1位 F.アロンソ フェラーリ
2位 K.ライコネン ロータス・ルノー
3位 M.シューマッハ メルセデスAMG
4位 M.ウェーバー レッドブル・ルノー
5位 N.ヒュルケンベルグ フォースインディア・メルセデス
6位 N.ロズベルグ メルセデスAMG
7位 P.ディ・レスタ フォースインディア・メルセデス
8位 J.バトン マクラーレン・メルセデス
9位 S.ペレス ザウバー・フェラーリ
10位 B.セナ ウイリアムズ・ルノー
ヨーロッパGPです。ヨーロッパGPといっても、それだけじゃどこでやってるのか判らないヨ!という人がいるかも知れないので一応書いておきますと、スペインのバレンシア市街で行われています。スペインで年に2戦(カタルーニャとバレンシア)もF1開催してるなんてズルくね?と思っている方がいるでしょうが、甘いです!昔サンマリノGPという名目で開催されていたレースがありましたが、サンマリノ共和国にはF1を開催できるレベルのサーキットは存在しません。じゃあ、どこでやってるの?という話になるのですがイタリアです!ボローニャ県のイモラサーキットで行われていました。フェラーリを擁するレース好きのイタリア人は隣国サンマリノ共和国の名義を借りて年に2戦レースを行っていたという訳です。けしからん!………じゃなくて、うらやましい限りですね。とはいえ、我が日本でも1994年と1995年には鈴鹿と岡山県のTI英田(あいだ)で2戦開催されていた時期がありました。TI英田でのレースの名称はパシフィックGP!太平洋だなんて粋な名前を付けるもんですね。しかしこのTI英田、1995年は4月に開催する筈が、阪神・淡路大震災の影響で、10月に延期となったのです。鈴鹿との2戦連続の開催となり、客の取り合いの様な形になったこともあって観客動員数が低調になってしまいました。このことが影響してか、資金繰りが苦しくなり、2回限りの開催で終焉を迎えています。う~ん、残念。最後に付け加えますと、アジアGPとして開催を予定していたオートポリスが実現していれば日本で年3戦開催が実現していた可能性があります(爆)。F1の歴史を遡っても、過去に年3戦開催を実現した国はアメリカしか存在しません。日本の狭い国土で年3戦開催を実現していたらと思うと、そら恐ろしいですね(汗)。さて、レースの方ですが、ポールは予選が絶好調のベッテル。スタートも上手く決めて早くも独走態勢に入ります。遂にベッテル、完全復活か?と思われましたがセーフティーカーが入ったのが運の尽き。スロー走行を強いられたせいか、リスタート後にマシントラブルでリタイアです。代わって先頭に立ったのがスペインの英雄アロンソ。この時、観客の目にはアロンソが闘牛のマタドールとダブって見えたことでしょう。そして、このマタドールに襲いかかるのが若き挑戦者、ロータスのグロジャンです。アロンソを相当苦しめたグロジャン、これまでの流れでいくと8人目のウィナー誕生か?と思われましたが、ここで運が尽きたグロジャン、マシントラブルでリタイアとなりました。原因はベッテルと同じオルタネーターのトラブルです。これで邪魔者はいなくなりアロンソ、11番グリッドスタートという不利なポジションながら、しぶとい走りで今シーズン2度目の優勝。ポイントランキングでも1位に返り咲きです。久々の母国GP優勝で感極まって涙を流しました。スペインは現在経済危機ということで国民が苦しい生活を強いられているということもあり、色々な感情が交錯したのでしょう。さて、3位表彰台はシューマッハです。復帰後初の表彰台となりました。12番グリッドという渋いポジションからスタートのシューマッハ。強敵のリタイアもあり終盤5番手までポジションアップしました。前方で表彰台争いをしていたハミルトンとマルドナドが接触、両者リタイアです。そして、両者の争いを後ろでみていたシューマッハが正に「漁夫の利」で復帰後初の表彰台をゲットしました。まあ、ぶっちゃけタナボタなんですけどね(汗)。シューマッハが遂に表彰台!と、当所は喜んだものの、手放しで喜べる内容ではありません。しかし、モナコGPでは事実上のポールポジションの1番時計を出すなど、まだまだ侮れない存在のシューマッハ。今度はビシッ!とした内容で表彰台をゲットして欲しいですね、ビシッ!と。
2位 K.ライコネン ロータス・ルノー
3位 M.シューマッハ メルセデスAMG
4位 M.ウェーバー レッドブル・ルノー
5位 N.ヒュルケンベルグ フォースインディア・メルセデス
6位 N.ロズベルグ メルセデスAMG
7位 P.ディ・レスタ フォースインディア・メルセデス
8位 J.バトン マクラーレン・メルセデス
9位 S.ペレス ザウバー・フェラーリ
10位 B.セナ ウイリアムズ・ルノー
ヨーロッパGPです。ヨーロッパGPといっても、それだけじゃどこでやってるのか判らないヨ!という人がいるかも知れないので一応書いておきますと、スペインのバレンシア市街で行われています。スペインで年に2戦(カタルーニャとバレンシア)もF1開催してるなんてズルくね?と思っている方がいるでしょうが、甘いです!昔サンマリノGPという名目で開催されていたレースがありましたが、サンマリノ共和国にはF1を開催できるレベルのサーキットは存在しません。じゃあ、どこでやってるの?という話になるのですがイタリアです!ボローニャ県のイモラサーキットで行われていました。フェラーリを擁するレース好きのイタリア人は隣国サンマリノ共和国の名義を借りて年に2戦レースを行っていたという訳です。けしからん!………じゃなくて、うらやましい限りですね。とはいえ、我が日本でも1994年と1995年には鈴鹿と岡山県のTI英田(あいだ)で2戦開催されていた時期がありました。TI英田でのレースの名称はパシフィックGP!太平洋だなんて粋な名前を付けるもんですね。しかしこのTI英田、1995年は4月に開催する筈が、阪神・淡路大震災の影響で、10月に延期となったのです。鈴鹿との2戦連続の開催となり、客の取り合いの様な形になったこともあって観客動員数が低調になってしまいました。このことが影響してか、資金繰りが苦しくなり、2回限りの開催で終焉を迎えています。う~ん、残念。最後に付け加えますと、アジアGPとして開催を予定していたオートポリスが実現していれば日本で年3戦開催が実現していた可能性があります(爆)。F1の歴史を遡っても、過去に年3戦開催を実現した国はアメリカしか存在しません。日本の狭い国土で年3戦開催を実現していたらと思うと、そら恐ろしいですね(汗)。さて、レースの方ですが、ポールは予選が絶好調のベッテル。スタートも上手く決めて早くも独走態勢に入ります。遂にベッテル、完全復活か?と思われましたがセーフティーカーが入ったのが運の尽き。スロー走行を強いられたせいか、リスタート後にマシントラブルでリタイアです。代わって先頭に立ったのがスペインの英雄アロンソ。この時、観客の目にはアロンソが闘牛のマタドールとダブって見えたことでしょう。そして、このマタドールに襲いかかるのが若き挑戦者、ロータスのグロジャンです。アロンソを相当苦しめたグロジャン、これまでの流れでいくと8人目のウィナー誕生か?と思われましたが、ここで運が尽きたグロジャン、マシントラブルでリタイアとなりました。原因はベッテルと同じオルタネーターのトラブルです。これで邪魔者はいなくなりアロンソ、11番グリッドスタートという不利なポジションながら、しぶとい走りで今シーズン2度目の優勝。ポイントランキングでも1位に返り咲きです。久々の母国GP優勝で感極まって涙を流しました。スペインは現在経済危機ということで国民が苦しい生活を強いられているということもあり、色々な感情が交錯したのでしょう。さて、3位表彰台はシューマッハです。復帰後初の表彰台となりました。12番グリッドという渋いポジションからスタートのシューマッハ。強敵のリタイアもあり終盤5番手までポジションアップしました。前方で表彰台争いをしていたハミルトンとマルドナドが接触、両者リタイアです。そして、両者の争いを後ろでみていたシューマッハが正に「漁夫の利」で復帰後初の表彰台をゲットしました。まあ、ぶっちゃけタナボタなんですけどね(汗)。シューマッハが遂に表彰台!と、当所は喜んだものの、手放しで喜べる内容ではありません。しかし、モナコGPでは事実上のポールポジションの1番時計を出すなど、まだまだ侮れない存在のシューマッハ。今度はビシッ!とした内容で表彰台をゲットして欲しいですね、ビシッ!と。