なんとかなるもんだよZUYAさん! ( Hey, ZUYA. You Can Do It! ) 

『なんてこったいZUYAさん!!』をVersion Up.“崖っぷちブルーズマン”ZUYA(ずうや)の悲喜交々を綴る。

そろそろ...

2011年02月14日 | Music & Life 

2月14日。そうバレンタイン・デーある


若い頃はこの日には男の子らしく期待をしたものである(笑)。ZUYAは双子なので家にて玄関のベルが鳴りドアを開け度に 『 あんたじゃないわよ! 』 と言われた日々、実にブルージーである(笑)。“そう双子の兄貴の方がモテたのだ。“同じ顔やんけ...”とショボンとしていた記憶が今も鮮明である。しかし中には物好き(幸運の天使?)がいて小学校3年生から中学2年までZUYAにせっせとチョコレートをくれた女の子がいた。彼女はいったい今は何処で何をしているのだろうか(・_・? 


なぜだが知らないがその子に貰えなくなってからバレンタイン・デーに興味を示さなくなった。と言うチョコレートさえあまり好まなくなってしまった(笑)。それから次に貰ったのはいつだ...思いだせない。いや待てよ、確か地元にあった松田書店のおばちゃんに高校生の時も毎年貰っていたような(笑)。

後は東京に来てからか。先日も届いた京都・福知山の“肝っ玉おばちゃん”だろ...、あれ!?“マダム”ばっかりやんけ~!! 我ながらさすが“マダム・キラー”と呼ばれただけある。驚くべき事実だ

いや、でも...東京に来てからは若い娘にも貰ったのと思うのだが一向に思い出せい。まぁいいや。たいしたことじゃない


昨夜セッションからワンカップ片手に帰ってきて玄関に入ると何やら甘い匂いが~ なんとまぁ嫁がバレンタインのためにケーキを一生懸命作っているではないか! もう“涙モノ”である。

ZUYAさんよ~、“崖っぷちブルースマン”も良いがそろそろ動いた方が良いんでねぇの?


う、美味そう...。今は冷蔵庫の中に。早く食べたい... 



    


今日は久々にSavoy brown(サヴォイ・ブラウン)をCDプレイヤーに 

サヴォイ・ブラウンは60年代後半から70年代にかけてフリートウッド・マック、チキン・シャックと共にイギリスで“3大(ホワイト・)ブルース・バンド”と呼ばれた。まぁ現実的にはリーダーのキム・シモンズ以外は異常なまでに(笑)流動的なのだが、ZUYAはフェイセズにも似た香りのする第7作目のアルバム、 『 Street Corner Talking 』 がフェイバリットである。この頃いたヴォーカルのDave Walkerはロッドとは違い、なかなか“骨太ボイス”で以後第9作目の 『 Lion's Share 』 まで在籍する。

世の中にはサヴォイ・ブラウンやフリートウッド・マック、フリー等の良さがわからない連中が多いが、クリームやジミ・ヘンドリックスの後、ブルース・ロックが存在したのは彼らの功績があってのこと。それがわからないんならロックなんか聴かない方がが良いと言える程の存在のである


Street Corner Talking/Hell Bound Train
クリエーター情報なし
Beat Goes On

I've Got The Feeling!! ( ん~、気持ちぃ~!! ) 

2011年02月14日 | Music & Life 


3年振りくらいにこの店に来たなぁ


今夜はMr.Oh YEAHなるブルースマンのセッション


今年3度目になるジャム・セッションへ参加。昨夜その場所に選んだのは池袋にあるアイリッシュ系のパブ、 『 Black Sheep 』 。店内に足を踏み入れるのは初めてではなく、ちゃんとした美味いギネスが飲めるので個人的に何度か訪れたこともあるしアメリカ人のChrisに出逢ったのもここだった。


昔話になるが...カナダにいた頃は週に2回、3回必ずどこかでジャム・セッションがあり、それに毎晩必ずどこかでダチがレギュラーで演奏していたから飛込みでこれまた週に数回演奏した。その上雇われるとって感じで、もうほとんど毎晩“演奏&アルコール”だった。そりゃ太るよなぁ(笑)

確か当時$400ぐらいでアパートを借りて、$600は飲んでいたと思うよ(笑)その当時は$1(カナダドルね)が80円ぐらいだったんじゃないだろうか。その頃に知り合った連中は未だにマブダチでその後ZUYAがカナダに帰るときには必ず 『 Welcome back Yasu Party 』 なるギグがブルースクラブで行なわれる。詳細は“法”に触れそうなので書けないが... 

話はずれたが向こうのセッションもプロばかり集まる時もあればアマチュアばかりの時もあり色々時と場所により内容も違った。けど芯にある“何か”は同じで楽しいものであったのだが日本に帰ってきてバンドやそのメンバーを探そうと色々セッションなるものに参加したが、“何か”が違うのだ...

そのうちセッションにはあまり行かなくなった。年に1回JIROKICHIに行くかどうかだったかな。ところが今年は昨夜で3回目のセッション参戦となったのだが、日本に帰ってきて初めて“何か”を感じた

この“何か”を日本語で(言葉で)表すのは難しいのだが、タイトルにあるように“I've got the feeling!"としか言いようがない。そんな夜だったわけです昨夜は


こんな曖昧ではこのブログの読者には伝わりにくいだろうが、要はジャムだろうとセッションだろうとお客がいる以上“サウンドを作らないといけない”のだ。もちろんカナダだろうと日本だろうと自己満足に走り選曲やら“音色”やら 『 何やってんだ? 』 と思わせるプレイヤーもいる。しかし良い意味でお客を意識しているかどうかという点に関しては日本の方が低いと感じる。自分の高級ギターを自慢するだけとかブルースに不釣合いな(?)エフェクト、アーミング等などZUYAはもううんざりで...


しかし昨夜は違った。これはホストであるMr.OH YEAH氏の“持っているモノ”によるのではと。彼は本場シカゴでも揉まれた経験があるがシカゴに行ったからと言って偉いわけでもなんでもないわけである。やはり場所は何処であろうと“何を掴んできたか”であると思う。だからよくZUYAがカナダでブルースやっていましたと言うと 『 何でカナダなの? ブルースはアメリカでしょ? 』 とか言う話にならない質問が来るが、結局そういうことなのだと思う。

これは音楽に限らず何処の場所に言ったかと言うのはただ単なる“事実・経験”であり、“何を悟ったか”、“何を感じた”かが最も大切なことではないかと思う今日この頃のZUYAであります


※些細な喜びだがMr.Oh YEAH氏の“ZUYA”の呼び方は完璧だった(笑)



実にコンパクトなブルース向きなステージ