(二十四)
底冷えのする木屋町通りには和装して着飾った初詣客が行き交っ
て京都の正月に相応しい華やかさだった。高瀬川の流れに逆らって
しばらく歩いてから邪魔になら場所を見つけて座り込みギターの調
弦を始めた。すると直ぐに、破魔矢を持ったほろ酔いの中年男女の
グループのひとりが面白いものを見つけたとばかりに憚ることなく
寄って来て、
「兄ちゃん、『シー ラブズ ユー』唄えるか?」
「ビートルズの?」
「ああ」
「ええ、唄えます」
「ほな、やって!」
そういってギターケースに千円札を放り投げた。中年は決まってビ
ートルズだ。ただ、おれの歌は聴こうとせず、この歌に纏わる自分
の失恋談を仲間の者に語り始めた。それでも暇を持て余した往来の
人々は何が始まったのかと覗き込み、すぐに胸の奥に閉じ込められ
ていた青春時代の恋愛の思い出が甦ってくるのだろうか足を止め、
おれの周りを囲む一重の人の輪ができた。そして、誰からともなく
手拍子が起き、更にリクエストに応えておれのビートルズメドレー
が始まった。ただ、唄ってる間に悪寒が始まり、治まっていた風邪
がぶり返した。熱に冒されながら熱唱していると最前列に陣取った
客の隙間から誰かがギターケースの賽銭箱に一万円札を投げ入れた。
それを見た客が「おおーっ」と声がしてその人物を確かめようと前
に居た客が振り返った。それまでおれは唄に集中して気付かなかっ
たが、客の一人が指すギターケースを見て中にある一万円札に驚い
た。曲を途中で終えて二つ折りにされた一万円札を確かめると何と
5枚も束ねられていた。投げ入れた者を尋ねると、前に居た客が立
ち去るロングコートの男の背中を指差しながら、「あの人、あの人」
と教えてくれた。後姿だけしか見えなかったが、行方の判らなかっ
た親父に間違いなかった。
ああ、おれは一体どうしてこんな世界に間違って生まれてきてし
まったのだろうか。世界が存在しなければおれ自身も存在しないの
だとすれば、おれも世界の一部に過ぎないのかもしれないが、その
繋がりを見失ってしまった。だから卒業して演劇社会の中でひとり
の社会人を演じることの虚しさに耐えられなかった。かと言って自
分の中に何か存在するに足る想いが在るわけでもなかった。世界も
自分も全く信じることが出来なかった。つまり、自分の存在理由を
見失った。そんなものは端から在りはしないと解かっていても、役
に立たなくなった鶏のように首を絞められて肉にされるくらいなら、
さっさと自分で自分のケリを着けたかった。社会が全てではないと
言い聞かせても、それに変わる何かが自分の中に見つからなかった。
自分の想いが自分自身を離れて雲の彼方に在るように思えた。そし
て、よく自分にこう自問した、
「何でお前はここにいるの?」
それは何時だったか誰かに浴びせられた言葉だったが、言葉だけが
記憶されて誰に言われたかよく思い出せなかった。
おれはギターを置いて「ちょっと」とだけ言い残して客を放った
らかしにして、闇の中に消えようとする見覚えのあるロングコート
の親父の背中を追いかけた。そしてその背中に「お父さん」と声を
掛けようとした時、おれは親父に「お父さん、お母さん」と呼ぶよ
うに躾けられていたんだ、ちょうどその時、傍で待っていた幼い女
の子が覚えたばかりの危なっかしい足取りで、それはまるで初期の
二足歩行ロボットのように、軸足に重心が掛かり過ぎて立ち止まり
転倒するのかと思えば巧みに上半身を操って前方に重心をかけてバ
ランスを取り戻すと今度はその勢いのまま前に駆け出して、おれの
親父に、「パパ!」と言って体を投げ出した。親父はいよいよ倒れ
るばかりのその子の体をいとも容易く抱え上げて愛おしそうに頬ず
りをした。そして、すぐにその子に従ってきた親父と年格好の近い
中年女性と言葉を交わしながら三人揃って歩き始めた。それは誰が
見ても微笑ましい家族の姿だった。おれはただ呆然と立ち竦んでそ
の男の家族が闇の中に消え入るのを見つめていた。ただ、親父は闇
の中に消え入る前にチラッと後ろを振り返って立ち尽くすおれを見
た。
おれのライブを待っていてくれた観客が諦めてその場を立ち去り、
立ち尽くしたままのおれとすれ違い際に「お金、危ないよ」とか何
か声を掛けてくれた。仕方なくおれは再び舞台に戻りそれでも待っ
ていてくれた観客に詫びて、ビートルズの「No reply」を唄った。
この曲は斬新な曲だった。ジョン・レノンはよくイントロ無しの曲
を書いているが、例えばイントロが曲調をオーディエンスに知らせ
る為に用意されるとしたらいきなり始まることで衝撃を与えた。ロ
ックミュージシャンとしてのジョンの魂は退屈な曲を創らないこと
が徹底されていた。今では説教じみた賛美歌のような音楽が何と氾
濫していることか。初めて聴いた時は歌詞が解からなくて、それで
もサビで繰り返す「 I saw the light 」の「the light」は何か深
い意味があるのだと思っていたら、何のことはない歌詞カードを見
るとそのまんま部屋の「明かり」だった。そして、歌そのものも片
思いの男の未練たらしい歌だった。例えば日本語で「電気点いてた
じゃん!」なんて絶対に歌のサビにならない。
ただ、「No reply」は親父に対するその時のおれの想いだったの
かもしれない。
おれの親父は、日本の高度経済成長の流れにうまく乗り、やがて
その激流に呑み込まれて、遂にはバブル経済の崩壊という奈落に叩
き付けられて、結局何もかも失うという悔やみ切れない半生を送っ
た。ただ、彼は終ぞ自分の力で泳いだことなどなかった。三流大学
を出て学歴偏重の会社に嫌気が差して辞めてしまい、職を転々とす
る内に知人の建設業を手伝い始めると運よく建設ブームが起き仕事
が増え、すぐに独立して会社を起こし、その会社の資材置き場とし
て手に入れた荒地の傍に大学病院が移転して来ることになったが、
ところが親父の土地は区画から僅かに外れてガッカリしていると、
すぐに薬局の経営者が是非譲って欲しいと現れて、そこで破格の値
段をふっ掛けると相手はあっさり応じた。今度はそれに味を占めて
不動産業に手を出すと不動産バブルが起った。こうして親父の絶頂
は奈落に落ちる寸前に迎えた。一方、その学歴コンプレックスはわ
が子の教育に向けられて有名校への進学を厳しく求めた。試験の成
績が悪いと容赦なく鉄拳が飛んできた。一度はおれが避けた所為で
耳に当り鼓膜が破れたことさえあった。ただ、いくら殴られてもお
れは親父を尊敬し恨んだりはしなかった。親の虐待が日常になると
子も慣れっこになって、それが当たり前だと思ってしまうのだ。更
に学歴社会に苦しめられた体験談は説得力があって、それでなくと
も勉強の出来る子に対して学校だけでなく世間も一目置いてくれた
ので親父には逆らえなかった。社会は不平等な競争を黙認しながら
一方で過激な競争を批判する。しかし、いじめや虐待を助長させて
いるのはこのエゴ贔屓社会なのだ。
おれは親父に会いたかった。会って、おれはこれからどう生きれ
ばいいのか聞きたかった。だから次の日も風邪の熱に魘(うな)され
ながらも同じ場所で路上ライブをした。夜も遅くなって人通りが途
絶え始め、誰もが寒さから逃れようと足早に帰路を急いで立ち止ま
ろうとしなくなったころ、背後から聞き覚えのある男の声がした。
「タカオ、元気だったか」
振り返って見ると親父だった。おれは許せない想いと縋りたい思い
がごっちゃになって咄嗟に何も言えなかった。おれと親父との気ま
ずい雰囲気を全く気にも掛けようとしない人々の日常が羨ましかっ
た。
「悪かったな、お父さんを許してくれ」
その言葉は弱々しく以前の逞しい親父ではなかった。
「ああ」
「学校はどうした?」
「もう諦めたよ」
親父はすこしうな垂れて、
「すまん」
残念そうに言った。
「お母さんは元気か?」
「ああ」
「そうか」
「・・・」
「おまえ、こんな処に居ったら風邪ひくぞ」
おれは親父の言葉に答えないで、
「何で逃げたんや?」
「あぁ?」
「何で皆を放たらかしにして逃げたんや」
「それには色々事情があって・・・」
おれは初めて親父のオドオドする姿を見たからかもしれないが、急
に怒りが込み上げてきて、それまで押し殺していた反感が口を吐い
た。
「それをちゃんと説明するのがあんたの責任やろ!」
怒りは順序立てて考えようとしないから暴発する。積み重なった過
去の忌まわしい記憶を引っ張り出すと積み上げられた思い出は容易
(たやす)く崩れた。
「タカオ、悪いけどもうお父さんは居らん思てくれ」
親父はそう言い残して立ち去ろうとした。おれは、熱の所為かもし
れないがその態度が許せなかった。わが子に厳しく接しながら自ら
にはその厳しさを課そうとしない態度だ。すぐに虐待を受けた幼い
頃の記憶や母への思い遣りのない言葉が甦ってきて、更に、昨日の
幼い子の姿が眼に浮かんで、おれは、今となっては、きっと熱の所
為だったとしか言えないが、バックパックの中のサバイバルナイフ
を握り締めて親父の後を追った。
アカン、順序を辿って淡々と書こうと思ったのに感情的になって
端折(はしょ)ってしまった。ただ、もう気付いただろうがおれは親
父を殺めようとしたんだ。ただ、人はどうして殺人を犯してしまう
のか、その経緯を冷静に語ろうと思ったんだが、というのは実際の
殺人事件でもなぜ人を殺すことになったのか、そんな経験のない者
には全く理解が及ばないだろうから。そこには超えられない大きな
乖離がある。しかし、殺人を犯そうとする者は何故その乖離を飛び
越えてしまうのだろうか。などとおれが言うのもおこがましいが、
そうだ、まさに殺人を犯す者はその乖離を飛び越えてしまうのだ。
もちろん憎しみの感情が動機には違いないが、ただ、憎しみだけで
飛び越えられるものではない。世間には愛の数だけ憎しみが蠢(うご
め)いている。もしも憎しみが動機として認められるなら殺人事件は
桁違いに増えることだろう。そうならないのは簡単には飛び越えら
れないからだ。つまり、動機があっても人を殺めたりはしない。多
分、それは自殺の衝動に似ている。死にたくなったからといって人
は安易に叶えようとはしない。もしかして明日になれば生きていて
よかったと思えることが起るかもしれない。飛び降りるかブラ下が
るかの行為は後戻り出来ない大きな決断を強いなければならない。
そんな切迫した相克に迷う者は感情的な動機などどうでもいいのだ。
決断する者はそんな動機をすでに超克してしまっている。ただ、「す
る」か「しない」かの二者択一しか残されていない。だが、「しない」と
決断すれば再び動機を生んだ状況へ自分を棄てて舞い戻らねばな
らない。ところが、自らを死の淵へ追い込んだ絶望と死の淵から振り
返る絶望とは異なったものなのだ。つまり、絶望からの逃避はまだ
希望があるが、絶望への回帰はただの絶望でしかない。そこで、自
らを棄てて再び絶望へ回帰するよりも、自らを守るために乖離を飛び
越える決断をする。しかし、いくら絶望を回避しても希望は生まれな
いだろう、恐らく希望とは絶望を転化させるしかないのだ。
おれは足早に立ち去る親父の背後を追い駆けてその勢いのまま握
り締めていたナイフを、親父の背中に衝き刺した。二人は重なりな
がら前へ倒れ込んだ。その拍子におれは親父の背中に突き刺さった
ナイフを手放してしまった。親父は、
「何をするんや」
と小さな声で言った。たまたま側を通りかかったアベックが行き交
う際に親父の背中に刺さったナイフを目にしたのかもしれない、
「ぎっや―ッ!」
と悲鳴を上げると、傍らにいた男も、
「人殺しや―っ!」
と叫んだ。
おれは、薄れていく意識の中でそこまでは覚えているが、実は、
その後どうなったのかは全く記憶していない。
(つづく)