては市場原理に基づく貨幣価値がそれに当

るのかもしれません。ただ、資本家は商品資本の増殖を求めている

のではありません。そこで「彼の商品は、貨幣に換えられる。」換

えられた貨幣は投資した資本よりも剰余価値分(利潤)を上乗せされ

ている。そもそも資本家は貨幣資本の増殖を企んでいる。そして、

増殖した貨幣資本は再び生産過程に投じられて際限なく繰り返され

る。

 環境内生物として増殖した単細胞生物がその環境から抜け出すた

めには運動能力を獲得して多細胞化するしかなかった。そして、多

細胞化した生命体は細胞を統括するために遺伝子を進化させ、「あ

るがまま」(ザイン)に存在したそれぞれの細胞に「かくあるべき」

(ゾレン)を求めた。こうして多細胞化した生命体は進化した遺伝子

が個々の細胞を概念化して生物進化した。それは資本主義的進化で

ある。生命体もまた新しく生まれた娘細胞は次には母細胞となって

娘細胞を生み増殖を繰り返すが、しかし細胞の増殖には「成体」と

いう限界がある。成体に達した生命体は成体維持のためだけに細胞

分裂を行ない増殖そのものは減退していく。そして「生存を存続さ

せるため」に配偶子の接合によってたった一つの受精卵を残して、

やがて「死」という限界を迎えて物質に還る。つまりすべての生命

は「何ものにも換えられず」に自然へ還る。こうして自然環境の下

での「生存の存続」は様々な限界に遮られて原点回帰を繰り返して

円循環しながら自然のバランスは維持されてきた。ところが、資本

主義経済を支える科学思想には限界がない。経済合理主義の下で科

学技術は自然循環を破壊しながら直線的に進歩して、利便性という

作用を得るために環境への反作用は省みられてこなかった。線分A

Bは限点A,Bによって表わされるとするなら、循環しない科学文

明は常に限点に遮られそれを越えていかなければならない。「かく

あるべき」世界は「あるがまま」の世界を見失い、すでに「生命の

大地」だった地球は「宇宙船地球号」になってしまった。

                         (つづく)


「明けない夜」 (7)―⑤

2017-08-23 21:45:21 | 「明けない夜」7~⑪

         「明けない夜」

          (7)―⑤


        「社会を捉えなおす」―⑤


「世界限界論」を認識するということは取りも直さず近代科学文明

の限界を認めることであり、それは大きな時代転換の波を予感せず

にはいられない。これまでにも歴史上には幾度も大きな転換期があ

ったが、古い社会が立ち行かなくなり新しい社会をする模索する時

には決まって紛争が起こった。ただ、古代や中世ではその社会規模

から限定的な地域紛争で済んだが、近代に入ってからは科学技術の

発展によってグローバル化が進み対立は世界規模で起こるようにな

った。たとえば、集団的自衛権というのは自国には直接の利害が及

ばないにしても同盟国の国益を守るために軍事援助する権利であり

、過去にはその行使によって二国間対立が連鎖的に拡大して遂には

世界大戦に至ったことを忘れてはならない。わたしは、新しい時代

を展望する前にどうしても争いなく時代転換が起こるとは思えない

ので、本旨からは逸れますがそのことについて少し行を重ねます。

と言うのも、今を生きる我々にとって、新しい時代が破壊なしには

始まらないとすれば、当然「次の」戦争のほうがより大きな関心事

であることは言を俟たないからです。

 さて、パイの大きさが決まっていて分け前に与ろうとする者が増

えれば当然それぞれの分配は減るでしょう。これまで先進国が独占

していた世界市場に全世界の4割を超える人口を抱える新興諸国(

BRICs)が参入してくれば自ずから先進国の分け前は減ります

。新興国は安価な労働コストによって市場参入しますが、しかし決

して新しいパイを持参したりはしません。それでも市場競争に苦し

む生産者は利潤をもたらす生産コストを求めて競って名刺を交わし

ます。ところで「世界限界論」を前提にすれば今後パイの大きさ、

つまり環境規模やエネルギー資源は増えません、限界なのですから

。そうなると、いずれパイの分配を巡って世界中で、或いはそれぞ

れの国内で奪い合いが始まります。敢えて国内問題を取り上げたの

には理由があります。それは国内のインバランスから生じた国民の

不満こそが対外政策に反映されると、少なくともわたしは思ってい

るからです。隣国に向けられた批判の目は格差社会に対する不満に

向けられた目がすこし逸れただけのことではないだろうか。

 かつて近代化を推し進めようとした日本帝国は、対立するロシア

との戦争に勝利して欧米列強に肩を並べるまで近代化を成し遂げた

と自負したが、実際は国内経済は疲弊していて戦争の継続は不可能

な状態で、つまり長期化すれば負けてしまうので、アメリカに仲介

を求めて、ロシア側の戦争賠償金の支払いには一切応じないという

条件を呑まされてポーツマス講和条約は締結された。しかし、格差

社会の底辺で耐え忍んできた国民は納得せず、政府を非難する弾劾

集会が暴動へと拡がって(日比谷焼打事件)、遂には戒厳令まで敷か

れた。作家の司馬遼太郎は著書「昭和という国家」(NHK出版)の

中で、「この群衆こそが日本を誤まらせたのではないか」と言って

ます。そして、「人民が集まって気勢をあげるということが正しい

場合もありますが、日比谷公園に集まった群衆は、やはり日本の近

代を大きく曲げていくスタートになったと思います。」さらに、「

もしそのときに勇気のあるジャーナリズムがあって、日露戦争の実

態を語っていればと思います。」「しかし、そういうジャーナリズ

ムはなかった。」では、今は「そういうジャーナリズム」は健在だ

ろうか?時代がひと回りして今や遅ればせながら近代化を推し進め

ている帝国主義国家中国は、かつての大日本帝国と同様に様々な国

内矛盾を抱えながら経済成長を推し進めることで辛うじて矛盾を封

じ込めているが、いずれパイの分け前に与らなかった人民の内なる

不満を外で晴らそうとしないとも限らない。こうして二国間の対立

はそれぞれの国内情勢が大きな要因となって破壊的な行動さえも正

当化され、やがてその矛先は目の前の対立国に向けられる。しかし、

何より肝心なことは、依然として中国経経済は表向きは成長を維持

していて、もしも彼国がかつての大日本帝国と同じように内を治める

ために外を叩くとすれば、経済の停滞から人民の不満が高まる、むし

ろこれからなのだ。 

                                                                                                  (つづく)