「明けない夜」 (九)―⑥ 

2017-08-23 21:10:53 | 「明けない夜」9~⑩

         「明けない夜」

           (九)―⑥ 


「だけどそれじゃあ近代以前の貧しい時代へ戻るだけじゃないか」

「確かに近代文明を棄てれば前近代しかないけれど、だけど近代化へ

向かうしかなかった前近代とは全然違う」

「何が違う?」

「まず意識が違う。つまり世界限界を意識した者とそうでない者と」

「だけど意識が変わっただけで世界が変わるかな?」

「少なくとも意識を変えなければ何も変わらない。たとえば、クロマ

グロが絶滅すればいくらクロマグロの刺身が食べたいと思っても絶対

に食べることはできないように、生存環境が破壊されればどれほど近

代的な生活を望んでも生存そのものが危ぶまれる。クロマグロを食べ

続けるためにはまずクロマグロを食べないことしかない」

「それってジレンマだね」

「そうです、世界限界論は様々な文明のジレンマを生みます。いや、

そもそも内在していた根源的な矛盾が限界に達して転化できなくなっ

ただけなんですけど、たとえば破壊が新たな成長をもたらすだとか、

平和を守るために戦わなければならいだとか」

「なるほど」

「でも、絶滅によってクロマグロが食べられないことと絶滅させない

ために食べないことは同じじゃないでしょ」

「おれさ、クロマグロは食べられなくたって平気だけど、実はいま禁

煙している最中で、ほら、カウンターの中で旨そうにタバコを吸って

いる親父を見ていると、酒の所為もあって何とかして一本だけでも恵

んでもらえまいかという誘惑と闘っているんだけれど、禁煙だけでも

そんなに苦しまなければならないのに、果たして近代人が近代文明を

棄てるなんてできるわけないじゃないか」

「じゃあなぜ禁煙しようと思ったのですか?」

「健康のために決まっているじゃないか」

「ぼくが言っているのはまさにそれなんです。生存環境を損ねてまで

欲望を優先するのかということです。すでに今の日本人の消費生活を

世界中の人々が享受するとすれば地球が二つ以上なければ賄えないと

言われています。つまり日本の豊かさとは途上国の貧困によって支え

られていた。ところが、世界経済のグローバル化によって世界中が近

代化を目指し始めた。地球は一つしかないのに二つ分以上の豊かさを

求め始めた。すると日本の豊かさが賄い切れなくなることは必然で、

それどころか豊かさを奪い合う争いはすでに世界各地で起こり始めて

いるじゃないですか」

「まるで君はこう言ってるようじゃないか、『近代文明はアヘンだ』って」

「・・・」

 傍目にはまったく噛み合っていない会話だったが酔っ払ってる二人

はそんなことはまったく意に介さなかった。すでに私も誰に話してい

るのかなどということはどうでもよくって腹の中に溜まっていた思い

を吐き出す解放感に気が緩んだ。そして吐き出すと同時に酒を呷った

ので、すでに醒めてしまった自分と陶酔へと堕ちる自分が錯綜して意

識はもっぱら二人の自分の折合いを図ることで精一杯だった。

「囲碁というゲームがあるでしょ。あれは碁盤に碁石が埋まって勝敗

が決すれば終局なんだけど、ところが世界というゲームには終局がな

い。歴史が終わっても世界は終わらない。盤上が石で埋めつくされたっ

て終局にはならない。そしてついには相手の石を自分の石に変えようと

する」

「それじゃあまるでオセロゲームだ」

「んんーっ、ちょっと違うけど」

コイツ、じゃなかった吉崎さんのズレた応答にも敢えて拘ろうとは思

わなかった。

「仮に今後日本がアメリカの51番目の州になったとしても、或は中

国共産党に熱烈歓迎されて日本人民共和国という国名に変ったとして

も、もしお望みなら民主主義という肩書を入れたって構わないけど、つ

まり、盤上の石がすべて白か黒かに変わったとしても、終局は勝敗に

よって決するのではなく、盤上を埋め尽くした石によってすでに近代と

いうゲームは終わっているんだ」

                   (つづく)


「明けない夜」 (九)―⑦

2017-08-23 21:09:09 | 「明けない夜」9~⑩

          「明けない夜」

           (九)―⑦


「じゃあ、一体これからどうなると言うんだ、世界は?」

「だからさ、さっきも言ったように近代文明を求める限りもう一つ地

球を造らなければならない」

「そんなことできるわけないじゃないか」

「しかしまったくできないという話でもないんですよ。じっさい20

25年には火星への移住計画を実現させようとしている組織だってあ

るくらいなんだから。ただ二度と地球には戻って来れないけど」

「もういいよ、そんな夢ものがたりは」

「だったら、一つしかない地球で二つの地球を求める人間同士が奪い

合うしかない」

「やっぱり戦争か?」

「ええ、世界中の人々が近代生活を求める限り戦争は避けられないよ

うな気がする」

「いつ?」

「だって、もうすでに富を巡る民族間の争いは起こっているじゃない

ですか」

「おれもさ、平和憲法のままじゃあ国は守れないと思うんだ」

「ただ、僕は戦争に勝ったからといって経済的繁栄がもたらされると

は思わない。さっきも言ったように勝敗によって終局が決する時代は

終わったんだ。もちろん、失った分だけ成長の余地が生まれるかもし

れないけれど、それなら大敗して焼け野原になった国の方がよっぽど

経済成長の余地が生まれる。かつての日本やドイツのように」

「それじゃあ何か、経済成長したければ戦争して負けた方がいいと言

うのか。それなら平和憲法も意味があるけど」

「僕はもう一つの地球も、もちろん戦争も御免被りたいので、すべて

をレガシーエネルギーに依存した近代文明を見直すべきだと言ってい

るです」

「レガシーエネルギー?」

「ああ、化石燃料のことです。僕が勝手にそう言ってるだけですけど

「レガシーって遺産って意味だよね」

「ええ、そうです。つまり生成することのできない遺された資産なんです

化石燃料は」

                      (つづく)


「明けない夜」(九)―⑧

2017-08-23 21:07:55 | 「明けない夜」9~⑩

         「明けない夜」

         (九)―⑧


 強風に煽られた雪の礫が入口のドアを叩く音が店内にまで聴こえて

くるほどのわずかばかりの時が過ぎると一転して静けさがおとずれ、

雪が降り止んだことを教えてくれた。しばらくして中年のカップルが

引き戸を開けて飛び込んできた。会社員風の男は幾分年下に見える女

性を我々とは反対側のカウンターの奥に招いてその横に座ると、女将

が慌ただしく出迎えて応対した。すると吉崎さんは椅子を外して暖簾

の奥にあるトイレへ向かった。注文を取って暖簾の奥へ隠れた女将と

トイレから出てきた吉崎さんが一言二言ことばを交わしてから暖簾を

破って吉崎さんが戻ってきた。

「勘定を済ませた。さあ、次行こう」

私は、依然として二人の自分の葛藤に苛まれていた。

「次って何処?」

「すぐ近くだ。さあ、早く立って」

予期していなかった誘いに私の尻は二人分重かったが、急かされるま

まに立ち上がって吉崎さんの後に続いて外へ出た。街は降り止んだ雪

が白く塗装し終えたばかりで美しかった。夜空にはすでに雪雲は去り

凛と輝く半月とそれを慕う無限の星々がひそやかに光っていた。二人

はしばらくその星空を見上げていた。


                     (つづく)

 


「明けない夜」 (九)―⑨

2017-08-23 21:05:57 | 「明けない夜」9~⑩

             「明けない夜」

              (九)―⑨


 吉崎さんが向かったのは本通りに面していた焼鳥屋からひとつ筋違

いの裏通りによくある場末のスナック風の店だった。

「入るよ」

そう言って彼は扉を開けて入った。私は店の前に置かれた明かりの灯

った看板に印された店の名前を読んだ。一番上に「会員制倶楽部」と

あって、その下に「SILVER BEATLES」とあった。「BEAT

LES」の文字は彼の有名なロックバンドのロゴそのままで、本来「

THE」があるべきところにゴシック体で「SILVER」と書かれていた

。「シルバービートルズ」、とっさに浮かんだのは年老いたビートル

ズ世代だった。吉崎さんによれば実際「ザ・ビートルズ」は一時期「

シルバー・ビートルズ」というグループ名で活動していたらしい。

「何をしてる、早く来いよ」

中に入るとすぐに10席余りのボックス席があってその奥に5席ほど

のカウンターがあった。足元が悪いにも関わらずほとんどのボックス

席は客で占められていた。様子を伺っていると緑色のドレスを纏った

一人の中年女性が二人を迎えた。吉崎さんは、

「おれのおふくろです」

と言ってその女性を紹介した。一目でその繋がりが認められるほど二

人の顔立ちは似ていた。

「実はここ、おふくろがやってる店なんだ」

「へー、そうなんですか」

「看板見たろ?」

「ええ、シルバービートルズ」

「そう、この店は高齢者限定の会員制クラブなんだ。まあ、とにか

く席に着こう」

ボックス席は二つの通路を挟んでそれぞれの席から向こう側の席が伺

えないように微妙な角度でずらされていた。とは言っても通路からは

それぞれの席を伺うことはできた。入口近くの席ではソファを外して

車椅子のままホステスと談笑してる初老の男性の姿が見て取れた。そ

して壁のいたる所にはビートルズの写真が飾ってあって、BGMはす

べて彼らの曲だと言った。

「へえー、ビートルズが好きなんですね」

と言うと、

「おれじゃないよ、おふくろだよ」

席に着くとさっそく初老のボーイが現れた。吉崎さんが話をしてすぐ

に二人のホステスが現れた。一人はまだ若い女性だったが、ただも

う一人は中年女性で、しかし胸元を露出させた衣装だとか艶めかしい

化粧でそれなりに男性の欲情をくすぐる細工を施していた。二人は席

に着くと名刺を差し出して自己紹介した。

「ここのホステスはほとんどが子持ちだから気を付けなよ」

吉崎さんの説明によると、母親は最初はこの地で初めてのキャバクラ

を始めたが、若い客から再三ホステスの高齢を指摘されて、とは言っ

てもこんな外れの場末の店に募っても集まる若い女性はほとんどなく

、それならいっそ客そのものを高齢者限定にしてしまおうと考えた。

会員資格は60歳以上で、年金受給者には様々な特典があって毎月1

5日の受給日には料金の割引を行なっている。会員の年齢制限はきび

しく、加減を知らない若造の入店は厳に断っている。口さがない同業

者からは「老人クラブ」とも揶揄されたが、定年退職して暇を持て余

した隠居人や連添いに先立たれて張り合いを失くした独居老人などが

細る行く末の不安を忘れるために酔興を求めて次第に集まりだした。

ホステスも男の扱いに手練れた3、40代のシングルマザーがほとん

どで、それでも高齢者の客からして見れば若い女に違いなかった。

「大概の客は機能不全でただ触りたいだけなんだから黙って触らせて

やりゃあいいじゃないかと、いつもおれは言ってんだ」

すると、この店で一番若い「さくら」と呼ばれるホステスが、

「そんなことないって!小林さんなんてもう70過ぎなのにまだ勃起する

よ」

「何で分かる?」

「いつもわざと触らせるだから」

だからほかの店では決して設置されていない障害者用のトイレやAE

D、さらには車椅子からいざという時のために折りたたみベットまで

用意され、会員からは病状や既往歴まで報告させている。

「男というのは肉欲が衰えても、情欲だけは死ぬまで燃え続けるんだ」

吉崎さんは、昼間は警備員の仕事をしながら夜はこの店を手伝ってき

たが、店の方が忙しくなってきたので警備員の仕事を辞めることにし

た。

「これからの高齢化社会を考えればもっと客が増えると思うんだ。た

だ、酒はあまり飲んでくれないけど」


                           (つづく)


「明けない夜」 (九)―⑩

2017-08-23 20:58:16 | 「明けない夜」9~⑩

            「明けない夜」

            (九)―⑩


 「シルバービートルズ」でのことは、その後すぐに眠てしまったのでま

ったく覚えていない。目が覚めたらBGMが消え店内の照明が眩しいほ

どに点っていて大勢いた客やホステスもみな居なかった。

「あのー、いま何時ですか?」

と、向かいの席で掃除機を掛けている吉崎さんに訊くと、

「おっ、やっと目が覚めたか。10時過ぎだよ」

そして、

「うちは10時閉店なんだ。ほら老人クラブだから」

「あっ!すっ、すみません。すぐに帰ります」

「いいよ、慌てなくたって。これからみんなで一杯やって飯を食うんだ

から」

店の奥を窺うと、カウンター席に座った吉崎さんのお母さんが背を丸

めて電卓を叩いていた。そのカウンターの中の厨房では白衣を着た男

性と初老のボーイが慌ただしく洗い物や片づけ物をこなしていた。ホ

ールではたぶん最近入ったばかりと思われる中年男性が掃除機を掛け

ている吉崎さんに手順を伺いに何度もトイレを出たり入ったりしてい

た。そして私は、茫っとしながら夢の中で考えていたことを思い出そ

うとしていた。

「繋がった、やっと繋がった」

と、夢の中でまるで啓示のように閃いたことがいざ夢から覚めてみる

と、はて何が繋がったのかまったく思い出すことができなかった。微か

に残った余韻を辿ると、線分ABは二つの端点によって限られ、合理主

義は原点Aから限点Bへの最短を追求するがそれは一本の直線しかな

くそれ以外は棄てられる。こうして近代文明は限られた直線によって世

界を構築するが、自然世界はすべてが円環へと回帰してそもそも限点

などというものは存在しない。ところが科学文明は常に限点をのり越え

て直線をひたすら延長させて何れ火星にまで到達するに違いない。そん

な時代になおも地球環境が我々の生存を支えてくれるかどうかは疑わし

い。つまり、生存環境を失った人類は最先端科学を携えて失われた地球

を求めて宇宙を彷徨うしかない。

「ちがう!そんなんじゃない」

直線的な科学文明を円環する自然に回帰させて再生する仕組みを思い

付いたはずだったが、忘れてしまった。

「ひとりで何をブツブツ言ってんだ」

掃除を終えた吉崎さんが缶ビールを二つ持ってやってきた。するとす

ぐにこの店で一番若いホステスのさくらさんが私服に着替えて現れた

「紹介するよ、おれの彼女。と言ってももう一緒に暮らしてんだけど」

「なんだ、そうだったんですか」

私は彼女が席に着いた時から何となく見覚えがあったが、それ以上は

具体化しなかった。吉崎さんは「泊って行け」と言ってくれたが、

「まだ電車が走っているから」

と断って、駅まで見送ってくれた吉崎さんにそのことを伝えると、

「何だ、お前も隅に置けないな」

「どっ、どういうことですか?」

「実は、彼女は前は女優をしてたんだ」

「へえー、そうなんですか。どおりできれいな人だと思いました」

「とは言ってもAV女優なんだけど」

その言葉を聞いてすぐに、夜な夜な自らを慰めるためにPCの画面に

映し出した彼女のあられもない姿態が具体化した。黙っていると、

「おれはさ、後戻りできない過去なんかに拘りたくないんだ」

二人は駅の改札で握手を交わしてから別れた。

                                    (つづく)