12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

実験・実習材料でもいいかな

2012年05月16日 05時57分38秒 | 健康

(本日2件目の投稿である)

2ヶ月ぶりの大学病院詣をした。既に眼科の方は市内の病院へ転院となり大学病院を卒業したので、5月は新年度初めての神経内科の検査と診察のみだった。 

新年度で交代した若い担当医に加えて、ピカピカの研修医も同席するという、小生も初めて経験する診察風景となった。

 

眼球の動きが著しく悪化したのに加えまぶたが下がるという重症筋無力症の典型的症状であるが、数年来様々な検査を行なっても重症筋無力症を確定できる検査結果は一向に出てこないのである。 

どの検査法でも50%くらいから70%程度の精度しかない検査法ばかりであるため、しつこく何度も繰り返し検査をする以外にないのであろう。

 

又重症筋無力症以外で類似の症状が起きる「全く治療法のないミトコンドリア・・・?の異常という病気」なども医師は疑っており、入院して筋肉の一部を切り取って行う検査も提案されている。

入院までしてこの検査を実施し仮にミトコンドリア?の病気だと判明しても全く治療法がないというのでは、わざわざ痛い思いをし、しかもお金や時間をかけるということに、小生としては全くメリットが感じられず、検査に踏み切る元気が出てこないのである。

 

下がったまぶたも少し上げると見えやすくなりそうな気がしているので、折を見て形成外科に紹介状を書いてもらおうと思っているが、現時点ではこれも踏み切れる気持ちになりきれていない。 

しばらくは、神経内科の実験・実習材料を続けるしかなさしそうである。

 

 


俳句から撤退

2012年05月16日 00時45分10秒 | 俳句

最近、「断捨離」という言葉を知った関係で、ぼちぼち身辺整理の真似事も始めている。

断捨離とはそもそも“モノ”への執着を捨てるというヨガの思想に基づき作られた言葉。

その思想の中の「断行」「捨行」「離行」という教えの接頭字をとっている、その意味は;

「断行」とは、入ってくる不要なモノを断つ。

「捨行」とは、すでにある要らないモノを捨てる。

「離行」とは、そもそもモノへの執着から離れる。 

この考えより、「掃除」や「片付け」を再定義し、掃除はもちろん、そうでない精神的な部分もより良い方向へと導くメソッドとして断捨離が紹介されている。

 

本当に必要なものなのかという事を考え、不要なものは容赦なく捨てていくという能力を養うという点においては、掃除だけでなく一般的な生き方にも繋がりそうである。

 

ここ半年くらいは、俳句を詠むことが億劫で苦痛になり、句会へは欠席しがちで、たまさかおざなりの出席をするという低迷状態になっていた。

 

年齢と共に、思考・嗜好・意欲・気力などに変化や衰えが生じるのは止む負えない現象である。

この際思い切って、自分が楽しめるかどうかという点に観点を置いて、評価をして見ることにした。

俳句を詠むということに意欲が湧かず苦痛を感じているという現象が明らかになったので、この際思い切って撤退第一号に選んだ。(新聞などの投稿句を楽しむのは引き続き継続する。)

 

ちょっぴりの寂しさがあるのだが、これも歳をとったのだと割りきっておくことにした。これから段々に撤退が増えて来るのだろうが。それも運命と諦めることにしよう。

 

追記;

多くの知人友人達が、時間が足らないという。
人それぞれに「したいこと」が有り「そのための時間」が必要であるが、以外に時間が不足するのである。 

人様のことは解らないので自分の場合で考えてみた。

小生は主夫である。このため家事労働の時間が結構ある。朝(3時間)・昼(1時間)・晩(4時間)の総家事労働時間は作業能力・スピードが遅いこともあり8時間となっている。

残りの8時間が自由時間であるが、3時間の休憩を入れると正味が5時間くらいになる。

この5時間の内、韓国語の勉強に3時間強を費やすと他のことに避ける時間がほとんどないに等しいのである。

 

何か別の行事でも有ると、韓国語の勉強をやめて時間を作る関係で、しばしば勉強が遅れている。