12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
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ナツメロ名曲「クッセラ、クムスナ(がんばれクムスナ)」と影島大橋

2012年05月03日 00時05分57秒 | 

 ナツメロ名曲「クッセラ、クムスナ(がんばれクムスナ)」を年配の男性歌手がYouTubeで歌っているものを見つけた。

(旧)影島大橋とはハネ上げ式の橋だと聞いていた。その面影を上のYoutubeで舞台の背景に見出すことが出来きた。ようやくその橋がどんなものだったのか判ったのである。  

 

 

地下鉄の「南浦」駅6番出口を出ると駅の南南東100m地点に出る。そこには「乾魚物都売市場(コンオムトメシジャン)」という干し魚な煮干しの卸売市場がある。この一角だけは70年以上前の日本建築商店街がそのまま残っている。

更に、150m程南南東に進むと影島大橋にたどり着く。
 

朝鮮戦争時の避難生活を描いたナツメロ名曲「クッセラ、クムスナ(がんばれクムスナ?)」にこの橋のことが出てくる。

北の興南港から戦火に追われ避難してきた人たちの哀歓を歌ったもので、影島大橋が避難生活のシンボルとして登場する。

 

混乱の中の避難民たちが、この橋のたもとを「尋ね人との間の再会場所」にしていたという。日本の敗戦直後のドラマ「君の名は」に登場する数寄屋橋に似ている。

 

 Googleの地図で何処にあるかご確認願いたい。

影島大橋=>영도 대교(ヨンド テキョ)は、赤色の囲いの中の橋である。「影島大橋」の右側にあるが、「釜山大橋」である。

・・・上のgoogle earthの写真では二本に見えるが、地図上では一本である。新しい橋が地図に残り、写真では右側の茶色の橋が建設工事中の新しい橋である。)

 

 この橋に関する情報は、「2003/01/17 <随筆>◇釜山はやはり面白い◇ 産経新聞 黒田 勝弘ソウル支局長」から引用した。

 

 ・・・ 釜山港には対岸の影島につながる橋が2つある。先年、新しい「釜山大橋」ができたため、昨年あたり古くからの「影島大橋」を撤去する話があった。

 影島大橋は日本統治時代にできたもので、70年近くになる。影島との間の海峡を船が通るため、東京の勝鬨橋のように真ん中で開閉する跳ね橋になっていて、長く釜山名物として知られた。いわば釜山のシンボルのようなものだった。

 

 撤去話が持ち上がった際、市民の間で歴史的建造物として保存論がおき、論争となった。そこでぼくも当時、釜山の新聞のコラムに関連の記事を書いたことがある。

 

 影島大橋には朝鮮戦争の際の避難生活にまつわるエピソードもあって、混乱の中の避難民たちがこの橋のたもとを尋ね人との間の再会場所にしていたという。

 

日本の敗戦直後のドラマ「君の名は」に登場する数寄屋橋に似ている。

 そこで影島大橋を撤去するのなら、その橋のたもとにぜひ記念碑を立て、韓国近代史、現代史の史跡として記憶に残してほしい、そうすれば観光資源にもなる、と。

 

そこで記念碑には、この歌の歌詞などもぜひ刻んで記憶に残してほしいものだ、というわけだ。・・・以下略

 

http://www.toyo-keizai.co.jp/news/essay/2003/post_2401.php