「あほリズム」
(83)
希望とは絶望からの逃避によって生まれるのではない、絶望を転
換させることによって生まれる。
(84)
絶望は希望を持つことから生まれる。
(85)
だから、希望は絶望の中に隠れている。きっと、
(86)
つまり、絶望から逃避することは同時に希望から遠ざかることになる。
(87)
「さあ、希望について語ろう!」
つまり、我々の絶望について語ろう。
(87)
「人は幸福に為るために生きている」と言う人がいるが、もしそう
だとすれば、まず先に人の幸福があってその後に人が生まれてくる
ことになって順番がおかしい。つまり、「人は生きている限り幸福
になることを望む」でなければならない。
(88)
それでは、「人は何の為に生きているのか」といえば、まさにそ
の「何」を求めて生きているのだ。つまり、「人は『何』の為に生
きている」のだ。
(89)
トルストイは「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭は
いずれもそれぞれに不幸なものである」と言ったが、実は、傍目か
ら窺う他人の幸福ほど怪しいものはない。何故なら人は不幸を隠し
て幸福を装うからだ。
(90)
例えば言葉を入れ替えて「不幸な家庭はどれも似たようなものだ
が、幸福な家庭はいずれもそれぞれに幸福なものである」と言い換
えても強(あなが)ち間違っているとは思えない。つまり、人の幸不
幸は他人が決めることは出来ないのだ。
(91)
東京のホームレスと南アフリカ・ヨハネスブルグのホームレスと
はどちらが不幸か、などと比べても一概には答えられないように、
というのは豊かさの中の貧しさ(孤独)と貧しさの中の豊かさ(共生)
は比べることが出来ないから、同じように幸福も「どれも似たよう
なもの」ではない。
(92)
幸福とは不幸からの逃避によって生まれるのではない、不幸を転
換させることによって生まれる。
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(83)
希望とは絶望からの逃避によって生まれるのではない、絶望を転
換させることによって生まれる。
(84)
絶望は希望を持つことから生まれる。
(85)
だから、希望は絶望の中に隠れている。きっと、
(86)
つまり、絶望から逃避することは同時に希望から遠ざかることになる。
(87)
「さあ、希望について語ろう!」
つまり、我々の絶望について語ろう。
(87)
「人は幸福に為るために生きている」と言う人がいるが、もしそう
だとすれば、まず先に人の幸福があってその後に人が生まれてくる
ことになって順番がおかしい。つまり、「人は生きている限り幸福
になることを望む」でなければならない。
(88)
それでは、「人は何の為に生きているのか」といえば、まさにそ
の「何」を求めて生きているのだ。つまり、「人は『何』の為に生
きている」のだ。
(89)
トルストイは「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭は
いずれもそれぞれに不幸なものである」と言ったが、実は、傍目か
ら窺う他人の幸福ほど怪しいものはない。何故なら人は不幸を隠し
て幸福を装うからだ。
(90)
例えば言葉を入れ替えて「不幸な家庭はどれも似たようなものだ
が、幸福な家庭はいずれもそれぞれに幸福なものである」と言い換
えても強(あなが)ち間違っているとは思えない。つまり、人の幸不
幸は他人が決めることは出来ないのだ。
(91)
東京のホームレスと南アフリカ・ヨハネスブルグのホームレスと
はどちらが不幸か、などと比べても一概には答えられないように、
というのは豊かさの中の貧しさ(孤独)と貧しさの中の豊かさ(共生)
は比べることが出来ないから、同じように幸福も「どれも似たよう
なもの」ではない。
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幸福とは不幸からの逃避によって生まれるのではない、不幸を転
換させることによって生まれる。
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