「無題」
(五)―②
清算を済まして改札を抜け、土産物店が並ぶ駅前の商店街を少し
歩いたが、まったく日本の駅前は何者かによって規制されているか
のように何処も彼処も似たり寄ったりですぐに飽いてしまい、確か
公共浴場があったことを思い出してそっちへ向かった。私は温泉は
好きでも、いわゆるスーパー銭湯は嫌いで、券売機が置いてあって、
百円が戻ってくるロッカーがあって、更に浴室が直線で仕切られた
タイル張りの湯舟だったりすると普段の生活を引きずってしまい、
湯に浸かっても寛ぐことができず、何か無駄をしているように思え
てきて躰を洗った後はさっさと湯に浸かって上がりたくなる。それ
は入浴であって湯浴みではない。そういう浴場では見知らぬ者同士
がことばを交わすことも憚られ、誰もがただ淡々と作業をこなす。
つまり、裸同士の付き合いが生まれない。更に言えば、浴場からは
時計もテレビも隠しておいてもらいたいものだ。
などと思いながら浴場に着くと、さっそく番台の人に「先に券売
機で券を買って下さい」と言われた。仕方なく言われた通りにして
脱衣場ののれんを破ると壁際の「百円は戻ってきます」と注意書き
されたロッカーに服を投げ込んで浴場の引戸を開けた。真っ直ぐに
敷かれたタイル張りの湯舟から流れ落ちる源泉が掛け流されて溢れ、
湯面を揺らして天窓から差し込む日差しを煌めかせていた。開いて
間なしのこともあって洗い場にたったひとりだけ老人が居るきりだ
った。掛け湯をして六畳間ほどの浴槽に入ると思ったよりも深かっ
た。縁には中程に足置きの段差が設えてあったが躰を湯に浸けるに
は立っていなければならなかった。中腰になって肩まで浸かってい
ると、ハテ、自分は何でこんなことをしているのだろうかと落ち着
かなかった。早々に入浴を切り上げて上がろうとした時、洗い場か
ら老人が近付いてきて、
「見んお方ですな」
と、声を掛けてきた。ずいぶん高齢に見えたが言葉ははっきりして
いたし何よりも気概があった。痩せてはいたが無駄のない引き締ま
った躰だった。私は足場の段差に腰を置いて、
「ええ、東京から来ました」
「それはそれは。お仕事かなんかで?」
「えっ、まあ、そんなところです」
そのあと、老人はここの一番風呂に入るのが日課であるということ
を話し始めて、今は引退してしまったがずっと漁師をしていたこと、
ところが、二人いる息子は後を継がないで一人は陸に上がって農業
をやっていて、もう一人は東京で会社員だとか、そして、
「東京のどちらですか、おたくは?」
私が答えると、
「そうですか」
と言っただけで、どうも息子が暮らす馴染の土地と違ったようでそ
れにはそれ以上触れずに、
「まあ、漁師も稼ぎにならんですから仕方ないですけど」
と言いながら、面白いように獲れたという昔ばなしを話し終わると、
湯舟から上がってタイル張りの地べたに座って、今度は聞いてばか
りいた私に、
「あなたはどんなお仕事をされているんですか」
と、応分の身元を明かすように迫ってきた。私は、
「スーパーに勤めてます」
と答えると、
「それはいいところに勤めてらっしゃる」
と、知るはずもないのに持ち上げて、分ってはいても私もつい乗せ
られて、
「いやあ、時間ばっかり長くって」
「何でも、東京じゃスーパーも夜中までやってるんでしょ」
「競争ですからね」
「ふーん、そりゃあたいへんだね」
と水を向けられると、その場限りの気兼ねのない相手に、今度は私
が日頃の鬱憤を愚痴った。すると老人は、私の嘆きに同感するよう
に、
「わしらもずーっと働いてばっかりだった」
「ええ」
「どうしても家族を食わせないといかんからね」
私はそのことばに、これまで自分のしてきたことが間違いじゃなか
ったと認められた思いがして癒された。老人は、
「働いて、働いて、働いて、それで死んでいくんだ。はっはっはぁ
ー」
そのことばには重い実感がこもっていて、身につまされた。それで
も、悔しさは微塵も感じられなかった。他人が何と言おうとそうす
る他なかった現実の、迷いのない諦めのような自信に頭が下がった。
家族を養うために「働いて働いて働いて」そして「死ぬ」、何が間
違っているというのか。私は、それ以上のことを言えなくて黙った。
まもなく、老人とはなじみの数人の客が入ってきて、ふたりの会話
は途切れ、日課のように繰り返されていたにちがいない世間話に話
題は移った。
(つづく)