京都の庶民的な食べ物と言えば湯豆腐なのだろうか、お昼は祇園かがり火の一軒の湯豆腐屋さんに案内された。
団体さん専用の部屋だった関係で、風情を感じることができなかったのである。また、自宅で作るものと大差ない味だったように思えた。
しかし、周りの雰囲気は大変結構だった。知恩院の前からテクテク歩くその町並みはやはり京都そのものだった。
湯豆腐(ゆどうふ)は、水のよい京都の冬の代表的な鍋料理のひとつとされている。従って、冬の季語である。
湯豆腐やいのちの果てのうすあかり 久保田万太郎
この句は、あまりにも有名な句である、たいていの歳時記の例句として引用されている。
湯豆腐やはぐらかされて話しやみ 西村和子
湯豆腐や幸せに居て気付かざる 関森勝夫
こんな句にも思い当たることがある。