「(菅)話放題」
菅総理は、財務大臣の時からデフレからの脱却を宣言していたが、
果たしてデフレや或はインフレというようなものは、政策によって
克服できるものなのだろうか。デフレとは簡単に言うと(難しく言
えないが)、需要が減って物価が下がり経済が収縮することである。
なぜ需要が減るのかと言えば、概ね消費者が「欲しくない」か或は
「欲しくても買えない」か、それとも「欲しいけど買わない」の何
れかだろう。もちろん「欲しくない」人にいくらお金を与えても貯
蓄に廻るだけだ。単純に「欲しくない」と言ってる訳ではないだろ
うが、消費意欲を刺激する技術や文化がIT革命以来生まれてない
のだ。それでは「欲しくても買えない」人にはお金を与えれば買っ
てくれるだろうか?それぞれの家庭には家計の優先順位がある。
「子供の為に使って下さい」と言って与えても「子供の為に蓄える」
だろう。そして「欲しいけど買わない」で我慢するのは将来に対す
る不安からだ。つまり、いくら政府が笛を吹いても消費者は踊らな
いのだ。更に、政府が値引き分を支払って消費を促すエコポイント
などは、そもそもそれこそがデフレを誘導する政策ではないか。数
字の結果ばかりを見てその原因を生み出した消費者の心理を探らず
に、ただ物価の下落を押し止めようとしても、更に債務が膨らんで、
それが消費に影響を与えていないだろうか。国民の多くは既に景気
が好くなって再び消費に浮かれる時代が訪れることなど努々(ゆめゆ
め)思っていない。環境問題が叫ばれる時代はデフレこそが国民の偽
らざる実感なのだ。生活環境を換えることなく、使い捨て容器など
規制せず、企業優先の既存の社会システムのままで、消費者にばか
り環境問題の義務を負わせても、モノを買う時の選別よりも処分す
る時の分別に迷ってしまうようでは、「欲しいもの」さえ諦めざる
を得ないではないか。
ただ政府には、大借金を一機に取り戻そうとして半かな博打に手
を出して、ローン会社と賭場を行ったり来たりするような醜態を曝
してはならない。そもそも借金は身を削ってでも地道に、高度成長
のエスカレーターに乗り慣れた我々はこの「地道」を自力で登れな
くなってしまったが、一歩々々耐えながら返済を積み重ねていくし
かない。債務返済者にとって最も危険な誘惑は「投資で被った損失
は投資で取り戻すしかない」などといった身を切る覚悟を無くした
姿勢、覚えに新しきは国民から広く支持を集めた前政権下に於いて
も御用学者を用いて、曰く「経済成長なくして財政再建なし」など
と語らせ、任を解かれた今では頻りと経済成長を成し遂げた功績を
誇るが、本来の財政を建て直す話しは一切しない。つまり「経済成
長しても財政再建なし」だった。「我々」はまるで、貸し金屋への
道すがら賭場の前で立ち止まりその誘惑に負けて預かり金に手をつ
けてしまい、返済の筈が再び借用を申し出る破産者のように、いく
ら経済成長を果たしても債務返済に回したことなど無かったではな
いか。そして政権が代わる度にお題目のように「経済成長なくして
財政再建なし」と云われ、経済成長の財源はやっぱり債務に頼り、
結果さらに借金ばかり膨らんでいった昨日までのことを決して忘れ
てはならない。ところが、菅総理は再び三度、官僚の言葉に耳を傾
け「間違わなければ」と前置きをしたが、「我々」はこれまでに何
度同じ言葉を聞かされ何度「間違って」きたかた!まさか、「我々」
までもがそんなことをもう忘れてしまったなどということはないと
思うが?
(菅)
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