「価値とは何だ」 ③
価値の幻想が生み出され幻想への投機をバブル景気と呼ぶのだと
すれば、金融政策によって経済成長を生むとするのはバブル経済そ
のものである。それは、あたかもマルチ商法まがいの手口で、まず、
お金の遣り取りを先行させるためなら売買する商品は何だってかま
わないとばかりに、支出に見合った公共事業が安易な思い付きだけ
で考案されている。百年に一度起こるか起こらないか分らない自然
災害から暮らしを守るために、海岸線に巨大な防波堤を築くことが、
確かに災害への備えは安心をもたらすかもしれないが、果たして、
もしもの時以外の残りの99年間を自然の恵みから隔離されて暮ら
すことが豊かさをもたらせてくれるだろうか?日常の暮らしと非常時
への備えのバランスを考慮せずに、闇雲に強靭化すればいいと言
うのは地震列島の上で生きる前提を忘れた経済優先の結論では
ないか。「国土強靭化計画」などと呼ばれる公共投資がワイズ・スペ
ンディング であると信じ込んでいる専門家は「価値は転換する」こと
に思い及ばない。そもそも経済とは、人々が求めるからそこに価値
が発生するのだが、それでは、価値さえあれば誰もが求めるという
のは高度成長期の消費動向であって、価値の多様化した社会では
価値の相対化が始まっている。すでに、科学技術は万能ではないの
だ。近代化は誰もが認める社会的価値であるというのは、ものごと
の一面の利点だけを捕えた狭い論理から導き出された結論である。
我々の祖先が、地震列島の上で何度も大地震や巨大津波に苦しめ
られ、その結果、紙と藁だけで何度でも再生できる日本家屋こそが相
応しいと思い至った柔軟な生活感、それを「国土柔軟化計画」と呼ぶ
なら、それこそは、自然に従いながら災害にもしなやかに対応できる
われわれ近代人が忘れてしまった質素で気高い「価値ある」日本文化
だったはずではなかったか。
(つづく)