「技術と芸術」
(9)
我々の道具でしかなかった「技術」はすでに知能まで付与されて、
そしてさらに進化して、いまや主体である我々の方が彼らの道具に成
り下がろうとしている。
「技術と芸術」
(9)
我々の道具でしかなかった「技術」はすでに知能まで付与されて、
そしてさらに進化して、いまや主体である我々の方が彼らの道具に成
り下がろうとしている。
「あほリズム」
(657)
いずれ死んでしまう運命にとってこの世は「仮象の世界」で
しかなく、来世である「真の世界」での永遠不滅の幸福な人生
を信じて疑わなかった人々は、現代の我々よりこの世への執着
はなく、身に降りかかる不幸さえもさほど気にしなかったが、
ところが、科学の発達によって来世救済が如何わしく思えて来
ると、かつては信仰によって自らを律していた人々が、競って
「この世」限りの幸福を追い求めるようになり、こうして人間
は、かつては宗教による救済に依存し、そして今日では科学技
術がもたらす豊かさに依存するように、我々は決して身一つだ
けで自立して生きていくことができない。
「あほリズム」
(654)
「神が死んだ」と説いたニーチェはこう言います、
「われわれは、真の世界を破棄した。いかなる世界が残されたか。
もしかすると、仮象の世界でも?・・・・断じて否。われわれは、
真の世界とともに、仮象の世界をも廃棄してしまったのだ。」
* * *
「真の世界」とは永遠不滅の「神の世界」、つまり「あの世」の
ことで、「あの世」の存在を信じない者は移り変わる「仮象の世界」
、つまり「この世」こそが「真の世界」だと思えるだろうか?とこ
ろで、われわれはいずれ必ず死んでしまう。だとすれば、果たして
自分が居なくなる世界を「真の世界」だと言えるのだろうか?「あ
の世」を棄てたことで「この世」も意味を失ってしまったのではな
いか。こうして世界はニヒリズムに陥る。そして、ニヒリズムを埋
めるように科学技術が発達した。われわれは小石で遊ぶ猿のように
科学技術を玩(もてあそ)ぶ。しかし、科学はせいぜい世界の一部で
しかなく決して世界全体を掌握できない。つまり、われわれは何ひ
とつ解らないまま死んでいく。