トライランダーの蔵出し写真館 第2号

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くまがわの変遷 

2010-07-18 21:53:00 | JR
本日は昨日に引き続き、門司港ー黒崎―直方―桂川―原田―熊本―人吉間で団体臨時列車「くまがわ」が運行された。

一連のリバイバル列車の中では、リアルタイムで「急行くまがわ」を見てきた世代であるということもあり、非常に親しみを感じている列車である。

私がこの列車を知った頃は、既に熊本~人吉間に短縮され、青いキハ58・65が大きなヘッドマーク(最末期のものではなくひとつ前の数種類あったもの)を掲げて運行していた。

王監督が巨人に入団した昭和34年、くまがわも門司港~人吉間の準急として誕生した。当初は基本的に1エンジンのキハ25・26の4連であったようである。

その後昭和41年に急行に格上げ、昭和47年に湯前延長(湯前線内普通)、九州内の急行が大幅削減された昭和55年10月には、編成増強の上一部は吉松延長、同時に門司港ー博多間廃止、昭和59年に博多―熊本間は快速となる。

昭和61年には吉松編成を廃止、博多―湯前間(博多―熊本間快速、熊本―人吉間急行、人吉―湯前間普通)でJRへ移行する。

編成も昭和40~50年代は6~8両で活況を呈したが、JR化寸前に4連に減車されている。

湯前線転換直前の平成元年3月改正では両端の料金不要区間が廃止され、熊本~人吉間になり、現在の運転区間となる。同時に4連で運行される1往復を除き2連となる。その後平成2年には28-58から、65-58の強力編成となり、平成5年から平成12年までは一部が「アクアエクスプレス」で運行される。

そして平成12年3月11日から、16年3月12日までは58・65の2連、1日6往復の陣容で特急格上げを迎えることとなる。




本日運行のリバイバル「くまがわ」、筑豊本線筑前内野―筑前山家間、山家小学校北側「寶満宮」入口の跨線橋から撮影。当日は夏祭りの準備で、地元の方が準備をされていたがフレンドリーに接して頂き混乱もなく撮影できた。ここには15人ほどが終結したがとにかく暑かった。


2005年11月13日に運行された臨時快速「なつかしの急行くまがわ」。これは団体列車ではなく一般列車であった。
この時はキハ28-58の編成で、このヘッドマークは分割民営化前後から平成5年頃まで使用されていた模様である。


現在の「特急くまがわ」。熊本―人吉間のみに運行される列車が「くまがわ」、豊肥本線に直通する列車は「九州横断特急」となる。「九州横断特急」のサブとでもいうべき存在であり、車体ロゴやヘッドマークはくまがわ運用時においても「九州横断特急」となる。
特急では初となるワンマン運転を行っているが、車内の接客業務は客室乗務員が行うので実際は2名の社員が乗務する。

http://tokyo.cool.ne.jp/beppu/k/kumagawa5.html
http://tokyo.cool.ne.jp/beppu/k/kumagawa8.html
参考サイト