平成27年10月18日(日)
新蕎麦在ります、
名古屋ではうどん屋さんが主流で、饂飩、きし麺、味噌煮込み
等、、そんな店も各町内に1軒は在る程に、、、。
勿論どの店にも必ず蕎麦のメニューは有りますが、、
そんな中、蕎麦を中心にした、風格のあるお店も存在し、
この時期に成ると、、、街角に在るお蕎麦屋さんでは、
「新蕎麦あります」「新蕎麦入荷」「新蕎麦打ち始めました」
等の貼紙等を眼にする様になりました。
又、全国で「新蕎麦祭」のイベントが開催されます
全国各地の新蕎麦祭の案内ポスター
新蕎麦って、何時頃に出回るのでしょうか ?
蕎麦:タデ科ソバ属の一年草、草丈60~130Cm
茎の先端に6mm程の花を付ける。
花色は、白、淡紅、赤。果実の皮色は黒、茶褐色、銀
茎は鶏糞の様な臭い匂いがする。
蕎麦の花
原産地は中国南部
日本では古く、弥生時代に焼畑農法で栽培との記述。
日本では主に実を製粉として利用、麺、蕎麦掻として食す。
現在は北海道に多く、6月頃に種をまき、9月に収穫する。
東北、中部の山岳地帯では、5月種撒き8月収穫の夏そばと、
8月種蒔き10月収穫の2期作が在る、これを新蕎麦(走り蕎麦
と言う様です、、。
「俳諧蕎麦ばなし」 浪川寛治 著より
俳人の蕎麦の花の句
蕎麦はまだ花でもてなす山路かな 松尾 芭蕉
道のべや手よりこぼれて蕎麦の花 与謝 蕪村
山畠やそばの白さもぞつとする 小林 一茶
蕎麦は本当にシンプルな食べ物です。
麺を打ち、茹で、そば汁に付けて食べる。
薬味を2,3加えた、盛り蕎麦が原点でしょう、、。
丁子屋のざるそば
文献によれば、天正年間(1573年~)はこのスタイルでしたが
その後寛政年間(1789年~)には麺と汁を一緒にした
かけ蕎麦が生れ、これに天ぷら等の種物を加える様に、、。
そじ坊、天ざる
江戸やぶそば名古屋店
現代では、蕎麦の魅力増す様に、様々な工夫をされ、、
「蕎麦会席」として、酒の席を設けるようになった。
前菜、吸い物、お造り、煮物、焼き物、さらには、
止め椀、止め肴等と、豪華になりました、、。
今日の1句
秋深し尼僧に出会ふ蕎麦処
新蕎麦に亦逢ひたくて馬篭かな
新蕎麦在ります、
名古屋ではうどん屋さんが主流で、饂飩、きし麺、味噌煮込み
等、、そんな店も各町内に1軒は在る程に、、、。
勿論どの店にも必ず蕎麦のメニューは有りますが、、
そんな中、蕎麦を中心にした、風格のあるお店も存在し、
この時期に成ると、、、街角に在るお蕎麦屋さんでは、
「新蕎麦あります」「新蕎麦入荷」「新蕎麦打ち始めました」
等の貼紙等を眼にする様になりました。
又、全国で「新蕎麦祭」のイベントが開催されます
全国各地の新蕎麦祭の案内ポスター
新蕎麦って、何時頃に出回るのでしょうか ?
蕎麦:タデ科ソバ属の一年草、草丈60~130Cm
茎の先端に6mm程の花を付ける。
花色は、白、淡紅、赤。果実の皮色は黒、茶褐色、銀
茎は鶏糞の様な臭い匂いがする。
蕎麦の花
原産地は中国南部
日本では古く、弥生時代に焼畑農法で栽培との記述。
日本では主に実を製粉として利用、麺、蕎麦掻として食す。
現在は北海道に多く、6月頃に種をまき、9月に収穫する。
東北、中部の山岳地帯では、5月種撒き8月収穫の夏そばと、
8月種蒔き10月収穫の2期作が在る、これを新蕎麦(走り蕎麦
と言う様です、、。
「俳諧蕎麦ばなし」 浪川寛治 著より
俳人の蕎麦の花の句
蕎麦はまだ花でもてなす山路かな 松尾 芭蕉
道のべや手よりこぼれて蕎麦の花 与謝 蕪村
山畠やそばの白さもぞつとする 小林 一茶
蕎麦は本当にシンプルな食べ物です。
麺を打ち、茹で、そば汁に付けて食べる。
薬味を2,3加えた、盛り蕎麦が原点でしょう、、。
丁子屋のざるそば
文献によれば、天正年間(1573年~)はこのスタイルでしたが
その後寛政年間(1789年~)には麺と汁を一緒にした
かけ蕎麦が生れ、これに天ぷら等の種物を加える様に、、。
そじ坊、天ざる
江戸やぶそば名古屋店
現代では、蕎麦の魅力増す様に、様々な工夫をされ、、
「蕎麦会席」として、酒の席を設けるようになった。
前菜、吸い物、お造り、煮物、焼き物、さらには、
止め椀、止め肴等と、豪華になりました、、。
今日の1句
秋深し尼僧に出会ふ蕎麦処
新蕎麦に亦逢ひたくて馬篭かな
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