「二元論」
(17)のつづき
〈存在が現存在(人間)を規定する〉のか、それとも〈現存在(人
間)が存在を規定する〉のかの二元論は、つまり人間とは、世界に
依存する〈世界=内=存在〉なのか、それとも人間こそが世界の中
心的存在であって自立するために世界を作り変えること(利用する
こと)が許された存在なのか、のどちらが優先するのかに理性的根拠
はない。われわれはただ世界(自然)を制作のための単なる材料・資料
として扱うことによって地球環境が生存に好ましくない変化をもたら
した結果だけから、つまり「事実存在」から「まずいんじゃないの」
と思っているだけで、しかしそれは生存環境が改まればあっさり忘れ
去られることで、なんら本質的な存在概念とは言えない。つまり、わ
れわれは世界が行き詰まりに達したからといって人間中心主義的世界
観を決して改めようとは思わないだろう。それはまさに2015年に
国連が全会一致で採択したSDGs 「Sustainable Development Goals
(持続可能な開発目標)」 に関することで、そこでは〈世界=内=存在〉
として世界に依存する人間と、人間中心主義的世界観の下に自立を掲げ
る近代人の背反する二律を目標に掲げている。しかし、私は決してSD
Gsを批判しているつもりはない、むしろ、それどころか〈存在=生成
=自然〉という存在概念の下では可変的なこういう「どっち付かず」の
あり方こそが〈生成〉的な展望ではないかとさえ思っている。確信的な
理性的根拠が存在しない二元論の下では「真理とは幻想である」(ニーチ
ェ)のだから。
(つづく)