1位 L.ハミルトン メルセデスAMG
2位 S.ベッテル フェラーリ
3位 V.ボッタス メルセデスAMG
4位 M.フェルスタッペン レッドブル・ホンダ
5位 P.ガスリー レッドブル・ホンダ
6位 C.サインツ マクラーレン・ルノー
7位 D.クビアト トロロッソ・ホンダ
8位 A.アルボン トロロッソ・ホンダ
9位 D.リチャルド ルノー
10位 R.グロジャン ハース・フェラーリ
モナコGPです。スターティンググリッドはポールがハミルトン、以下ボッタス、フェルスタッペン、ベッテル、マグヌッセン、リチャルド、クビアト、ガスリーと続きます。フロントロウはメルセデスが独占。トップ3の間を割ってマグヌッセン、リチャルド、クビアトが入ってきました。ルクレールは15番グリッドと後方に沈みます。チームの判断ミスでこの様な予選結果となりました。1回タイムを出した後、タイヤを温存する為チームは走らせなかったのですが、時間を追う毎に路面状況が良くなっていき各車タイムアップ、ルクレールはQ1敗退とあいなったのです。スタートはポールのハミルトンがホールショット。ボッタスとフェルスタッペンがサイドバイサイドで1コーナーのサン・デボーテに向かいますが、フェルスタッペンが引いて以下後続が順当に流れていきます。フェルスタッペン、これは賢明な判断でしたね。もし、ここで無理をしていたら、コース幅の狭く逃げ場の無い、このモンテカルロ、多重クラッシュを引き起こしていたことでしょう。ステーション・ヘアピンでレーシングポイントとザウバーが軽く接触していますが、オープニングラップは順調に流れていきます。2周目、ステーション・ヘアピンでルクレールがノリスをオーバーテイク。7周目、ラスカスでルクレールがグロジャンをオーバーテイク。先ほどのノリスの時もそうでしたが、コース幅の狭い、このモンテカルロ。マシンを捻じ込む様にしないと前に出られません。軽く接触しています。殆ど弾き飛ばす勢いで突っ込んでいますね。意外な所でオーバーテイクを仕掛けられて驚いたグロジャン。よっぽど驚いたのか、思わず”That was Kamikaze!”と叫んでいました。っていうか”Kamikaze”って世界共通語だったんですね(汗)。フランス人のグロジャンが咄嗟に口にするぐらいなので間違いありません。そして9周目、ルクレールが同じくラスカスで今度はヒュルケンベルグのインに飛び込みオーバーテイクを試みます。が、今度は右リアをガードレールにヒットしてハーフスピン。これにより、先ほどオーバーテイクしたグロジャンに再び先行されてしまいます。翌10周目、先ほどラスカスでフェンスにヒットした時のダメージでルクレールの右リアタイヤがバースト。ルクレールは執念で、タイヤの破片を撒き散らしながら3輪のまま走行を続けピットイン。この破片処理の為、セーフティーカー出動となります。ルクレールはタイヤ交換してコースに復帰するも、3輪走行した際のフロアダメージが酷く無念のリタイア。ところで、ルクレールは3輪のまま走行を続けた訳ですが、この光景に見覚えがある人がいるんじゃないでしょうか?そう、伝説のF1ドライバー、ジル・ビルヌーブですよ!1979年のオランダGPでの3輪でのカウンターを当てながらの走りは今でも語り草になっていますからね。ビルヌーブのマシンはリアタイヤがバーストしてコースアウト。もうタイヤは完全に終わっている状態でしたが執念で3輪のままピットまで走行したのです。マシンが動く限りは決して諦めない執念の走りは、ティフォジのみならず多くのファンの心を捉えました。奇しくもビルヌーブもフェラーリのドライバー。ルクレールはビルヌーブの様なスタードライバーになれるでしょうか?11周目、珍しいアクシデントが起こります。ピットレーンでボッタスとフェルスタッペンが接触。作業を終えてピットレーンを走行するボッタスにフェルスタッペンが被せてきた形です。”He pushed me to the wall!”(ボッタス)しばし、ピットレーンで並走する2台のマシン。これはなかなか見ることの出来ない光景ですね(汗)。このまま並走しても埒が明かないのでボッタスは一旦引きました。ピットレーンでは80km/hの速度制限がかかっているので抜き様がありませんからね。そして、そんな張り合う2台を後ろから冷静に実況する一人のドライバーがいました。ベッテルです(笑)。”2台のマシンがピットレーンに並んで、少し身の毛のよだつ様な思いをしたよ!レッドブルの発進は凄いアグレッシブだったよ。マックスはもうちょっと間隔を取るべきだったんじゃないかな。なので、ボッタスは行き場を失った。”(要約)尚、フェルスタッペンはこの微妙なタイミングでの発進の過度により、5秒加算のペナルティを食らっております。セーフティーカー撤収後の15周目、ラスカスでクビサとジョビナッツィが接触。両車とも止まってしまいコースを塞ぐ形になりました。行き場を失った後続のマシンが完全に止まってしまい、お見合いの様な状態に(笑)。ペレスとヒュルケンベルグ、ラッセルは上手く通過しましたが、その後クビサが突如バックします。ルクレールだけ通せんぼになってしまいました。クビサが後退してリスタート。スペースが空いた瞬間、ルクレールは猛ダッシュでポジションを挽回すべく先を目指して行きました(後程リタイアになるのは前述した通りです)。レース終盤、ハミルトンがフェルスタッペンの猛チャージを受けます。タイヤが終わっているハミルトン、これ以上ペースを上げることができないので防戦一方です。絶妙にブロックして、のらりくらりとフェルスタッペンの攻撃をかわすハミルトン。しかし76周目、脇が甘かったのかヌーベルシケインでフェルスタッペンが飛び込んできます。両車とも軽く接触。ハミルトンはシケインをショートカットしてポジションをキープ。この場合は、アクシデント回避の為なのでペナルティの対象にはならなかったのでしょう。そして、ハミルトンはからくも逃げ切りトップチェッカー。終盤のハミルトンとフェルスタッペンのバトルは、近年稀にみる熱いものとなったのではないでしょうか。個人的には1992年のセナとマンセルのバトル以上に面白いと思いましたよ?ちなみに、フェルスタッペンは5秒加算のペナルティが決定していたので、ハミルトンはフェルスタッペンの幻とバトルしていたのと同じ状態だった訳ですが。例年、モナコGPは退屈な展開になることが多いのですが、今年はオーバーテイクシーンも多く楽しめる展開となったのではないでしょうか。さて、今回のレース、メルセデスのマシンのハロが赤に、そしてハミルトンのヘルメットが赤くペイントされているのに気が付いた方もいると思います。これは、去る5月20日にこの世を去ったニキ・ラウダに追悼の意を表したものです。現役を引退した後も辛口のご意見番としてグランプリの世界を見守っていました。やはり特筆すべきは、その精神力の強さでしょう。1976年のドイツGP、ニュルブルクリンクでの大事故からたったの6週間でレースに復帰。死んでもおかしくない様な大火傷を負ったにもかかわらずにです。ちなみに、その時、死んだと思われて医者でなく牧師がラウダの元にやってきたという逸話が残っています。また、プロストの師匠にあたる人物でもあります。1984年はプロストとラウダの2人でチャンピオン争いが展開されました。速さに勝るプロストに対してラウダは老練な走りで着実にポイントを積み重ね、最終的に0.5ポイント差でタイトルを獲得しています。ポイントが小数点になったのは、第6戦のモナコGPが雨で中断になり、規定周回数の半分に達していなかった為、獲得ポイントが1/2されたからです。おそらく、復帰したドライバーで唯一タイトルを獲得した例ではないでしょうか。前シーズンに引き続きタイトルを獲り損なったプロストは、着実にポイントを稼ぐ大切さを身をもって教わり、翌1985年には晴れて初のフランス人ワールドチャンピオンとなったのでした。プロストの着実な走りは、この時に培われたものでしょう。ハミルトンにとってもラウダは大恩人です。もし、ラウダがハミルトンをメルセデスにスカウトしなければ、ハミルトンのタイトル獲得回数はここまで伸びることは無かったでしょう。もし、マクラーレンに残っていたら、落ちぶれていく名門と共にジリ貧になっていたかも知れません。引退後もグランプリの世界に影響を与え続けてきたニキ・ラウダ。自分にとっても子供時代、王貞治と並ぶヒーローでした。この不世出のレジェンドに哀悼の意を表します。
2位 S.ベッテル フェラーリ
3位 V.ボッタス メルセデスAMG
4位 M.フェルスタッペン レッドブル・ホンダ
5位 P.ガスリー レッドブル・ホンダ
6位 C.サインツ マクラーレン・ルノー
7位 D.クビアト トロロッソ・ホンダ
8位 A.アルボン トロロッソ・ホンダ
9位 D.リチャルド ルノー
10位 R.グロジャン ハース・フェラーリ
モナコGPです。スターティンググリッドはポールがハミルトン、以下ボッタス、フェルスタッペン、ベッテル、マグヌッセン、リチャルド、クビアト、ガスリーと続きます。フロントロウはメルセデスが独占。トップ3の間を割ってマグヌッセン、リチャルド、クビアトが入ってきました。ルクレールは15番グリッドと後方に沈みます。チームの判断ミスでこの様な予選結果となりました。1回タイムを出した後、タイヤを温存する為チームは走らせなかったのですが、時間を追う毎に路面状況が良くなっていき各車タイムアップ、ルクレールはQ1敗退とあいなったのです。スタートはポールのハミルトンがホールショット。ボッタスとフェルスタッペンがサイドバイサイドで1コーナーのサン・デボーテに向かいますが、フェルスタッペンが引いて以下後続が順当に流れていきます。フェルスタッペン、これは賢明な判断でしたね。もし、ここで無理をしていたら、コース幅の狭く逃げ場の無い、このモンテカルロ、多重クラッシュを引き起こしていたことでしょう。ステーション・ヘアピンでレーシングポイントとザウバーが軽く接触していますが、オープニングラップは順調に流れていきます。2周目、ステーション・ヘアピンでルクレールがノリスをオーバーテイク。7周目、ラスカスでルクレールがグロジャンをオーバーテイク。先ほどのノリスの時もそうでしたが、コース幅の狭い、このモンテカルロ。マシンを捻じ込む様にしないと前に出られません。軽く接触しています。殆ど弾き飛ばす勢いで突っ込んでいますね。意外な所でオーバーテイクを仕掛けられて驚いたグロジャン。よっぽど驚いたのか、思わず”That was Kamikaze!”と叫んでいました。っていうか”Kamikaze”って世界共通語だったんですね(汗)。フランス人のグロジャンが咄嗟に口にするぐらいなので間違いありません。そして9周目、ルクレールが同じくラスカスで今度はヒュルケンベルグのインに飛び込みオーバーテイクを試みます。が、今度は右リアをガードレールにヒットしてハーフスピン。これにより、先ほどオーバーテイクしたグロジャンに再び先行されてしまいます。翌10周目、先ほどラスカスでフェンスにヒットした時のダメージでルクレールの右リアタイヤがバースト。ルクレールは執念で、タイヤの破片を撒き散らしながら3輪のまま走行を続けピットイン。この破片処理の為、セーフティーカー出動となります。ルクレールはタイヤ交換してコースに復帰するも、3輪走行した際のフロアダメージが酷く無念のリタイア。ところで、ルクレールは3輪のまま走行を続けた訳ですが、この光景に見覚えがある人がいるんじゃないでしょうか?そう、伝説のF1ドライバー、ジル・ビルヌーブですよ!1979年のオランダGPでの3輪でのカウンターを当てながらの走りは今でも語り草になっていますからね。ビルヌーブのマシンはリアタイヤがバーストしてコースアウト。もうタイヤは完全に終わっている状態でしたが執念で3輪のままピットまで走行したのです。マシンが動く限りは決して諦めない執念の走りは、ティフォジのみならず多くのファンの心を捉えました。奇しくもビルヌーブもフェラーリのドライバー。ルクレールはビルヌーブの様なスタードライバーになれるでしょうか?11周目、珍しいアクシデントが起こります。ピットレーンでボッタスとフェルスタッペンが接触。作業を終えてピットレーンを走行するボッタスにフェルスタッペンが被せてきた形です。”He pushed me to the wall!”(ボッタス)しばし、ピットレーンで並走する2台のマシン。これはなかなか見ることの出来ない光景ですね(汗)。このまま並走しても埒が明かないのでボッタスは一旦引きました。ピットレーンでは80km/hの速度制限がかかっているので抜き様がありませんからね。そして、そんな張り合う2台を後ろから冷静に実況する一人のドライバーがいました。ベッテルです(笑)。”2台のマシンがピットレーンに並んで、少し身の毛のよだつ様な思いをしたよ!レッドブルの発進は凄いアグレッシブだったよ。マックスはもうちょっと間隔を取るべきだったんじゃないかな。なので、ボッタスは行き場を失った。”(要約)尚、フェルスタッペンはこの微妙なタイミングでの発進の過度により、5秒加算のペナルティを食らっております。セーフティーカー撤収後の15周目、ラスカスでクビサとジョビナッツィが接触。両車とも止まってしまいコースを塞ぐ形になりました。行き場を失った後続のマシンが完全に止まってしまい、お見合いの様な状態に(笑)。ペレスとヒュルケンベルグ、ラッセルは上手く通過しましたが、その後クビサが突如バックします。ルクレールだけ通せんぼになってしまいました。クビサが後退してリスタート。スペースが空いた瞬間、ルクレールは猛ダッシュでポジションを挽回すべく先を目指して行きました(後程リタイアになるのは前述した通りです)。レース終盤、ハミルトンがフェルスタッペンの猛チャージを受けます。タイヤが終わっているハミルトン、これ以上ペースを上げることができないので防戦一方です。絶妙にブロックして、のらりくらりとフェルスタッペンの攻撃をかわすハミルトン。しかし76周目、脇が甘かったのかヌーベルシケインでフェルスタッペンが飛び込んできます。両車とも軽く接触。ハミルトンはシケインをショートカットしてポジションをキープ。この場合は、アクシデント回避の為なのでペナルティの対象にはならなかったのでしょう。そして、ハミルトンはからくも逃げ切りトップチェッカー。終盤のハミルトンとフェルスタッペンのバトルは、近年稀にみる熱いものとなったのではないでしょうか。個人的には1992年のセナとマンセルのバトル以上に面白いと思いましたよ?ちなみに、フェルスタッペンは5秒加算のペナルティが決定していたので、ハミルトンはフェルスタッペンの幻とバトルしていたのと同じ状態だった訳ですが。例年、モナコGPは退屈な展開になることが多いのですが、今年はオーバーテイクシーンも多く楽しめる展開となったのではないでしょうか。さて、今回のレース、メルセデスのマシンのハロが赤に、そしてハミルトンのヘルメットが赤くペイントされているのに気が付いた方もいると思います。これは、去る5月20日にこの世を去ったニキ・ラウダに追悼の意を表したものです。現役を引退した後も辛口のご意見番としてグランプリの世界を見守っていました。やはり特筆すべきは、その精神力の強さでしょう。1976年のドイツGP、ニュルブルクリンクでの大事故からたったの6週間でレースに復帰。死んでもおかしくない様な大火傷を負ったにもかかわらずにです。ちなみに、その時、死んだと思われて医者でなく牧師がラウダの元にやってきたという逸話が残っています。また、プロストの師匠にあたる人物でもあります。1984年はプロストとラウダの2人でチャンピオン争いが展開されました。速さに勝るプロストに対してラウダは老練な走りで着実にポイントを積み重ね、最終的に0.5ポイント差でタイトルを獲得しています。ポイントが小数点になったのは、第6戦のモナコGPが雨で中断になり、規定周回数の半分に達していなかった為、獲得ポイントが1/2されたからです。おそらく、復帰したドライバーで唯一タイトルを獲得した例ではないでしょうか。前シーズンに引き続きタイトルを獲り損なったプロストは、着実にポイントを稼ぐ大切さを身をもって教わり、翌1985年には晴れて初のフランス人ワールドチャンピオンとなったのでした。プロストの着実な走りは、この時に培われたものでしょう。ハミルトンにとってもラウダは大恩人です。もし、ラウダがハミルトンをメルセデスにスカウトしなければ、ハミルトンのタイトル獲得回数はここまで伸びることは無かったでしょう。もし、マクラーレンに残っていたら、落ちぶれていく名門と共にジリ貧になっていたかも知れません。引退後もグランプリの世界に影響を与え続けてきたニキ・ラウダ。自分にとっても子供時代、王貞治と並ぶヒーローでした。この不世出のレジェンドに哀悼の意を表します。