「生まれ出づる歓び」(四)

2019-03-09 15:09:35 | 「生まれ出づる歓び」(一)~(五)

           「生まれ出づる歓び」

              

               (四) 

 佐藤は自分が作成した将来予測のソフトに自分自身の予測を試みて、

残された人生がそれほど長くないという結果が出たことから、本人は薄

々予感はしていたようだが、改めて行く末を模索し直そうとしていた。

「何よりも平々凡々の後半生であると言われたことが許せなかった」

「それで、仕事は何が適職だと答えたんだ?」

「デザイナー」

「ほう、結構当っているじゃないか」

彼は、おれと同じ学校に来る前は美術大学に進学した。だから彼が手掛

けた初期の頃のアプリでは、何もかも独りで創り上げるしかなかったの

で、キャラクターも自分がデザインしてそれが意外にも評判が良くて、

今も引き続き使われていた。佐藤は、

「将棋とか囲碁にはルールがあって複雑だけれどもただ勝つための選択

は限られているだろ。ところが人間はそうはいかない。能力がないのに

希望したり、優れた能力があってもそれを生かそうとしなかったり、た

とえば経済力が単純に幸福をもたらしてくれるとばかりは言い切れない

。つまり、何が勝ちであるかは人それぞれ違うんだよ」

「うん、分る」

「それともう一点は社会そのものが変化するので、いくら好きな仕事で

あっても仕事そのものが無くなっていることだってある」

「IT革命ってまさにそれだよね」

「つまり、将棋なんかはいくら時代が変わっても升目の数は変わらない

けど、社会はそれが増えたり減ったり、それどころか新しい駒が作られ

たりするんだから」

「それってフレーム問題ってやつだよね?」

「なんだ、知ってるんじゃん」

「まあ、一応業界人だからね」

 過去のデータから未来を予測するということは、分り易く言えば後ろ

を見ながら前に進むようなもんだから、ぶつかってからでないと何が起

こったか解らないんだ」

「つまり、フィードバックできても新しいことを生み出すことは出来な

いってことだろ。たとえば、イチゴ大福のような商品を考え出すことは

出来ない」

「まあイチゴ大福くらいならイチゴも大福も既にデータがあるもんだし

、プログラムさえ上手くすれば多分新しいものだっていくらでも作れる

と思うけど、たとえば納豆大福だとか、ただ俺たちがそれを美味いと思

うかどうかは別だからな。いくら新しくたって不味かったら誰も新しさ

なんか感じないしさ」

「つまりAIが選択したものを人間が選択するとは限らない」

「だって人の嗜好って一つじゃないからさ、将棋は勝つことの一つしか

ないけれど」

そして、

「AIは新しいものを作れないって言ったけどさ、人間だってそうそう

新しいものを作り出しているわけじゃないからね。イチゴ大福にしたっ

てそのコラボが新しいだけでイチゴも大福も前からあるからね」「それ

まで何一つデータがないものを新しいと言うなら、たとえば青色LED

のようなものは、たぶんAIは作れないと思う」

「何かの本にAIは哲学と芸術だけはできないと書かれていたけどさ、

それじゃ哲学も芸術もデータのない分野かというとそうじゃないよね」

「うん、たぶんそれなりに作れると思う。ただ、芸術とは何かと問われ

てもそもそも定義できないものだから、たとえば自然が作り出す風景だ

って芸術だとも言えるし、そういう意味で言えばAIにだって表現する

ことはたぶん可能だよ。ただそれが人を感動させるかどうかは怪しいと

思う。仮に芸術とは人間によって創作されたものと定義すれば、AIに

は人間の感情は存在しないんだからどれほど奇抜な作品に目を奪われた

としても心を奪われることはないと思う」

「じゃあもしAIが感情を持ったとしたら?」

「コントロールされるかもしれない」

 佐藤は、

「芸術や哲学というのはさ、人間の精神が創造した独自の世界なの

で、もし仮にそれがAIに委ねられるとすれば、われわれはいっそ

う家畜化した証拠になる。だって家畜は快適でありさえすれば新し

い世界なんて要らないからね。実際もうその兆候は現れているじゃ

ないか、今やわれわれの関心は経済だけで、芸術にしろ哲学にしろ

全く関心が失せてしまったじゃないか」そして「さっきのバイセル

ブスだけれども」

「ええーっと、個人的自我と社会的ってやつか」

「ああ、データを集計してみるとさ、それぞれの選択はほとんど社

会的自我が決めているんだよな」

「だってそれは仕方がないじゃないか、そういう選択を迫っている

んだから」

「まあそうだけど、それにしたって個人が見えてこない。決められ

た道を何の迷いもなく選択する。でもさ、自分がやりたいことって

そんなにあっさり社会の中に見つかるものかね」

「だからって迷っていないとは思わないけどね」

「たまに大手企業を退職なんて経歴を目にすると、こいつ辞めて何

するつもりなんだろうってすっごく気になる。そういう時ってバイ

セルブスが入れ替わった時なんだ」

「社会的自我から個人的自我へ?」

「うん、そうやって上からかもしれないけど見ていると、何か人間

が家畜化しているように思えてならないんだ」

「仮にそうだとしても生きていくためには已むを得ないじゃないか

「そんなことは分っているさ。ただ、その先は見えているんだけど

ね」

「たぶんそれを望んでいるんだよ、先が見えないことより」

「ああ、そうなのか」

「いつだったか若い社員が休憩の時に、長いものには巻かれろって

言うでしょと得意げに口にした時に、あれ?おれたちはもっと自虐

的に呟いたものだけどなって思ったりしたけど」

「みんな長いものに巻かれたいんだよ」

「つまり、AIは社会的自我に対しては応えられるけれど、個人的

自我には役に立たないってことだよね」

「芸術だって哲学にしたって個人的自我に届かなければただのパフ

ォーマンスだからね、すぐに忘れ去られる。だってAIが、つまり

人工知能が自由を叫べると思えるかい?」

 おれは、「仮にそうだとして、それじゃあ人間を家畜化させてい

る原因は何?」

「これは俺の意見だけど、近代社会そのものがそうなんだけれども

、中でも効率主義こそがわれわれを家畜化させていると思う。そも

そもAIが一番得意とするのは効率性なんだから。そもそも芸術や

哲学というのは効率がまったく意味を為さない。効率を求めれば

求めるほどフレームに入り切れないデータは排除される。だから、

われわれが文明社会の快適さを求める限り、社会のフレームからは

み出すことは許されない。家畜って効率性がすべてだから酪農にし

ろ養鶏にしろ子や卵を生むメスしか飼育されていないだろ、経済効

率の悪いオスは何の役にも立たない」

「それで今の時代は女の方が元気なのかな?」

「なるほどそうかもしれない。効率を追い求めればいずれ社会の役

に立たない人間は淘汰されるだろう」

「それって優生思想じゃないか」

「そうなんだ、何が恐ろしいって快適さと引換えにAI、つまり科

学に生命をコントロールされることじゃないかな」

「まさかそんなことはないと思うけど・・・」

「何を言ってるんだ、すでに出産は無痛分娩が一般的だし、今では

尊厳死、つまり安楽死さえも合法化されようとしているんだぜ。そ

のうち出産制限とか定年死さえも合法化されるさ」

「出産制限は何となく分るけど、定年シ、って何?」

「だって経済効率を追い求めれば働けなくなった高齢者は非効率そ

のものだからね、管理社会が進めば経済的に自立できない高齢者は

一定の年齢に達したら安楽死させる。つまり、定年になったら死ぬ

から定年死、もちろん本人の承諾を得た上でだけど」

「誰もそんなの受け入れるわけないじゃないか」

「いいや、快適な生活に慣れた現代人はたぶん身体が衰えて辛い思

いをするくらいなら楽に死にたいと思うんじゃないかな。ある学者

は様々な痛みから解放させてくれる近代文明を無痛文明って呼んで

るけど、あっ無痛分娩じゃないよ、無痛・文明だよ。でもさ痛みの

伴わない命っておかしいと思わないか?われわれが恐怖だとか不安

を呼び覚ますのは身体中に張り巡らされた神経の記憶から生まれる

感覚なんだ。つまりAIと人間の大きな違いは神経なんだ、その神

経によってもたらされる感覚なんだ。その神経をマヒさせて果たし

て生きていると言えるのだろうか?すでにわれわれは科学によって

命をコントロールされているんだ。そして遂には個人と社会との関

係が逆転して、生きることとは社会のために生きることだと思うよ

うになる」

「それって全然間違っているとは思えないけど」

「何を言ってんだ、初めに生命があってそれから社会が出来るんだ

ろ。社会から生命は生まれないからね。明らかに目的と手段が逆転

しているじゃないか。その逆転こそが家畜化だと言ってるんだ」

俺は、

「それじゃあ、家畜化から遁れるためにはいったいどうすればいい

と言うんだ?」

「逃げるしかない」

「何処へ?」

「フレームの外へ」

「それって今の暮らしを棄てろってことだろ、そんなこと出来ない

な俺には」

「ああ、できない。実はおれもそれで迷っているけど、個人的自我

を取り戻す方法はそれしかないと思う。残された人生だってそんな

に長くないからね」

                          (つづく)


「生まれ出づる歓び」 (五)

2019-03-09 15:02:56 | 「生まれ出づる歓び」(一)~(五)

          「生まれ出づる歓び」

 

             (五)

 佐藤の話を聴いていて、何故かかつて読んだ浅田彰の「逃走論」

を思い出した。いや、思い出したのは「逃走論」という題名だけで

内容は何一つ覚えていないが。それは、同期に入社した男が、彼は

就職氷河期でなければもっと大きな会社に入れるほどの難関大学を

出ていたけれど仕方なくいま俺が居る会社に就職した、が、一年も

経たないうちに辞めてしまった。入社したころは机を並べてデータ

処理の雑務をしていたが彼の頭の良さに驚かされ、こいつには絶対

勝てないと思っていると、彼の口から突然「辞める」と聞かされた

時には内心ほっとした。一年も経たずに辞職する新入社員に対して

は会社もそっけなく、新入社員だけで彼との送別を惜しむ席を設け

た。その席で彼が浅田彰の「逃走論」を語り始めた。聞き慣れない

横文字ばかりで何を言っているのかまったく解らなかったが、ただ

「逃走論」という言葉だけが耳に残った。すぐに読んでみたがそれ

でもよく解らなかった。ただ構造主義からの逃走であるらしいこと

は解ったが、では構造主義とは何かが解らなかった。

 例えば、この国に生まれてこの国で暮らしていると、誰もこの国

との関係性から逃れることはできない。その関係性への執着から愛

国心が芽生えるというのは何もこの国に限ったことではない。隣国

に於いても同じである。自分たちの国を愛すること自体は何も問題

はないが、それが関係性の乏しい他国に向けられると異質な文化に

対する嫌悪感から排他的になる。それもまた隣国に於いても同じで

ある。つまり愛国者どうしが罵り合う背景には何か構造的な仕組み

があって、それぞれの愛国者たちはその仕組みに踊らされているだ

けではないか。仮に、この国の愛国者たちが立場が入れ替わって彼

の国に生れ堕ちれば、たぶん反日運動のシュプレヒコールを上げて

いるに違いない。だとすれば関係性に感情を絡めて馬鹿げた感情論

で非難し合うよりも対立的な関係性を解体してしまえばいい。EU

の試みはまさに国家の解体に他ならない。それは、何も国家間の構

造だけに止まらず、すべての構造的な関係においても言えるだろう

。「逃走論」とは構造主義社会からの逃走なのだ。そして、スキゾ

・キッズ佐藤の言う「フレームの外へ」もまた、ひたひたとしかし

確実に忍び寄る新たな構造主義社会、つまりAIが支配する管理社

会からの「逃走論」に違いなかった。

 佐藤は福島県出身で、父親は早くに亡くなって実家には母親と長

男の家族が暮らしていた。幸いにも2011年の大震災と大津波に

よる原発事故の直接的な被害は免れたが、しかし原発事故以来、科

学技術に対しては懐疑的になっていた。それまでは誰よりも「科学

の子」を自認していが、とりわけ原子力エネルギーについては「世

界を構成する物質の破壊は世界そのものの破壊で再生されない。そ

れは自然破壊なんかよりもはるかに深刻だ」と言って認めなかった

。そして温室効果ガスを排出する科学技術に対しても「欠陥技術だ

」と言い切った。そして佐藤は、

「日本は近代化するために欧米の科学技術を真似たんだけど、たと

えばタモリのモノマネをする芸人はタモリを超えられないんだよね

。タモリは自分自身を超えることが出来ても」

「ええっ、どういうこと?」

「だって西欧じゃ化石エネルギーの使用を無くそうとしているのに

、日本はハイブリッドだとかお為ごかしの技術でしか対応しない。

きっと既得権益を守ろうとする財界に政界が追従しているからだけ

ど、そんなタコつぼ社会の中からイノベーションなんてぜったいに

生れて来ないさ。もちろん原発問題だって同じさ」

おれは、

「今の政財界を見ていると、目の前の財政再建にばかり捕らわれて

、新しい技術だとかそんな先のことなんか考えてる余裕なんてない

んだよ、きっと」

「だって温暖化問題なんて日本にとっては技術力を発揮できる絶好

のチャンスだったのに、原発に頼ってしまったから太陽光発電だっ

てよそに追い抜かれてしまったじゃないか。世界が変わってからで

ないと変われないんだよ、この国は」

 佐藤だけでなくすでにおれも酔い始めていた。便所に行こうとし

て立ち上がった時にすこしよろけた。用を足した後、洗面所で顔を

洗ってから店員にオシボリを貰って拭った。満席だった店内もいつ

の間にか空席が目立った。スマホで時間を見るとすでに10時を過

ぎていた。席に戻って再び重苦しい話を続けたくなかったので、話

題を変えようと思った。おれは席に着いて、

「さっき迷ってるって言ったけど、いったい何を迷っているの?」

と切り出した。佐藤は、

「うん、仕事を辞めようかと思ってる」

「辞めてどうするつもり?」

「実はやりたいことがある」

「まさか、絵を描こうと思っているんじゃないよね?」

佐藤はそもそも美術系の学校に進学したが、それじゃあ喰えないと

思って俺と同じ学校の情報工学部に入り直して今の会社に就職した

。知り合って話すうちに何度か絵に対する未練を聴かされたことを

覚えていた。

「そうなんだ、絵を描きたいんだ」

「家族はどうする?」

「久美子にはちらっと口に出したことがあるけどまったく取り合っ

てくれなかった」

「そりゃそうだよ、生活がまったく変わってしまうんだから」

「でも、もう娘は今年高校を卒業で志望校への進学も決まったので

少し自由ができたんだ」

「ああ、もうそんな大きくなったのか」

佐藤はおれもよく知っている学校の同級生と卒業してすぐに結婚し

て子どもを授かったので、おれの子どもよりもうんと年長だった。

おれは、

「それで、どうやって生活するんだ?」

「実は、実家の福島に親戚の空家があって、そこを借りて農業をし

ながら絵を描くつもりなんだけど」

「久美ちゃんは承知したのか?」

「いや、そんなとこに行きたくないって言われた」

「だって彼女は東京育ちだろ?」

「そうなんだ。今さら農業なんてしたくないって」

「そりゃそうだよ」

「仕方ないので別居するしかない」

「そこまで考えているのか」

「俺さ、絵を描くのは人に見せるためだと思っていたんだけれど、

ちょっとまえに前の学校の時の友だちが死んでさ、母親が彼が住

んでいた借家を片付けたら大量の絵が残されていて、それでお母さ

んはその絵をみんなに見てもらおうと思って個展を開いたんだ。俺

はその絵を見て心を打たれた。風景画が多かったんだけれど、実に

生き生きとした美しい絵だった。彼は誰にも見てもらえなくてもこ

んな素晴らしい絵を描いていたのか、と思うと可哀そうでならなか

ったんだけど、すぐに違うと思った。彼は絵を描いている時こそ生

きていることの歓びを実感していたに違いないと、それは彼の絵を

観て確信したんだ。そして人に見せること、それどころか売れなけ

れば意味がないと思っていた自分の考えが間違いだったことに気付

かされた。好きな絵を描くことはそれだけで充実した人生を送った

に違いないと、いま自分がやっているつまらない作業に比べたら」

 おれは佐藤に、家族だけは路頭に迷わせるなよと説得したが、仕

事を辞めて農業をしながら絵を描きたいという彼の決意を思い止ま

らせることは出来なかった。彼の話を聴いて、画家ゴーギャンを思

い出さずにはいられなかった。ゴーギャンは株式仲買人として成功

して家庭を持って裕福に暮らしていたが、株式市場の大暴落をきっ

かけに、何を思ったのか社会的地位も家庭さえも捨てて画家への転

身を志し、紆余曲折を経てついには南太平洋に浮かぶタヒチ島に渡

って創作を続け、最後は病魔に苦しんで南海の孤島に骨を埋めた。

かつてはともに画家を志したゴッホにも劣らぬほどの彼の壮絶な生

涯はすでに様々な書物でも取り上げられているのでここでは割愛す

るが、佐藤もおそらくふるさと福島の原発事故に対する不信から近

代文明への懐疑が芽生え、「ゴーギャン的転身」を決意したのかも

しれない。佐藤は、

「このまま死んでしまっても納得できる場所にいまの自分は居るの

かって自問するとさ、そうじゃないんだよね」

おれはそんな自問をしたことがなかったので、どう答えていいのか

分らなかった。そして佐藤は、

「たとえば明日死ぬと判ったらこんなとこで飲んでたりはしないだ

ろ」

「まあな」

「それどころか東京にだって居たくない」

「じゃあ何処へ行くんだ?」

「別に決まった所はないけれど、ただ自分が生まれてきた世界をも

う一度この目で確かめたいと思ったら決して東京なんかじゃない」

「それはわかるけど、じゃあ家族はどうするんだ?」

彼はしばらく沈黙したあと、

「それを考えたら元に戻るしかないが、しかし死んでしまえば居な

くなるんだから申し訳ないが許してもらうしかない」

そして、

「死から自分の人生を見つめ直すということは個人的自我を取り戻

すことなんだ。生きている限り死は避けられないとすれば、俺はそ

の死から逆行して生きて行こうと思うんだ」

「何かよう分らん」

「一炊の夢だよ。つまり俺の人生はもう終わってしまったんだ。だ

からこれからは別の人生を生きるんだ」

「上手く行かなかったら?」

「それも夢だと思ちゃえばいい」

「でも耐えられるか?」

「だってもう一度終わってしまったんだから何があっても耐えられ

るさ。ただもう一度生れて来た歓びを取り戻したいんだ」

                        (つづく)


「あほリズム」(484)

2019-03-08 07:02:21 | アフォリズム(箴言)ではありません

          「あほリズム」

 

           (484)

 

 カルロス・ゴ―ン氏が保釈時に変装していたことに、

映像メディアは執拗に拘るが、果たして国民はそんなこ

とにそれほどの関心があるのかな?

 わしら、あんたらがスカされたことへの鬱憤晴らしな

んてどうだっていいんだけど。

 

 

 


「身の回りの化学物質が子供の健康を脅かす」

2019-03-06 07:34:09 | 従って、本来の「ブログ」

          「あほリズム」

 

           (483)

 

「身の回りの化学物質が子供の健康を脅かす」

レオナルド・トラサンデ(ニューヨーク大学医学大学院教授)


 要するに、科学技術による効率化が生成の循環再生を非効率化して

いるのだ。ところで、そもそも我々は科学によって存在するのか、

それとも生成によって存在するのか、改めて問うことではないが見

誤ってはならない。


「異感」に思う (補説)

2019-03-06 06:29:25 | 従って、本来の「ブログ」

            「異感」に思う (補説)

 

 前に『「異感」に思う』(2019年2月26日)という記事を投稿して、

その中で儒教道徳とは差別道徳でありダブルスタンダードであると語っ

たが、まさにそれを証明するような事例があった。

 以下は、中国政府によるファーウェイ副会長兼最高財務責任者(CFO)

である孟晩舟(モン・ワンジョウ)を拘束したカナダ政府への非難と、そ

れに対抗するために拘束したカナダ人への対応を巡る記者とのやり取り

です。

           *       *       *

「中国はダブルスタンダードでは?」記者からの指摘に外交部報道官が
反論―中国 (Record China / 2019年3月5日 10時50分)


4日の中国外交部定例記者会見で、カナダで起訴されたファーウェイの孟晩

舟(モン・ワンジョウ)副会長兼最高財務責任者(CFO)について「中国は

ダブルスタンダードでは」との指摘を受けた陸慷(ルー・カン)報道官が

反論した。

陸報道官は、孟氏の弁護士が「空港で孟氏を3時間にわたって監禁し、憲

法で定められた孟氏の権利が侵犯された」としてカナダ政府と警察当局に

対して訴えを起こしたことについて、「中国政府としてこの訴訟を支持す

るか」と質問を受けた。

 これに対して陸報道官は「法的な行動については直接ファーウェイに聞

てほしい」としたうえで、カナダ政府に対して直ちに孟氏の釈放を求める

姿勢に変わりがないことを強調した。

 また、「孟氏がカナダ当局に対して訴訟を起こす一方で、中国当局が中

国国内で逮捕されたカナダ人2人による弁護士との面会を認めないのはダブ

ルスタンダードではないか」と聞かれると、「わが国は中国・カナダ領事

協定の義務を履行している」とした上で、「カナダ人容疑者は中国の安全

を脅かす活動をしたために当局が強制措置を取った」と説明。「国の安全

に関する他国のやり方と、中国のやり方に何ら違いはない」と反論した。

(川尻)