「生まれ出づる歓び」
(四)
佐藤は自分が作成した将来予測のソフトに自分自身の予測を試みて、
残された人生がそれほど長くないという結果が出たことから、本人は薄
々予感はしていたようだが、改めて行く末を模索し直そうとしていた。
「何よりも平々凡々の後半生であると言われたことが許せなかった」
「それで、仕事は何が適職だと答えたんだ?」
「デザイナー」
「ほう、結構当っているじゃないか」
彼は、おれと同じ学校に来る前は美術大学に進学した。だから彼が手掛
けた初期の頃のアプリでは、何もかも独りで創り上げるしかなかったの
で、キャラクターも自分がデザインしてそれが意外にも評判が良くて、
今も引き続き使われていた。佐藤は、
「将棋とか囲碁にはルールがあって複雑だけれどもただ勝つための選択
は限られているだろ。ところが人間はそうはいかない。能力がないのに
希望したり、優れた能力があってもそれを生かそうとしなかったり、た
とえば経済力が単純に幸福をもたらしてくれるとばかりは言い切れない
。つまり、何が勝ちであるかは人それぞれ違うんだよ」
「うん、分る」
「それともう一点は社会そのものが変化するので、いくら好きな仕事で
あっても仕事そのものが無くなっていることだってある」
「IT革命ってまさにそれだよね」
「つまり、将棋なんかはいくら時代が変わっても升目の数は変わらない
けど、社会はそれが増えたり減ったり、それどころか新しい駒が作られ
たりするんだから」
「それってフレーム問題ってやつだよね?」
「なんだ、知ってるんじゃん」
「まあ、一応業界人だからね」
過去のデータから未来を予測するということは、分り易く言えば後ろ
を見ながら前に進むようなもんだから、ぶつかってからでないと何が起
こったか解らないんだ」
「つまり、フィードバックできても新しいことを生み出すことは出来な
いってことだろ。たとえば、イチゴ大福のような商品を考え出すことは
出来ない」
「まあイチゴ大福くらいならイチゴも大福も既にデータがあるもんだし
、プログラムさえ上手くすれば多分新しいものだっていくらでも作れる
と思うけど、たとえば納豆大福だとか、ただ俺たちがそれを美味いと思
うかどうかは別だからな。いくら新しくたって不味かったら誰も新しさ
なんか感じないしさ」
「つまりAIが選択したものを人間が選択するとは限らない」
「だって人の嗜好って一つじゃないからさ、将棋は勝つことの一つしか
ないけれど」
そして、
「AIは新しいものを作れないって言ったけどさ、人間だってそうそう
新しいものを作り出しているわけじゃないからね。イチゴ大福にしたっ
てそのコラボが新しいだけでイチゴも大福も前からあるからね」「それ
まで何一つデータがないものを新しいと言うなら、たとえば青色LED
のようなものは、たぶんAIは作れないと思う」
「何かの本にAIは哲学と芸術だけはできないと書かれていたけどさ、
それじゃ哲学も芸術もデータのない分野かというとそうじゃないよね」
「うん、たぶんそれなりに作れると思う。ただ、芸術とは何かと問われ
てもそもそも定義できないものだから、たとえば自然が作り出す風景だ
って芸術だとも言えるし、そういう意味で言えばAIにだって表現する
ことはたぶん可能だよ。ただそれが人を感動させるかどうかは怪しいと
思う。仮に芸術とは人間によって創作されたものと定義すれば、AIに
は人間の感情は存在しないんだからどれほど奇抜な作品に目を奪われた
としても心を奪われることはないと思う」
「じゃあもしAIが感情を持ったとしたら?」
「コントロールされるかもしれない」
佐藤は、
「芸術や哲学というのはさ、人間の精神が創造した独自の世界なの
で、もし仮にそれがAIに委ねられるとすれば、われわれはいっそ
う家畜化した証拠になる。だって家畜は快適でありさえすれば新し
い世界なんて要らないからね。実際もうその兆候は現れているじゃ
ないか、今やわれわれの関心は経済だけで、芸術にしろ哲学にしろ
全く関心が失せてしまったじゃないか」そして「さっきのバイセル
ブスだけれども」
「ええーっと、個人的自我と社会的ってやつか」
「ああ、データを集計してみるとさ、それぞれの選択はほとんど社
会的自我が決めているんだよな」
「だってそれは仕方がないじゃないか、そういう選択を迫っている
んだから」
「まあそうだけど、それにしたって個人が見えてこない。決められ
た道を何の迷いもなく選択する。でもさ、自分がやりたいことって
そんなにあっさり社会の中に見つかるものかね」
「だからって迷っていないとは思わないけどね」
「たまに大手企業を退職なんて経歴を目にすると、こいつ辞めて何
するつもりなんだろうってすっごく気になる。そういう時ってバイ
セルブスが入れ替わった時なんだ」
「社会的自我から個人的自我へ?」
「うん、そうやって上からかもしれないけど見ていると、何か人間
が家畜化しているように思えてならないんだ」
「仮にそうだとしても生きていくためには已むを得ないじゃないか
」
「そんなことは分っているさ。ただ、その先は見えているんだけど
ね」
「たぶんそれを望んでいるんだよ、先が見えないことより」
「ああ、そうなのか」
「いつだったか若い社員が休憩の時に、長いものには巻かれろって
言うでしょと得意げに口にした時に、あれ?おれたちはもっと自虐
的に呟いたものだけどなって思ったりしたけど」
「みんな長いものに巻かれたいんだよ」
「つまり、AIは社会的自我に対しては応えられるけれど、個人的
自我には役に立たないってことだよね」
「芸術だって哲学にしたって個人的自我に届かなければただのパフ
ォーマンスだからね、すぐに忘れ去られる。だってAIが、つまり
人工知能が自由を叫べると思えるかい?」
おれは、「仮にそうだとして、それじゃあ人間を家畜化させてい
る原因は何?」
「これは俺の意見だけど、近代社会そのものがそうなんだけれども
、中でも効率主義こそがわれわれを家畜化させていると思う。そも
そもAIが一番得意とするのは効率性なんだから。そもそも芸術や
哲学というのは効率がまったく意味を為さない。効率を求めれば
求めるほどフレームに入り切れないデータは排除される。だから、
われわれが文明社会の快適さを求める限り、社会のフレームからは
み出すことは許されない。家畜って効率性がすべてだから酪農にし
ろ養鶏にしろ子や卵を生むメスしか飼育されていないだろ、経済効
率の悪いオスは何の役にも立たない」
「それで今の時代は女の方が元気なのかな?」
「なるほどそうかもしれない。効率を追い求めればいずれ社会の役
に立たない人間は淘汰されるだろう」
「それって優生思想じゃないか」
「そうなんだ、何が恐ろしいって快適さと引換えにAI、つまり科
学に生命をコントロールされることじゃないかな」
「まさかそんなことはないと思うけど・・・」
「何を言ってるんだ、すでに出産は無痛分娩が一般的だし、今では
尊厳死、つまり安楽死さえも合法化されようとしているんだぜ。そ
のうち出産制限とか定年死さえも合法化されるさ」
「出産制限は何となく分るけど、定年シ、って何?」
「だって経済効率を追い求めれば働けなくなった高齢者は非効率そ
のものだからね、管理社会が進めば経済的に自立できない高齢者は
一定の年齢に達したら安楽死させる。つまり、定年になったら死ぬ
から定年死、もちろん本人の承諾を得た上でだけど」
「誰もそんなの受け入れるわけないじゃないか」
「いいや、快適な生活に慣れた現代人はたぶん身体が衰えて辛い思
いをするくらいなら楽に死にたいと思うんじゃないかな。ある学者
は様々な痛みから解放させてくれる近代文明を無痛文明って呼んで
るけど、あっ無痛分娩じゃないよ、無痛・文明だよ。でもさ痛みの
伴わない命っておかしいと思わないか?われわれが恐怖だとか不安
を呼び覚ますのは身体中に張り巡らされた神経の記憶から生まれる
感覚なんだ。つまりAIと人間の大きな違いは神経なんだ、その神
経によってもたらされる感覚なんだ。その神経をマヒさせて果たし
て生きていると言えるのだろうか?すでにわれわれは科学によって
命をコントロールされているんだ。そして遂には個人と社会との関
係が逆転して、生きることとは社会のために生きることだと思うよ
うになる」
「それって全然間違っているとは思えないけど」
「何を言ってんだ、初めに生命があってそれから社会が出来るんだ
ろ。社会から生命は生まれないからね。明らかに目的と手段が逆転
しているじゃないか。その逆転こそが家畜化だと言ってるんだ」
俺は、
「それじゃあ、家畜化から遁れるためにはいったいどうすればいい
と言うんだ?」
「逃げるしかない」
「何処へ?」
「フレームの外へ」
「それって今の暮らしを棄てろってことだろ、そんなこと出来ない
な俺には」
「ああ、できない。実はおれもそれで迷っているけど、個人的自我
を取り戻す方法はそれしかないと思う。残された人生だってそんな
に長くないからね」
(つづく)