「めしべ」⑥

2013-02-25 07:48:52 | 赤裸の心
 


              「めしべ」⑥




 ここでくどくどと絵画史を述べるつもりはないが、ピカソの生き

た時代は写真機の発達によって画家という「職業」が成り立たなく

なる転換期をすでに終えていた。対象をただ精巧に写実するだけで

は便利な写真に仕事を奪わ始めていた。そもそも絵画は宗教絵画

から始まり、布教のため神の世界(アナザーワールド)を如何にリア

ルに信者に実感させることができるかが求められ、ダ・ビンチ、ラフ

ァエロ以来その歴史はスーパーリアル追求の歴史だったと言える。

正確な描写がなければ画家の個性は認められなかった。ところが、

科学文明の発達は、信仰の世界を衰退させるとともに対象を正確

に写す写真機までも発明されて絵画に写実性を求められなくなった。

それは画家を、世界を写し取る仕事から解放したとも言える。すでに、

詩の世界では象徴主義によって伝統的な技法の解体され心情描写

の新しい試みが生まれていたが、やがて、印象派の画家たちも挙っ

て独自の手法を模索し始めた。そんな時に輪郭を線で描写しただけ

の日本の浮世絵の技法が彼らの目に新鮮に映った。神聖な宗教画

から始まり教会ヒエラルキーの下で聖書を題材にした作品ばかり描

かされた伝統的な西洋絵画の技法は、権威に頼らない江戸庶民文

化の「戯画」の自由な描写に衝撃を受けた。彼らにとって浮世絵の

世界はまさに「アナザーワールド」だった。画家はもっと自由に自分

の描きたいものを描いていいのではないか。オブジェにさえもこだわ

らなくてもいいのではないか。キャンパスは世界を切り取った一部で

はなく、キャンパスそのものが世界なのだ。さて、このキャンバスに

あなたの世界を描きなさいと言われて、果たして誰が写実にこだわっ

た絵を描くだろうか?何故なら、「マイワールド」を創造するということ

はリアルなこの世界から逸脱することだから。


                                  (つづく)


「めしべ」⑤

2013-02-24 11:08:49 | 赤裸の心



         「めしべ」⑤


 そもそも絵画とは虚構の世界であって現実ではない。絵の中の餅

は決して食べることはできない。何もそれは絵画の世界だけのこと

ではなく、日常使われている言葉で表現される世界もまた現実その

ものではない。店で買い物をしてレジで「お金を払います」と言っ

ただけでは実際に払ったことにはならない。言葉もまた現実を言い

表すための仮想された表象である。そもそも、われわれは何故かく

も想像を弄ぶのか。たぶん、それは存在することの本能的な恐怖か

ら派生する。われわれは存在への恐怖からさまざまな不安に苛まれ

て、孤独から遁れるために社会を求め、不安を共有することによっ

て自己の不安を客体化させ自己を取り戻そうとする。むき出しの未

知の世界をさまざまな仮想で覆って認識し存在の不安から遁れよう

とする。では、なぜ生命体は恐怖とともに在るのか。それは、生命体

が物質の原理から逸脱した稀有の存在だからではないか。われわれ

は自らの意志で動くことのできる奇跡的な存在である。もちろん、わ

れわれは重力や熱といったさまざまな存在の外の力に支配されてい

るが、そもそもすべての物体はその支配の下にあって、内なる力(生

命力)など持ち合わせていない。われわれとは物質の原理に逆らって

存在するが故に、自分の自由意志で動けなくなること、つまり物質に

還ることを恐れる。物質原理の支配から逃れて自由を得た戸惑いが

われわれを不安にする。何故なら、自由とは存在の原理を失くすこと

だから。


                                   (つづく)

「めしべ」④

2013-02-21 04:54:44 | 赤裸の心



          「めしべ」④


 その奇妙な感覚は身の回りに見えるものについてのことだけでな

く、一瞬のうちに存在そのものの意味が失われて、たとえば、ハサ

ミはその本来の目的を失ってその複雑な形状をした「もの自体」と

して存在し、そして、無数の意味を失ったハサミが存在する世界と

はわれわれが求める世界とは異なって「ただ在る」だけの世界だっ

た。すべての存在は意味や時間といった継続性から解き放たれ、

意味を失った「ただ在るだけ」の世界が新鮮に思えた。その時、わ

たしはこう言えたと思う、「世界の中に意味などない。存在が意味

を求めているだけだ」と。多分、もし、わたしが高層ビルの屋上の

縁に佇んでいれば、我が身を「もの」として重力に任せることに何

の躊躇いもなかった。おそらく、自殺する者はその動機はさまざま

であってもこの世界に留まる意味を失い、最後の決断は感情によ

ってではなく「もの」として行われるに違いない。わたしは、自分

を取り巻くさまざまな社会的な観念が虚構に思えてきて、地位や名

誉や能力や、おおよそ社会がわたしに与える如何なる意味さえも、

さらに、観念の下に集う組織や国家や民族といった感情から生まれ

る幻想に対して、つまり社会そのものが無意味であるなら当然そ

れらも、何ひとつとしてわたしには意味があることとは思えなかっ

た。わたしは、意味を見出せなかった自分の存在を、さらに生き延

びるため以外の意味しかない社会に自分を捨ててまで預けようとは

思わなかった。つまり、わたしは本質存在であるよりも事実存在とし

て生きようと思った。

                                                (つづく)


「めしべ」③

2013-02-20 08:59:31 | 赤裸の心



         「めしべ」③


 社員旅行で欠員が出たので仕方なく代わりに連れて行かれた温泉

旅館で、わたしはたまたま目にしたピカソの絵に衝撃を受けた。その

絵にはもう「めしべ」とは書かれていなかった。おそらく人物を描いた

と思われたが「赤い椅子に座る女」と同じようにとても人物を描いてあ

るとは言えないほど抽象化されいて、何か変なものとしか言い表せな

かった。しかし、わたしはその変なものにハマッテしまった。それは感

動というより「なんだこりゃ?」という不可解さが勝っていた。その絵は

この世界を満たす空間を切り取って額縁を付けたような異次元の世

界を覗いているようで、言葉で表すのは難しいが「ドカン、ドカン」とい

う印象だった。そして、その不可解さが観る者の共感を阻んでいた。

かつて、小林秀雄は自らの著書の中で、ゴッホが描いた糸杉の絵を

観て美術館を出るとその印象から抜け出せずに現実の景色がまるで

ゴッホの描いた絵のように見えてきたと書いているが、わたしはその

奇妙な絵を観ていると、次第に現実の世界が意味を失ってそれまで

当たり前のように眺めていた存在が、たとえば、自分の手でさえも奇

妙なものに思えてきた。


                                  (つづく)


「めしべ」②

2013-02-18 15:38:25 | 赤裸の心



         「めしべ」②


 ピカソの描いた絵「赤い椅子に座る女」をひらがなの「めしべ」

と「読んで」しまっ私は、そのあといくら絵を見直しても「めしべ」

という文字が頭から離れずに、ピカソが絵によって伝えようとした

世界が見えて来なかった。このようにして、目には見えないマイワ

ールドを他人に伝えるということはとても難しいことで、たとえ上

手く表現できたとしても、今日のような緊密な情報化社会では、更

にその異質な世界を伝えるとなるともっと困難を伴う。人は、自然

環境に適応した本能に従い、そして生まれ育った社会の中で生きる

ための知識に洗脳され、「自己」などというマイワールドは本能か

らも知識からも実は生まれて来ないのだ。自分はどう生きるべきか

を考えているのではなく、ただ与えられた生き方を選択しているだ

けなのだ。思想が異なっているのではない、ただ選択が違っている

だけなのだ。だからと言って、本能を疑い理性に逆らったとしても

自己が生まれて来るとは思えないが、選択の余地すら失った時の方

が自分の生き方が見えてくるのかもしれない。たとえば、原発事故

によって住み慣れた土地を追われた人々が原発の是非を巡る選択を

受け入れるだろうか。ただ、かつて同じようにわれわれは、国家が

認めた殺人行為に同調し不条理な死を目の当たりにして、如何なる

理由によっても「絶対に」戦争は行わないと覚悟を決めたはずだが、

それさえも今では古びて相対化してしまった。国家を認め国民とし

て自覚した時に、われわれは自分自身を語らず国家の論理を語るほ

かない。つまり、われわれはそれぞれの名分を語っているだけで、

何故自分はそう思うのかすら考えようとはしない。「おっと」、脇

道を逸れたまま引き返さずにだいぶ話をすすめてしまったようだが、

自分が考えた世界、つまりマイワールドが他人に伝わってアナザー

ワールドとして認められるには数多の偏見にも邪魔をされ、たとえ

ば、「赤い椅子に座る女」の絵を観て「めしべ」と謝って読まれた

りと、それ以外にも、人は他人の相反する考えには排他的で、何一

つとして自分自身で考えようとせずに固陋に執着してアナザーワー

ルドの扉を閉ざす。

                                  (つづく)