村爺のなんでもいいべ

南相馬市の馬事公苑を中心に活動しているディスクゴルフの話題や南相馬の出来事や思いついたことを書いていきます。

飯館 虎捕山 2

2013年06月21日 19時00分00秒 | 登山・滝めぐり

虎捕山の由来

由緒書によれば、後一条天皇の御代、真野の里に生まれ育ったという橘墨虎(たちばなのすみとら)という凶賊がいた。墨虎は人並み外れて体の大きく、また不思議な力を持っていた。また、いつも部下を引き連れては村落にやって来て民家から財物を奪っていたため、墨虎が村を通るときは人々は皆縮み上がり逃げ惑うという有様で、住民たちは困り果てていた。

墨虎は、霊山に物見台を設けて近隣を支配し、その勢力がますます強大なものになると、豪族たちも墨虎へ服従して朝廷の命令に従わないようになったという。

後冷泉天皇の御代である永承6年(1051年)、陸奥守・鎮守府将軍として源頼義が下向して掛田(現在の伊達市霊山町掛田地区付近)に陣を構えた時、人々が墨虎による被害を訴え、墨虎を退治して欲しいと哀願した。これに対して頼義は部下へ墨虎の討伐を命じた。

墨虎は霊山の地の利を生かし戦ったが遂に頼義の軍に敗れ、単身亘理へと逃亡した。しばらくするとまた霊山へと戻ってきて、山へ隠れては現れを繰り返したため、頼義も対応に困り果てていた。

ある夜、頼義の夢の中に山の神が現れ「もし墨虎を捕まえたいと思うなら、白狼の足跡を踏み追うといい」という神託を得た。頼義は直ちに臣下である藤原景道に墨虎の追跡を命じた。藤原景道は、里人である菅野蔵人と今神助右エ門を道案内役として山へと分け入り、険しい山嶺や荊棘の中を踏み分けて捜索をしていると、獣の足跡が一際突き立っている岩へと点々と続いているのを見つけた。その足跡を辿っていくと、岩のところにある穴に墨虎が潜んでいた。景道は「墨虎天罰免れるべからず。朝命の刃に伏せ」と叫び、逃げようとする墨虎へ短刀を投げつけたところ、短刀は墨虎の背中に刺さり腹へと刃が貫けたという。

墨虎が討伐されたことで近隣の人々は安堵し、頼義は夢で神託を下した山の神の威徳を感じて墨虎を討った山へ祠を設けて「虎捕山神」と称えて報賽したという。その後、霊山へ北畠顕家が城を築いた時も頼義の遺績を敬い、また、虎捕山神の威徳により戦勝を得ることがあったため篤く崇敬したという。

なお、墨虎が捕えられた山であったことから、祠の設けられた山は「虎捕山」と呼ばれ、山津見神社の鎮座地である佐須という地名は墨虎に短刀が”刺さる”ということに因んだものであるという。

山津見神社は、産業の神、交通安全の神、海上安全・豊漁の神、良縁結びの神、安産祈願、酒造、狩猟の神など多くの神徳を持ち、そのため近隣の人々から信仰を集めている。また、山神の眷属とされる狼や白狼への信仰が篤く、火難盗難除の「御眷属」という神札の授与が行われている。

車の祈祷所の脇を通り奥に進むと「虎捕山津見神社御本殿登拝入口」の石碑が立ってます。

ここの周りの杉の木も黒く焼けただれているものがありました。

登山道はうっそうとした森林帯の中を進みます。

最近歩く人が少ないのか踏み跡が薄くなっているところもあります。

飯館村で熊の目撃があったので、うるさくてあまり好きではないが熊よけの鈴を鳴らしながら進みました。

なんか一人では心細くなりそうな雰囲気がありますね。

ゆっくりした足取りで15分程度登って行くと手水舎にたどり着きました。

水はきれいでおいしそうに見えるのですが、「計画的避難区域」で放射能が気になるので、持って行った水を飲み一服。

手水舎から5分程度急登すると鳥居が現れます。

この辺りはなんとなく幻想的な雰囲気がありますね。

この辺りから大きな石が多くなります。

鳥居から登ってすぐに祠状になった大岩がありました。

ここが墨虎が潜んでいた虎捕洞なのだろうか?

思いつきで突然来たので下調べが無くダメですね。

本殿付近は石山になっているようです。

最初の難所には鉄のはしごと鎖がかかってました。

鉄のはしごを登りきるとちょっと広い岩場へでます。そこから山頂方面に本殿がうかがえます。

本殿に向かって右側を回って行くと本殿直下の鎖場に到着。

鉄梯子を登りきるとそこには立派な本殿が鎮座していました。

小学校の遠足で登って以来だから40数年ぶりなのかな?

その当時の記憶は、鎖を伝って石の上に登ったという記憶があるだけです。

こんなに立派な本殿が当時からあったのかな?

山頂へは本殿の左からまいて行きます。

この岩場を登り切れば山頂です。

山頂には小さな祠が祀ってありました。。

あいにくの曇り空で期待通りの展望は望めませんが、今は誰も住んでいない飯舘村の景色は望めました。

山頂からは山津見神社の社殿があったであろうところも望めますが何もありません。

秋にはここから新しい社殿が望めるかもしれませんね。

帰路は同じ道を下山。

途中で気になる標識が!!

そうなんです、これが一番危険なんですよ!!

誰もいない飯館村で山火事なんて発生したらとんでもないことになりますよ!!

それにしても「原町営林署」の標識だからかなり年代物ですね。

無事に本殿への参拝を終えて降りてくると、禰宜さんがわざわざご苦労様でしたと言ってくれました。

俺の方が「ご苦労様でした」と言いたいくらいです。

「大変ですが頑張ってください」とだけは声をかけてきました。

そこから風呂に入るため霊山紅彩館へ

しかし、

なんと、

霊山紅彩館はまだ震災の修理中で休館していた。(6月30日まで)

ショック!!