「バロックのパソ街!」 (二十一)

2013-01-21 02:30:19 | 「バロックのパソ街!」(二十一)―(二十
 


                (二十一)  

  

 生活指導の教師から「もう登校するな!」と言われて、歓送会を最

後におれの高校生活は終わった。突然回線を遮断されて頭の中がジー

ンと痺れ、それまでの記憶が何度もリプレイされていた。世間では一

般に学校を終えると「社会に出る」という言い方をするけれど、社会

はそんな開かれたところとは思えなかった。どちらかと言うと「社会

に入信する」と言った方が合っていた。誰もが挙って社会の洗礼を受

けていたが、おれは洗脳されることを拒み自分の穢れた考えのままの、

箱からこぼれ落ちて隅を転がる一個のパチンコ玉だった。学校とは所

詮「会社」人、いや社会人、どっちも一緒か、を生む為の養成機関な

のだ。社会は形の揃った均一の部品を求める。そこで下請けの学校は

注文に答える為に部品検査を欠かせない。生徒の能力は基準を満たし

ているかどうか。記憶を詰め込むのは記憶以外のことで迷わせないた

めだ。不良品のチップは集積回路を忽ち集積「迷路」に変えてしまう。

我々は集積回路に埋め込まれた一個のチップなのだ。チップには一切

の思考は求められない。ただ、メモリー機能があるだけだ。入試が何

時まで経っても改まらないのは単に行政や教育者ばかりの責任ではな

いのだろう。企業は競争を勝ち抜く為には箱からこぼれ落ちる不良品

を引き受ける訳にはいかない。メモリー機能を逸脱して思考するチッ

プは不良品である。つまり、「我々は人間である前にまず社会人でな

ければならない。」

 丸山真男は組織の論理が優先する社会を「たこ壺」社会と言ったが、

「箱」であれ「たこ壺」であれ我々は所与の世界を変えることが出来

ないのだろうか。

 世界は所与されたものでそこで生まれた生き物はその中でしか生存

出来ないとすればそういうことになるだろう。例えば、魚はいくら陸

の上で生きたいと思っても叶わないだろう。しかし、かつて彼等の祖

先の変わり者が、ある日陸に上がることを想い付いて苦しみながら這

い出さない限り、つまり世界は所与されたものでその中でしか生きる

ことが出来ないものと思っている限り、地上で生きる数多の生き物は

存在しなかったのだ。水中では水の抵抗が大き過ぎて進化は限定され

ていたが、抵抗が少ない大気の下で自由を得た生き物は目覚しい進化

を遂げた。もちろんそれまでには計り知れない経過が在っただろうが、

つまり、世界を所与のものとして太古からの伝統に縛られていれば人

間は存在しなかったのだ。あらゆる生き物は所与の環境の中から生ま

れてきても、自らを変えるか、或は環境を変化させて世界をそれぞれ

に適うように創り変えてきたのだ。我々は何の為に存在するのかと言

えば、世界を創り変える為に存在しているのだ。旧い「たこ壺」へ引き

篭もって古(いにしえ)に想いを馳せていれば何時まで経っても新しい

世界を望むことなどできないではないか。もし、「たこ壺」が我々の精

神に合わなくなれば叩き割ったっていいんだ。太古の証しが我々の存

在の正統性を証明してくれるわけではない。仮にそうだとしても、だか

ら何だというのか。たとえ日本語が英語に取って代られるとしても先人

達が残した情感は今も我々の精神に受け継がれている。言葉を亡くし

たからといって我々がその魂までも失うとまで言えない。仮に何もかも

失ったとしても、それはより今日的な何かを手にしたからだ。現に我々

はサルの特性など棄ててしまったではないか。ただ残すばかりが大事

だとは思わない、その伝統を継ぐ者が、従って我々が旧い世界から這い

出して新らしい世界を生むことこそ大事なのではないだろうか。その時、

我々は尚も民族や国家に拘っているだろうか?更には、まだ人間に留

まっているのだろうか?

                                     (つづく)

「バロックのパソ街!」 (二十二)

2013-01-21 02:29:22 | 「バロックのパソ街!」(二十一)―(二十
         


                  (二十二)




 卒業が間近になってくると、卒業生の誰もが新しい社会へ羽搏こう

として変身し、脱ぎ捨てた抜け殻に未練を留めないようにと急にヨソ

ヨソしくなった。それまで愛想好く声を掛けてきた友人でさえ、顔を

合わしても目線を逸らそうとした。誰もが人生の岐路を迎えて飛び立

つ社会への不安と向き合っていた。この国では18才でその後の人生

が決まる。否、高校入試で既に決まっているとも謂われる。それまで

口にもしなかった仕事の職業訓練を目指す者や、事情があって進学を

諦めた優等生など、他人事ではあるが興味が尽きなかった。そんな中

で、大きな夢を語っていたのはお笑い芸人の養成所を受かった者一人

だけだった。

 おれは、登校しなくてもいいことを幸いに相変わらず城天で歌って

いたが、高校生として歌っている時と明らかに周りの見る眼が変わっ

てきて、何らかの決定を強いられるのが耐えられなかった。

「プロになるの?」

そう聞いてくる者もいたが、自分では納得できる曲が全く作れなかっ

た。地元でやり辛くなったのもあるが、城天で歌うことにも飽いてき

た頃、考え事をしていて私鉄電車の駅まで来てしまい、「そうだ!京

都へ行こう」などと思わず、何気なく京都行きの特急電車に吸い込ま

れた。実は、親父は京都生まれだった。テレビの付いた特急電車は「

テレビカー」と呼ばれて今では当たり前かもしれないが、その私鉄で

は随分以前から走っていて、子供の頃はそれに乗りたくて用もないの

に京都に連れて行くようにせがんだ。もちろん家にテレビはあったが、

多くの子供はテレビを持ち歩けるようになればいいのにと思っていた

ので、「テレビカー」は夢の乗り物だった。だから、「ワンセグ」が

出てもそんなに驚きはしなかった。むしろ遅すぎると思った。大阪市

内を離れるとノンストップで京都市内に滑り込み、親父の実家へ行く

時には、終点に着くと下りの各停に乗り換えて通り過ぎた下車駅まで

後戻りした。ただ、両親が離婚してからは一度も訪ねたことはなかっ

た。車窓からその辺りを眺めたが一瞬のうちに通り過ぎてしまった。

しばらく来ないうちに京都は様変わりしていた。碁盤割された洛中に

千年を越えて軒を連ねてきた瓦屋根の平らかな町並みは、盤を誤った

のか将棋の駒のようなビルが大地から生え出して高さを競い、一瞬に

して平安の暮らしを遮ってしまった。「平城」であれ「平安」であれ、

古(いにしえ)の人々は「平」の字に強い願いを込めたのではないだろ

うかと、平成の時代にふと頭に過ぎった。ただ、観光客に人気の街の

一角だけは取って付けたような京風が演出されていた。内外の使い分

けは京都人が古くから培ってきた生活の知恵である。権力の下では人

は面従腹背と懇ろになるしかない。親父はそれを臨機応変と説明した。

おれはその言い換えこそが京都人らしさだと思った。

 終点の三条駅はいつの間にか地下ホームになっていた。地上に出て

すぐに土下座像に驚かされて三条大橋を渡ると、鴨川の川原にはすで

に何組かの者が演奏していた。しばらく眺めてから、コンビニで地図

本を買い、歩いて「イノダコーヒ」へ向かった。そこは京都ではよく

知られた珈琲専門店で、親父と一緒に京都へ来た時は必ず連れて行か

れた。ここのコーヒカップは今も愛用しているほどだ。カウンターに

座って「コーヒ」を頼んで地図を眺めた。さすがにノッけから鴨川の

川原でやるには気が引けた。すぐに砂糖とミルク入りの「コーヒ」が

出てきた。スプーンで混ぜながら地図を見て、「城天」のような場所

を探していると円山公園が眼に留まった。円山公園の野外音楽堂とい

えば、かつて関西フォークの拠点として、高石ともや、岡林信康とい

ったシンガー&ソングライターの草分けを輩出し、あのザ・フォーク

・クルセダーズを産んだ伝説の場所でもあった。

「よしっ、決めた!」

おれは「コーヒ」を飲み干して円山公園に向かった。

 珈琲店を出るとその通りを下って町家を抜けた。京都は大仰に「京

都らしさ」を掲げた処ほど京都らしくない。それは観光客の要望に応

えて外向けに演出されたものだ。ただ、人の訪れることのない忘れ去

られた処で時間が止まった懐かしい風情と出会うことがある。静けさ

が心地よい町家の一角に質素な和菓子屋を見つけ、拳ほどもある牡丹

餅を買った。帰り際にはおばあさんの「おおきに」に送られて、それ

を頬張りながら八坂神社の石段を登った。

 日本の伝統文化といっても今やその精神は忘れ去られようとしてい

る。茶の湯にしても時代が大きく変わって「わび」「さび」さえ伝え

難くなっているのではないだろうか。合戦に明け暮れる戦国時代の武

士(もののふ)たちが、恐怖に苛まれて非道の限りを尽して殺し合い、

死屍累々たる戦場から生還を果たすと、まず、殺めた者への弔いと自

らの救いを神仏に祈り、一方、茶の湯は凄惨な戦場の対極にあって、

「わび」「さび」は儚きものに宿る美意識によって殺人鬼と化した昂

ぶる魂を鎮めて、再び日常を取り戻す為の重要なこころの拠りどころ

であった。こうして信仰や茶の湯といった文化は、武家社会の庇護の

下でその意義が認められた。ところが、武家社会の消滅と共に本来の

意義が失われ、今ではうら若き乙女達の花嫁修業になってしまった。

そこで行われているのは「お茶会ごっこ」である。同じことが寺院に

於いても言える。つまり、伝統文化といってもその由るべき社会が失

われれば意義そのものが希薄に為るのは避けられない。ところが、そ

の精神だけを無理矢理引っ張り出して再び蘇らせようとするところに、

我々のスノビズム、つまり社会そのものはすっかり変わってしまった

のに過去の精神が性懲りもなく現れてきて「武士ごっこ」や「戦争ご

っこ」といった古臭い精神論が語られる。ただ、旧いズボンのポケッ

トに忘れたものを取り戻そうとすれば、ポケットと一緒にズボンも付

いてくるということを忘れてはならない。ただ道に従えば自ずと救わ

れるというのは旧い世界のことだ。大仰に言えば、我々が今求めるべ

きは、新しい社会に相応しい新しい精神ではないのか。

 「古都」京都を蓋っていた厚く重たい歴史の雲は流れ去って、どこ

までも晴れ渡った観光日和の秋の空が「観光地」京都に広がっていた。

                              (つづく)

「バロックのパソ街!」 (二十三)

2013-01-21 02:27:32 | 「バロックのパソ街!」(二十一)―(二十
            


                   (二十三)




 受験を控えた三年生にとって特にこの年末年始は大きな不安と共に

あった。それは単に入試が迫ったばかりではなく、これまでの社会の

ルールが大きく変わってしまったからだ。バブル崩壊によって、それ

まで年功を積めば勝手に昇級した肩書きは頭打ちになり、年功序列に

変わって能力主義が唱えられた。その代表が著しい発展を遂げたIT

関連のベンチャー企業だ。成功した若手起業家が連日マスメディアに

取り上げられ、IT社会こそがこれからの日本経済を支えるだろうと

語り、若者のベンチャー起業が持て囃されていた。ただその後、IT

バブルの崩壊と共にベンチャー起業も死語になってしまったが。

 受験もITにも縁のなかったおれは、去年と同じく年末の営業を掛

け持ちして廻っていた。何だ!おれだって若手起業家ではないか。と

ころが師走になって風邪をひいてしまった。恐らく比叡下ろしが吹き

荒ぶ底冷えのする京都で、胸を雪にされてしまったからに違いない。

喉の腫れが鼻からの呼吸にさえ刺激されて痛み、声が出せなくなった。

仕方なく部屋に独りで、というのは、母は年末から例の中国人のおっ

さんの家へ行ったきりで、母は「行ってもいいか」と聞いてきたので、

おれは年が明けたら京都へ出稼ぎに行く心算でいたので「いいよ」と

言った。コンビニから取り寄せてあったおせち料理で凌ぎながら侘し

く年が明けた。華やかさを演出するテレビを観ながら独りおせち料理

をつっついていると、家族は崩壊し進学の夢を諦め、更に今では就職

することすら困難な状況に在る自分は暗澹たる未来しか見えなかった。

「歌しかないか」

喉の痛みが治まって声が出るようになると、早速「京の冬の旅」に向

かった。

 古都京都はもの思いに耽るには絶好の場所だった。長い歴史を繋い

で来た時の移ろいはゆったりしていた。東山の山すその、古寺で落ち

葉でも燃しているのだろうか、甍の傍らから立ち上る煙りはもと居た

土地を離れることを厭うように山肌に靡いたと思うとしばらく中空で

濃くなって溜まり、それでも登ってくる煙りに上空へ追い遣られて薄

くなりながら広がり、山の端辺りで四方へ棚引いて、やがて古都の風

になった。その様子を何時までも眺めていたが、まるで天女が想いを

残しながら天上へ舞い上がる様を観ているようで、都会で見る工場が

吐き出す噴煙と違って「たおやか」だった。

 京都はまた学生の街でもある。そもそも学問とは古を知ることから

始まるのだから、古人の夢の址が残されていることは思索に勤しみ易

い環境なのかもしれない。それでは、反対に過去が一切残されない環

境では人間はやがてものを考えなくなるのだろうか?そこでは思考が

現実に優先するのだ。総ての考えは現実化されるが、考えに従って現

実が生み出され過去はすぐに消去されてしまう。例えば高層ビルが立

ち並ぶ近代都市とはそんな環境なのかもしれない。しかし、過去を失

くした者に未来が描けるだろうか。やがて思考は際限(再現)を失って

妄想を繰り返す。都会での思考が眼の前の現実に終始して殊更瑣末

なことに終始するのは過去を失ってしまったからかもしれない。如何な

る思想も現実の制限の中から生まれ現実を越えることなどできないの

だ。だから「我思う、故に我在り」は間違いで、「我在り、故に我思う」

なのだ。つまり、思想とはそれぞれの存在の反映でしかないのだ。だと

すれば我々は他人の思想をいくら学んでも自己に反映されないのでは

ないだろ

うか。我々は本を読んで思想に共感するのではない。ただ、自分の思

想を他人の言葉で確かめているだけに過ぎないのではないか。現実を

変えること、つまり、自分自身を変えること、それ以外に世界を変え

ることはできないだろう。何故そんなに新しい世界に拘るのかと言え

ば、それはおれ達がロストジェネレーション世代だからかもしれない。

世界を失った者は過去に縋るか新しい世界を生むしかないのだ。おれ

が学校で訴えた「反儒教革命」も、結局は人々の胸中深くに染み込ん

だ「儒魂」を一掃することが出来なかった。福沢諭吉が唱えた「独立

不羈の精神」は終ぞこの国には拡がらなかったではないか。人々は孤

独に耐えかねて自分自身を棄てて長いものに縋ったのだ。そして名分

を重んじる自虐道徳を排することは叶わなかった。世襲が蔓延し門閥

や序列社会に抗おうとさえ思わなくなった。自己を失くして卑屈に生

きれば餌と暖かい檻が宛がわれるのだ。この時代の閉塞感とは、自己

を棄てて社会に縋った自分達自身の閉塞感なのだ。つまり、社会が閉

塞しているのではない、我々自身が社会に閉塞されることを望んで

いるのだ。

 路上で歌い始めるとすぐに学生風の若者が集まって来たが、如何せ

ん儲けにはならなかった。夜になって盛り場へ移った。大阪の歓楽街

で何度かチンピラに絡まれ賽銭を巻き上げられてからそういう場所で

やりたくなかったが仕方がなかった。販売用のオリジナル曲のCDを

入れたバックパックの中に護身の為にサバイバルナイフを忍ばせてい

た。
                                   (つづく)

「バロックのパソ街!」 (二十四)

2013-01-21 02:25:57 | 「バロックのパソ街!」(二十一)―(二十
            


                   (二十四)




 底冷えのする木屋町通りには和装して着飾った初詣客が行き交っ

て京都の正月に相応しい華やかさだった。高瀬川の流れに逆らって

しばらく歩いてから邪魔になら場所を見つけて座り込みギターの調

弦を始めた。すると直ぐに、破魔矢を持ったほろ酔いの中年男女の

グループのひとりが面白いものを見つけたとばかりに憚ることなく

寄って来て、

「兄ちゃん、『シー ラブズ ユー』唄えるか?」

「ビートルズの?」

「ああ」

「ええ、唄えます」

「ほな、やって!」

そういってギターケースに千円札を放り投げた。中年は決まってビ

ートルズだ。ただ、おれの歌は聴こうとせず、この歌に纏わる自分

の失恋談を仲間の者に語り始めた。それでも暇を持て余した往来の

人々は何が始まったのかと覗き込み、すぐに胸の奥に閉じ込められ

ていた青春時代の恋愛の思い出が甦ってくるのだろうか足を止め、

おれの周りを囲む一重の人の輪ができた。そして、誰からともなく

手拍子が起き、更にリクエストに応えておれのビートルズメドレー

が始まった。ただ、唄ってる間に悪寒が始まり、治まっていた風邪

がぶり返した。熱に冒されながら熱唱していると最前列に陣取った

客の隙間から誰かがギターケースの賽銭箱に一万円札を投げ入れた。

それを見た客が「おおーっ」と声がしてその人物を確かめようと前

に居た客が振り返った。それまでおれは唄に集中して気付かなかっ

たが、客の一人が指すギターケースを見て中にある一万円札に驚い

た。曲を途中で終えて二つ折りにされた一万円札を確かめると何と

5枚も束ねられていた。投げ入れた者を尋ねると、前に居た客が立

ち去るロングコートの男の背中を指差しながら、「あの人、あの人」

と教えてくれた。後姿だけしか見えなかったが、行方の判らなかっ

た親父に間違いなかった。

 ああ、おれは一体どうしてこんな世界に間違って生まれてきてし

まったのだろうか。世界が存在しなければおれ自身も存在しないの

だとすれば、おれも世界の一部に過ぎないのかもしれないが、その

繋がりを見失ってしまった。だから卒業して演劇社会の中でひとり

の社会人を演じることの虚しさに耐えられなかった。かと言って自

分の中に何か存在するに足る想いが在るわけでもなかった。世界も

自分も全く信じることが出来なかった。つまり、自分の存在理由を

見失った。そんなものは端から在りはしないと解かっていても、役

に立たなくなった鶏のように首を絞められて肉にされるくらいなら、

さっさと自分で自分のケリを着けたかった。社会が全てではないと

言い聞かせても、それに変わる何かが自分の中に見つからなかった。

自分の想いが自分自身を離れて雲の彼方に在るように思えた。そし

て、よく自分にこう自問した、

「何でお前はここにいるの?」

それは何時だったか誰かに浴びせられた言葉だったが、言葉だけが

記憶されて誰に言われたかよく思い出せなかった。

 おれはギターを置いて「ちょっと」とだけ言い残して客を放った

らかしにして、闇の中に消えようとする見覚えのあるロングコート

の親父の背中を追いかけた。そしてその背中に「お父さん」と声を

掛けようとした時、おれは親父に「お父さん、お母さん」と呼ぶよ

うに躾けられていたんだ、ちょうどその時、傍で待っていた幼い女

の子が覚えたばかりの危なっかしい足取りで、それはまるで初期の

二足歩行ロボットのように、軸足に重心が掛かり過ぎて立ち止まり

転倒するのかと思えば巧みに上半身を操って前方に重心をかけてバ

ランスを取り戻すと今度はその勢いのまま前に駆け出して、おれの

親父に、「パパ!」と言って体を投げ出した。親父はいよいよ倒れ

るばかりのその子の体をいとも容易く抱え上げて愛おしそうに頬ず

りをした。そして、すぐにその子に従ってきた親父と年格好の近い

中年女性と言葉を交わしながら三人揃って歩き始めた。それは誰が

見ても微笑ましい家族の姿だった。おれはただ呆然と立ち竦んでそ

の男の家族が闇の中に消え入るのを見つめていた。ただ、親父は闇

の中に消え入る前にチラッと後ろを振り返って立ち尽くすおれを見

た。

 おれのライブを待っていてくれた観客が諦めてその場を立ち去り、

立ち尽くしたままのおれとすれ違い際に「お金、危ないよ」とか何

か声を掛けてくれた。仕方なくおれは再び舞台に戻りそれでも待っ

ていてくれた観客に詫びて、ビートルズの「No reply」を唄った。

この曲は斬新な曲だった。ジョン・レノンはよくイントロ無しの曲

を書いているが、例えばイントロが曲調をオーディエンスに知らせ

る為に用意されるとしたらいきなり始まることで衝撃を与えた。ロ

ックミュージシャンとしてのジョンの魂は退屈な曲を創らないこと

が徹底されていた。今では説教じみた賛美歌のような音楽が何と氾

濫していることか。初めて聴いた時は歌詞が解からなくて、それで

もサビで繰り返す「 I saw the light 」の「the light」は何か深

い意味があるのだと思っていたら、何のことはない歌詞カードを見

るとそのまんま部屋の「明かり」だった。そして、歌そのものも片

思いの男の未練たらしい歌だった。例えば日本語で「電気点いてた

じゃん!」なんて絶対に歌のサビにならない。

 ただ、「No reply」は親父に対するその時のおれの想いだったの

かもしれない。

 おれの親父は、日本の高度経済成長の流れにうまく乗り、やがて

その激流に呑み込まれて、遂にはバブル経済の崩壊という奈落に叩

き付けられて、結局何もかも失うという悔やみ切れない半生を送っ

た。ただ、彼は終ぞ自分の力で泳いだことなどなかった。三流大学

を出て学歴偏重の会社に嫌気が差して辞めてしまい、職を転々とす

る内に知人の建設業を手伝い始めると運よく建設ブームが起き仕事

が増え、すぐに独立して会社を起こし、その会社の資材置き場とし

て手に入れた荒地の傍に大学病院が移転して来ることになったが、

ところが親父の土地は区画から僅かに外れてガッカリしていると、

すぐに薬局の経営者が是非譲って欲しいと現れて、そこで破格の値

段をふっ掛けると相手はあっさり応じた。今度はそれに味を占めて

不動産業に手を出すと不動産バブルが起った。こうして親父の絶頂

は奈落に落ちる寸前に迎えた。一方、その学歴コンプレックスはわ

が子の教育に向けられて有名校への進学を厳しく求めた。試験の成

績が悪いと容赦なく鉄拳が飛んできた。一度はおれが避けた所為で

耳に当り鼓膜が破れたことさえあった。ただ、いくら殴られてもお

れは親父を尊敬し恨んだりはしなかった。親の虐待が日常になると

子も慣れっこになって、それが当たり前だと思ってしまうのだ。更

に学歴社会に苦しめられた体験談は説得力があって、それでなくと

も勉強の出来る子に対して学校だけでなく世間も一目置いてくれた

ので親父には逆らえなかった。社会は不平等な競争を黙認しながら

一方で過激な競争を批判する。しかし、いじめや虐待を助長させて

いるのはこのエゴ贔屓社会なのだ。
                
 おれは親父に会いたかった。会って、おれはこれからどう生きれ

ばいいのか聞きたかった。だから次の日も風邪の熱に魘(うな)され

ながらも同じ場所で路上ライブをした。夜も遅くなって人通りが途

絶え始め、誰もが寒さから逃れようと足早に帰路を急いで立ち止ま

ろうとしなくなったころ、背後から聞き覚えのある男の声がした。

「タカオ、元気だったか」

振り返って見ると親父だった。おれは許せない想いと縋りたい思い

がごっちゃになって咄嗟に何も言えなかった。おれと親父との気ま

ずい雰囲気を全く気にも掛けようとしない人々の日常が羨ましかっ

た。

「悪かったな、お父さんを許してくれ」

その言葉は弱々しく以前の逞しい親父ではなかった。

「ああ」

「学校はどうした?」

「もう諦めたよ」

親父はすこしうな垂れて、

「すまん」

残念そうに言った。

「お母さんは元気か?」

「ああ」

「そうか」

「・・・」

「おまえ、こんな処に居ったら風邪ひくぞ」

おれは親父の言葉に答えないで、

「何で逃げたんや?」

「あぁ?」

「何で皆を放たらかしにして逃げたんや」

「それには色々事情があって・・・」

おれは初めて親父のオドオドする姿を見たからかもしれないが、急

に怒りが込み上げてきて、それまで押し殺していた反感が口を吐い

た。

「それをちゃんと説明するのがあんたの責任やろ!」

怒りは順序立てて考えようとしないから暴発する。積み重なった過

去の忌まわしい記憶を引っ張り出すと積み上げられた思い出は容易

(たやす)く崩れた。

「タカオ、悪いけどもうお父さんは居らん思てくれ」

親父はそう言い残して立ち去ろうとした。おれは、熱の所為かもし

れないがその態度が許せなかった。わが子に厳しく接しながら自ら

にはその厳しさを課そうとしない態度だ。すぐに虐待を受けた幼い

頃の記憶や母への思い遣りのない言葉が甦ってきて、更に、昨日の

幼い子の姿が眼に浮かんで、おれは、今となっては、きっと熱の所

為だったとしか言えないが、バックパックの中のサバイバルナイフ

を握り締めて親父の後を追った。

 アカン、順序を辿って淡々と書こうと思ったのに感情的になって

端折(はしょ)ってしまった。ただ、もう気付いただろうがおれは親

父を殺めようとしたんだ。ただ、人はどうして殺人を犯してしまう

のか、その経緯を冷静に語ろうと思ったんだが、というのは実際の

殺人事件でもなぜ人を殺すことになったのか、そんな経験のない者

には全く理解が及ばないだろうから。そこには超えられない大きな

乖離がある。しかし、殺人を犯そうとする者は何故その乖離を飛び

越えてしまうのだろうか。などとおれが言うのもおこがましいが、

そうだ、まさに殺人を犯す者はその乖離を飛び越えてしまうのだ。

もちろん憎しみの感情が動機には違いないが、ただ、憎しみだけで

飛び越えられるものではない。世間には愛の数だけ憎しみが蠢(うご

め)いている。もしも憎しみが動機として認められるなら殺人事件は

桁違いに増えることだろう。そうならないのは簡単には飛び越えら

れないからだ。つまり、動機があっても人を殺めたりはしない。多

分、それは自殺の衝動に似ている。死にたくなったからといって人

は安易に叶えようとはしない。もしかして明日になれば生きていて

よかったと思えることが起るかもしれない。飛び降りるかブラ下が

るかの行為は後戻り出来ない大きな決断を強いなければならない。

そんな切迫した相克に迷う者は感情的な動機などどうでもいいのだ。

決断する者はそんな動機をすでに超克してしまっている。ただ、「す

る」か「しない」かの二者択一しか残されていない。だが、「しない」と

決断すれば再び動機を生んだ状況へ自分を棄てて舞い戻らねばな

らない。ところが、自らを死の淵へ追い込んだ絶望と死の淵から振り

返る絶望とは異なったものなのだ。つまり、絶望からの逃避はまだ

希望があるが、絶望への回帰はただの絶望でしかない。そこで、自

らを棄てて再び絶望へ回帰するよりも、自らを守るために乖離を飛び

越える決断をする。しかし、いくら絶望を回避しても希望は生まれな

いだろう、恐らく希望とは絶望を転化させるしかないのだ。

 おれは足早に立ち去る親父の背後を追い駆けてその勢いのまま握

り締めていたナイフを、親父の背中に衝き刺した。二人は重なりな

がら前へ倒れ込んだ。その拍子におれは親父の背中に突き刺さった

ナイフを手放してしまった。親父は、

「何をするんや」

と小さな声で言った。たまたま側を通りかかったアベックが行き交

う際に親父の背中に刺さったナイフを目にしたのかもしれない、

「ぎっや―ッ!」

と悲鳴を上げると、傍らにいた男も、

「人殺しや―っ!」

と叫んだ。

 おれは、薄れていく意識の中でそこまでは覚えているが、実は、

その後どうなったのかは全く記憶していない。

                                  (つづく) 

「バロックのパソ街!」 (二十五)

2013-01-21 02:24:33 | 「バロックのパソ街!」(二十一)―(二十
              


                 (二十五)



あれは、確か中学2年の時だった。学校のテストで初めて学年一番

になって親父に褒めてもらいたくて急いで家に帰ったら、親父は仕

事で家に戻って来ず電話までも通じなかった。次の日が休日で、お

れはとても待っていられなくて京都の実家に寝泊りしている親父に

会いに行ったんだ。祖父母は高齢でしかも玄関の呼鈴が鳴らなくて

も日に三度は「今鳴った?」と二人で確かめ合うほどの俗に「ウナ

ギの寝床」と呼ばれる奥まった住まいで、ところが、呼鈴が来訪者

を伝える時は決まってテレビの大音量に掻き消されて気付くことが

なかったので、勝手知ったる「寝床」に入り込んで親父が使ってい

る部屋の襖を開けた。すると、親父と見知らぬ女が寝床の上でまさ

にウナギのようになって絡まっていた。振り向いた親父は暫く凍り

ついて、

「何でお前はここにいるの?」

そう言った。そうだ!あれは親父の言葉だったんだ。親父はだらし

なくウナギを垂らしたままの姿でこっ酷く叱って、

「お母さんには絶対に言うな!男の約束だぞ」

そう口止めされてゲンコツと同時に思わぬ小遣いまでくれた。あの

時の親父の顔は馴染みのある父親の顔ではなかった。もちろん中学

生ともなれば「寝床のウナギ」が何をしていたか位のことは解かっ

ていた。ただ、親父が言ったあの言葉が頭を離れなかった。

「何でお前はここにいるの?」

「何でおれはここにいるのだろう?」

 おれは世界中の色を混ぜ合わせて出来た黒い闇の中を彷徨ってい

た。目に届くのは満天に燦めく星の光だけだった。ところがその美

しさに見蕩れていると大地を踏み外して奈落へと堕ちてしまった。

それは止まることのない永遠の落下だった。落下は自らの意思で抗

うことの出来ない力だ。まるで命綱を断たれた宇宙飛行士のように

なす術もなく宇宙の果てへと堕ちていった。在るのは光と重力だけ

の宇宙空間だった。世界は光と重力で出来ているのだ。そして光と

重力は単なる「エネルギー」だ。さて、おれはその「エネルギー」

を何と言い換えようか?「神」と呼ぶべきなのか、それとも「愛」

とでも。ああ、言葉は何と無意味であるか!その無意味さこそが我

々の総てなのだ。神の言葉がすでに意味を失ったように、いずれ、

我々が残した言葉も笑い種になることだろう。何故なら言葉は移り

変わりを捉えることが出来ないからだ。それは昔に放ったウンコの

ようなものだ。再び出会うことになった時の何とばつの悪いことか。

おれは宇宙の孤独と語るために言葉を棄てた。在るのはただ光と重

力と自分だけだ。しかし、おれは本当のおれだろうか。過去の自分

を自分だと認めることが出来るだろうか?これからの自分を自分だ

と言えるだろうか?もしかして自分こそが他者ではないのか。果た

して自己すら認識できない者に他者の意味を問うことが出来だろう

か。こうしておれの認識は崩壊し自分自身を見失って光と重力に飲

み込まれて意識を失った。

  おれは親父を殺めなければならなかった。そうしなければひと

りで生きていくことが出来なかった。親父がおれに説いたことや諌

めたことを覆すにはそうするしかなかった。この自虐社会という宗

教から離脱してひとり生きるには、おれを自虐道徳で洗脳した親父

を殺るしかなかった。ただ、おれは決して憎しみだけで親父を殺ろ

うと思ったのではなかった。この矛盾した自虐社会をぶっ壊す為に、

つまり、「親殺し」はおれの「反儒教革命」の結論だった。

                         
                                  (つづく)