「人はみんないつか死ぬ」(2)
学生の頃、大学病院の研究室に臨時職員として働いたことがあった。つま
り二部制の学校に通っていた。仕事の方はカルテや文献などの資料を探して
コピーする雑用のほかに、主に先生たちが犬を使って動物実験するための手
術の手伝いだった。話は逸れるが、かつて難病(軟骨肉腫)を患って顔の半分を
切除しなければならなくなった大島みち子さんという女性は、最後には完治
できずに亡くなられ、残された恋人との交換日記が「愛と死を見つめて」と
いう題で出版されベストセラーになり、またその本を映画化した吉永小百合
主演の映画も大ヒットしましたが、その映画の中で彼女が「実験に飼い置か
れし犬の声 病舎にひびきて夜寒身にしむ」と詠んでいたのを観て驚いた
が、まさにその「実験に飼い置かれし犬」の世話をずっと後のことではある
が任されていた。今では考えられないことだが、実験には輸血用の血液が大
量に必要な為に、ただその為だけに、動物の保護施設から運搬用のケージに
入れられて身動きできない犬に麻酔薬を注射して眠らせ、後ろ足の動脈にカ
テーテルの針を挿して脱血して血を集めた。もちろん犬は何も抵抗せずに絶
えた。そもそも術後の経過観察は目的ではないので、血液型とかは関係なか
ったのだと思う。術後の実験室の片隅には血を抜かれて殺された犬が投げ捨
てられていた。彼らのあっけない死に方を見ていて、私は、もしも、どうし
ても自栽しなければならなくなった時は、カテーテルを使っての脱血死が痛
みもなく徐々に意識が遠のいて行って穏やかに死ねると思った。たとえば、
リストカットによる死因も大量出血による出血性ショックである。しかし、
鶴見済氏の著書「完全自殺マニュアル」によれば、「動脈は皮膚下6~7
mmにあり見た目よりも少し深い。動脈を突き刺し、えぐるように切らなけ
ればならない。それだけ狙いを定めても、本気で切れば近くを通る正中神経
も切ってしまうので、かなり痛い。」
「かなり痛い」のだ!で、あれば、なおさら個人ができる最善の「安楽死」
の方法は、カテーテルを用いての出血死しかない。もしもカテーテルが無く
ても注射針さえあれば、注射針を動脈に刺したままの手首を湯を張った浴槽
に漬ければ出血は進む。ただ、注射針を動脈に刺せばそこから一機に血が噴
き出して辺りが血だらけになることを覚悟しなければならないが。
脱血という行為が異常なことのように思われるかもしれませんが、実は血液
の人工透析の治療を受けている多くの透析患者はダイアライザー(血液透析
器)という機械で透析を行なう為に脱血を繰り返しています。ちなみにイン
ターネットでの注射針の購入には何の規制もなく買うことができます。もち
ろん、まだ私は生きているので試したことはありませんが、ただ、私が「安
楽死」を認めるべきだと訴えるのは、すでにスイスでは厳格な審査の下で安
楽死の幇助が認められていて実施されていている。もはや回復の見込みない
重度の障害者や、延命処置によってただ生かされているだけの肉体に果たし
て、再び人間として尊厳を取り戻す可能性がどれほど残されているのだろう
か?もちろん、本人の意志が最優先されるべきだが、厳格な基準の下で安楽
死を認めてもいいのではないか。