「生まれ出ずる歓び」
(七)
次々に消されていく照明灯に急かされて改札を出た。そこは初めて降り
た街だったが、すでに東京の街はどこも同じハードウエアによって造られ
ているので殊更とまどったりはしなかった。馴染みのあるビジネスホテル
やコンビニ、そして有名なコーヒー店に多種多様な飲食店など、そしてど
こまでも続くビル街、それらはどこの駅前にもある似通った景観だった。
東京に来たばかりの頃、この人工の建築物が永遠と続く街並みに恐怖を覚
えパニック障害に陥りかけた。特に電車に乗っている時には檻の中に入れ
られた思いがして次第に動悸が治まらなくなって途中下車したこともあっ
た。だからよく用もないのにまだ自然が残されている郊外に足を運んだ。
帰る術を失ったおれは仕方なく目の前のビジネスホテルに泊まろうとし
たが、思い直してすこし街を歩いてみようと思った。そして歩きながら佐
藤のことを考えた。
佐藤は若い時からニーチェを愛読していて、話をしている時にもよくニ
ーチェの名前を口にした。佐藤によるニーチェ思想とは、世界は混沌と秩
序からなり、それは生成と真理へも変換される。おれは佐藤に勧められて
ニーチェの処女作「悲劇の誕生」だけは何とか読んだが、そうだ、浅田彰
の「逃走論」にもニーチェが語られていたっけ、しかし、そもそもギリシ
ャ文化にそれほどの造詣がなかったのでチンプンカンプンだった。ただデ
ィオニュソス対アポロの対立概念だけは何となく分ったような気がした。
つまり、混沌と秩序の対立概念は、生成と真理の対立であり、そしてそれ
はディオニュソス対アポロの対立だと思った。そこで、世界とは変動する
生成であるとするならば、固定化した不変の真理というのは成り立たない
ことになる。つまり「真理とは幻想なり」である。近代社会はもとよりそ
の真理の探究によってもたらされた科学技術によって発展した。しかし、
そもそも真理が幻想であるとすれば、当然、科学文明社会も幻想であり、
いずれその限界が訪れるのかもしれない。それはエネルギー資源の枯渇に
よってか、或は環境破壊によってか分らないけれど。
佐藤は、「変動する生成の世界は循環しながら再生されるけれど、科学
によって生み出された固定化された人工物質は自然回帰しないので再生さ
れない」
「確かにそうだけど・・・」
「それどころか生成の循環を阻害して自然回帰を滞らせている」
「でもさ、だからと言って科学文明を棄てて自然に帰ることなんてできな
いじゃないか」
「何もそこまでは言ってないさ」「ただ、我々はますます生成の世界から
離れて家畜化しているんだ」
「かちくか?」
「そう家畜化」
彼の言ってることがよくわからなかったので黙っていると、
「家畜化とは、つまり生成変化する世界を固定化すること」
「管理社会ってこと?」
「まあそうかな、循環しながら再生進化する生成のしくみから見れば固定
化した科学文明は直線的で、直線って効率的かもしれないけれど円環しな
いから再生できない。再生しない生成は進化しない。進化しない生き物は
家畜じゃないか」
「科学技術の進化が生成そのものの進化を阻んでいるってことだろ」「ま
あ、それは何となく分るけど、でもしかたがないじゃないか」
「そうだ、しかたない」そして、「確かに科学技術は我々の何とかならな
いかという期待に答えてくれた。ただしそれは自然循環を破壊し、生成と
しての生成の世界を犠牲にしてことなんだ」
彼が言わんとしているのは、たぶん、変動する生成と固定化した科学技術
の相違がやがて文明を破たんさせると言うのだ。そして、生成として変遷
流転する存在であることを忘れた我々は家畜化、それは固定化によって進
化しなくなり、やがて変遷流転する自然循環から外れ再生できずに絶滅す
ると言うのだ。
佐藤は、彼の地元である福島県が原発事故に遭ってそれまでの科学至上
主義の考え方を疑うようになった。そして、
「福島の問題は実は福島だけの問題じゃないんだよね」
「もちろん、世界中で稼働している原発にとっても他人事ではないけれど
、さらに、さまざまな環境問題が指摘されている近代社会のあり方も問う
ているんだ」「つまり、近代社会の継続か撤退かの」
おれは佐藤ほどの切迫感を持ち合わせていなかったので、原発問題にして
も中途半端な考えしか言えなかった。
「もちろん事故は許されないけど、だけど今の生活は失いたくない」
それは背反だと佐藤は言った。しかしその背反した二律の間隙にこそ我々
が望む暮らしが営まれていた。ただ中途半端な選択の中には最悪の事態、
つまり再び原発事故が起こって、同時に今の生活のすべてを失う可能性も
残されていた。そして佐藤は、それは日本と言う国の消滅にほかならなら
ないと言った。
「もはや豊かさか安全かの選択じゃないんだ。豊かさかそれともこの国の
消滅かの選択なんだ」「それは悲しむ人すら居ない無人の世界だ」
おれは佐藤の言ってることがまったく解らないわけではなかったが、た
とえば車があるのにそれには乗らないで歩くなんてことは出来るわけがな
いと思った。車が走るという事実の先にはその動力を生む燃料が必要で、
その化石燃料は地球温暖化をもたらし異常気象を引き起こすだとか、或は
原発は一度メルトダウンが起これば放射能汚染の拡散によって深刻な被害
が及ぶだとか言われても、たぶん我々は最後のガソリンを使い切るまで、
もちろん環境は更に悪化するだろうが、或は再び深刻な原発事故が起こる
まで、その時には日本という国家は消滅しているだろうが、あたかも薬物
依存から脱け出せないジャンキーのように、文明への依存から自立するこ
とはできないだろう。ただ、科学技術の進歩は環境の退歩によって賄われ
るゼロサムゲームであることだけはよくわかった。
(つづく)