「捩じれた自虐史観」⑥

2013-06-12 09:45:41 | 「捩じれた自虐史観」


       「捩じれた自虐史観」⑥


 私もまた、暗黒の昭和史を辿るつもりはありませんが、と言うの

も「きけ わだつみのこえ」など最初のページに何度目を通しても、

その「静かな慟哭」にとても耐えられなくなって一度たりとも最後

まで読めた験しがないほど堪え性のない人間なので、氾濫する感情

に流されて思わぬ方へ行ってしまうことを怖れるからです。とは言

っても、日露戦争から「先の戦争」までの三十年余りが事もなく流

れたわけではありません。それどころか国際情勢は愈々激動の時代

を迎え、第一次世界大戦、ロシア革命、世界恐慌と、国内では韓国

併合、関東大震災、台頭してきた軍部によるクーデターが頻発し言

論が弾圧され日中戦争へと、近代は戦争に明け暮れる狂気の時代だ

ったといっても過言ではありません。そして、わが日本帝国はアメ

リカとの戦いに破れ、多くの国民の命を犠牲にして全面降伏しまし

た。おそらく、世界中を見ても、黙って「一億玉砕」を受け入れる

国民は我々「皇民」をおいて他に存在しないに違いないが、ところ

が、「一億玉砕」はポツダム宣言受諾によって一転「堪ヘ難キヲ堪

ヘ忍ヒ難キヲ忍(ぶ)」詔勅によって「一億総ざんげ」に転換され、

ナショナリストたちが非難する「自虐史観」が生まれたのだ。仮に、

「自虐史観」が間違いだとするなら「一億総ざんげ」こそが間違い

であり、「一億総ざんげ」しなければ償えないほどの禍根をもたら

した狂気の沙汰としか思えない「一億玉砕」、つまり、国民すべて

が死に絶えても国体だけは護らなければならないという「皇国史観」

こそが間違いだったのではないだろうか?つまり、われわれの「自

虐史観」は裏返しになった「皇国史観」なのだ。

                                  (つづく)


「捩じれた自虐史観」⑦

2013-06-10 23:35:52 | 「捩じれた自虐史観」



         「捩じれた自虐史観」⑦


 西洋文明、とりわけアメリカに対するわれわれのコンプレックス

(劣等感)は戦争に負けたことによって更に大きくなり、また、植民

地支配していた近隣諸国への文字通りのコンプレックス(感情複合)

も残った。文明国としてのアメリカと伝統文化の同胞たるアジア近

隣諸国、その両者に挟まれたわが国は一方と密になればもう一方

とは疎くなる。戦時中は大東亜共栄圏を謳って鬼畜米英を叫び、戦

後は一転してアメリカへの経済依存を高めてアジアから離れた。わ

が国にとって幸いなことに間もなく世界が二極化し、アジアのいず

れの国々も内政が混乱し戦後処理どころではなかった。赤化した中

国は権力闘争に明け暮れ、朝鮮は南北に分裂した。こうして、わが

国は近隣諸国からの戦争責任を正面から問われることなく経済成長

に没頭することができた。左翼活動家による激しい反政府運動はあ

ったが、アジアで唯一の敗戦国だった日本だけがアメリカの援助の

下に近代国家の道を歩むことができた。ところが、突然、東西冷戦

構造が崩壊し一極化した世界はグローバル化して、遅れて世界市場

に参入してきた近隣諸国との間で凍結されていた戦争責任が改めて

問われ始めた。たとえば、アジアでのオリンピックが開催された年

を見ると、戦後から復興し始めたわが国は1964年に行い、その

翌年に日韓条約が結ばれたが、朝鮮戦争を休戦して南北に分断され

た戦時の韓国にその被害を正確に検めることはできなかったに違い

ない。その韓国でオリンピックが開催されたのは1988年で、実

に、東京オリンピックから遅れること24年である。付け加えるな

らば、南北分裂の原因の一端が支配していた日本帝国とは無関係だ

と言えない。わが国を鑑みて、韓国が一応政治が安定し経済が始動

しだしたのはソウルオリンピックの頃と見做すなら、彼らがその頃

になって旧日本軍による侵略行為に抗議し始めたのは彼らの謀(は

かりごと)によるとばかり言えないのではないだろうか。また、北

朝鮮に対する償いは未だ果たしていない。つまり、旧朝鮮国に対す

る賠償問題は未解決のままである。たとえば、彼らが南北統一を果

たした時に、三度この問題が浮かび上がってくることは火を見るよ

り明らかなことだ。更に、北京オリンピックに到っては2008年

のことである。つまり、彼らが最近になってかつての日帝支配に抗

議をし始めたのは、彼らが日本の後に続いて漸う近代国家の形態を

整え国際社会に参入し始めたからにほかならない。


                                  (つづく)




「捩じれた自虐史観」⑧

2013-06-09 02:49:26 | 「捩じれた自虐史観」



       「捩じれた自虐史観」⑧


 欧米列強の進出と精神文化を共有してきた近隣諸国との間に挟ま

れてわが国は、少なくとも戦後までは欧米列強の植民地支配からア

ジア諸国を解放するために戦ったのかもしれないが、と言うのも近

隣諸国は決してそんなふうには思っていないからで、何故なら、日

本軍の降伏は彼らにとって日帝支配から解放された勝利だと言うの

だから。こうして敗戦後は戦勝国である大国アメリカに従わざるを

得なかった。占領軍によって帝国憲法は破棄され皇国史観は否定さ

れ捩じれてしまった。つまり、日米戦争で敗れた結果、われわれの

国家史観は自虐的にならざるを得なかった。わが国は、アメリカに

対して例えるなら「一言半句の理屈を述ぶること能わず、立てと言

えば立ち、舞えと言えば舞い、その柔順なること家に飼いたる痩せ

犬のごとし」(『学問のすゝめ』)でまさに自虐的である。ところが、

アメリカに服従して高度経済成長を成し遂げると、その捩じれた感

情は一転して途上国の近隣諸国へ向けられるようになった。だが、

強い者に対する自虐的感情は弱い者に対する虐げとなって表れる。

わが国のナショナリストたちが批判する「自虐史観」とは、そもそ

も戦勝国アメリカに対する捩じれた国家史観であって、その自虐史

観が近隣諸国に対しては捩じれが撥ね返って「独善史観」となって

表れる。つまり、彼らこそが「自虐史観」に染まっているのに、そ

のことにまったく気付いていない。


                                  (つづく)


「捩じれた自虐史観」⑨

2013-06-06 04:13:04 | 「捩じれた自虐史観」



        「捩じれた自虐史観」⑨


 自虐性(マゾヒズム)であれ 嗜虐性(サディズム)であれ、実は、

同じ感情の根っこで繋がっていて左に行くか右に行くかの違いでし

かない。行き詰るとあっさり転化する。真実は一つだ、と言うので

あれば歴史を語るのに自虐性や嗜虐性と言った性向の入り込む余地

はないはずだ。「小林秀雄は、歴史とはつまるところ思い出だとい

う考えをしばしばのべている。」(丸山真男著『日本の思想』) 思

い出であるならそれぞれの印象によって事実が異なるのかもしれな

いが、そもそも、南京大虐殺も従軍慰安婦問題も日本軍による侵略

の事実がなければ起きなかったとすれば、その非を認めて謝罪する

態度を「自虐的」であると言うのは的外れである。つまり、自虐的

でない罪の意識などあるわけがない。他人の庭に干してある洗濯物

が風に飛ばされて足下に落ち、親切心からそれを届けようとして敷

地内に入ると、ちょうど家の人が出て来て、女性の下着を手にして

いた私を怪しまれても仕方がないように、或いは、友だちがやって

きて、散らかっている私の部屋を見兼ねて親切心から片付けてくれ

たとしても、たとえそれが同居人であったとしても私は許せないよ

うに、やれ鉄道を敷いてやっただとか、やれ町をきれいにしてやっ

ただとか、自分たちの恩ばかりを押し付けて彼らの誇りを蔑ろにし

た侵略者による施しほど腹立たしいものはない。つまり、われわれ

が彼らに「してやった」ことは、彼らがわれわれから「されたくな

い」ことであるという逆感情をまったく理解できない「独善史観」

に染まったこの国のお目出度いナショナリストたちの鈍感さには呆

れ返る。

                                 (つづく)


「捩じれた自虐史観」⑩

2013-06-05 05:26:19 | 「捩じれた自虐史観」



      「捩じれた自虐史観」⑩


 この記事を書く前に、司馬遼太郎が講演した話を文章に起した「

昭和という国家」という本を読んで、少し閃いたのでパソコンの前

に座りました。司馬遼太郎という人は、江戸時代を殊更持ち上げる

のです。幕藩体制の下でそれぞれの藩は独自の地域文化が育まれ個

性的な人物が生まれ、明治維新は彼らの活躍によって成し遂げるこ

とができた、と言うのです。つまり、江戸時代には近代国家へ転換

するための下地が生まれていた。だからこそアジアに於いてわが国

だけが欧米列強の植民地支配を免れることができた。近代文明は近

代国家の下でなければ発展しません。そして、近代国家とは国民が

国家意識を持っていなければなりません。きっと、江戸時代にはす

でに国家意識が育まれていたに違いないと思って調べてみると、丸

山真男の「日本政治思想史研究」を読むと、封建的身分制度に縛ら

れた民衆に国民意識などなかったし、何よりまず為政者が民衆に政

治意識が芽生えることを怖れた。つまり、「由らしむべし、知らし

むべからず」である。私は「あれ?」と思った。江戸時代の社会に

対する見方でも随分ちがうもんだなあ、と思った。もっとも、歴史

小説家である司馬遼太郎は、主人公という特定の人物を取り上げて

話を進めなければならないから社会全般を取り上げる政治学者と認

識を違えるのは不思議ではないが、それにしてもイメージが違いす

ぎる。その時に「⑨」でも引用した小林秀雄の「歴史とはつまると

ころ思い出だ」という言葉を思い出した。つまり、同じ時代を見て

も人それぞれの「思い出」を語っているにすぎない。それは何も過

去に限らず今を語るにしても、国民の多くが社会格差に苦しむ暗い

時代だと見るかもしれないし、逆にアベノミクスに注目してやっと

景気が回復して明るさが見え始めたと言う者もいるだろう。もっと

分り易い例を言えば、原発事故はすでに収束したとして再稼働を求

める人も居れば、住み慣れた土地を追われて何一つ解決していない

と訴える人も居る。更に極端な例を挙げれば、殺人者と被害者に代

わる家族は事件の「思い出」を共有することなどできるだろうか?

ただ、加害者がどれほど悔いても、また、被害者家族がどれほど恨

んでも「歴史的事実」は変わらない。では、加害者と被害者が悔恨

を解いて事件の「思い出」を共有するためにはいったい何が必要な

のか。ドストエフスキーは、神による救済の他にないと言った。ま

たそれほど深刻で事態でないにしろ、考えの違いによる対立は男女

間でも頻繁に起こる。「思い出」を共有してきた二人の間に思いを

違える事態が起こり不信が生まれ立場が分かれる。そして対話が失

われ誤解が重なる。何れの場合にしろ、対立する当事者は自分の立

場に固執して相手の意見は耳に届かず「思い出」を共有するための

対話が閉ざされる。しかし、二人の間で生まれた二つの意見を一つ

にするためには対話は欠かせない。たとえ一つに纏まらないにして

も対話そのものが二人の「思い出」となる。それは新たな「思い出」

の共有であり、それは頑なな考えを解してくれる。たぶん、われわ

れが対立を解消できない多くの原因は、ただ自分の意見に固執して

相手の意見を受け付けずに対話自体を拒むことから生まれる。経済

問題や原発問題、さらに殺人事件に到るまで、意見の対立する当事

者による話し合いがほとんど持たれずに、つまり、「思い出」を共有

せずに採決される。

 われわれは、自分の立場からの考えしか語れないと言うことを自

覚しなければならない。事態をどう捉えるかはそれぞれの置かれた

立場に依るとすれば、対立する立場の者同士が認識を共有すること

は困難なことである。旧日本軍に騙されて慰安婦にされたと固く信

じている老女やその支援者たちに、旧日本軍は直接係わっていない

ということをどうして理解させることができるだろうか?老女が慰

安婦にされ辱しめられたと言う事実と旧日本軍の侵攻は無関係であ

るとまでは言えない。現に彼女は日本兵の慰みにされたと語ってい

る。感情的な対立と誤解が泥縄のように糾って解くことができない

なら、まずは感情を治めるため話し合いをすることしかない。話を

聴かないかぎり解り合うことはできないのだから。われわれは、事

実に感情を絡めて抗議する人々に対して感情だけで応酬することだ

けは厳に慎まなければならない。それは、忌わしい「思い出」しか

残らないから。

 実は、始めに書いたように司馬遼太郎の「昭和という国家」を読

んで閃いたんです。ところが、どうも感情に導かれて道を誤ってし

まいました。もう一度その閃きへの道を探ろうと思います。それは、

近代文明は国民意識を持った人々による近代国家の下で発展すると

すれば、「近代の超克」とは「国家の超克」ではないか、と思った

んです。つまり、「脱国家主義」こそが新しい時代の流れではない

かと思ったんです。実際、すでに世界経済はグローバル化して国家

の壁を越えてしまいました。EUでは経済だけでなく政治の壁もな

くそうとしています。やがて国家が由っていた民族や領土や権力さ

えも幻想だったと思える日が来るに違いない。そして、ついには国

家に拘ることは国家エゴイズムとして非難される。たとえば、「T

PP」構想とはその端緒の現れではないだろうか。グローバリズム

(汎地球主義)は地球環境問題によって大きく進むに違いない。なん

だかナショナリズムに固執する人の意見を聴いていると料簡の狭量

な人物に思えて仕方ない。

 始めに言いたかったことはたったこれだけだったのに、なぜか国

家史観を長々と語る破目になってしまった。要するに、国家などと

いう古いカテゴリーの柵(しがらみ)は後腐れなくさっさと「けり」

つけて、未だ「近代」に拘る近隣諸国を置き去りにして、新しい世

界に向かうべきではないだろうか。


                                  (おわり)