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古寺巡礼ウォーク(2-2)鎌倉五山-浄妙寺・建長寺

2009-02-09 22:46:22 | 古寺巡礼
古寺巡礼(第2回-2)鎌倉五山-⑥浄妙寺⑦建長寺古寺巡礼・鎌倉五山巡りの後半コースへ

五山の第五位は、浄妙寺。ここに行く途中にある宝戒寺へ寄ってみた
ここは鎌倉で最大級の枝垂れ梅が有名と聞いていたので訪れて納得。


こんもりと小山を連想させるような見事な白梅、ここまで歩いてきてまだ冬枯れの鎌倉を彩っているのが梅であると感じていたが、宝戒寺の梅はお見事すぎる、人も多かった。




萩寺といわれるらしいので萩もきれいなんだろう。北条一族の鎮魂の目的で1335年(建武2年)に足利尊氏が建立されている。

ここから浄妙寺へは距離がありバスも考えたが、やっぱり巡礼は歩くこと、まがりくねった金沢街道の狭い歩道をどんどんすすむ。浄妙寺のバス停から左へ入って行くと山間に佇むように鎌倉五山五位の浄妙寺についた。


他の五山が北条氏と関係が深い中で、浄妙寺だけは足利氏と関係のある寺で1188年(文治4年)足利義兼が建てた真言宗が前身、その後に臨済宗に改宗、足利氏の保護のもとに発展したという。
この寺も重なる火災で衰退、いまの銅葺きの屋根の本堂が往時をしのばせている、参道の梅と白砂と本堂が背景の山に静かにおさまっていてとても雰囲気のあるお寺だった。




すぐ近くにある報国寺へ寄りたかったが時間がなくてパス、残念。
次は、鶴岡八幡宮から建長寺へ、その途中、寄りたかった鎌倉宮もパス、源頼朝の墓所へは寄ってみた。


鶴岡八幡宮も大勢の人が訪れていた、ここも二度め、SNSのおせつさんが紹介していた国宝のいちょうも、いまは冬の装い、舞殿で結婚式に遭遇、野次馬になってしばし見物させてもらった。




15時50分、八幡宮から建長寺へ
息子が幼稚園の頃から、京都・奈良の史跡を一緒に歩いたころのことをなつかしく思い出しながら今日最後の親子ウォーキング、建長寺を目指して鎌倉街道の狭い道を後ろ前に並んで歩く、あの頃は、朱印帳を持ち歩いていたのが息子、いまはその息子に連れられてご朱印を楽しみに集めるおやじ。二度めの建長寺の門前へ、なつかしい。


総門を入ると三門がそびえ立つ、そこから仏殿、法堂と建物が縦一列に並ぶ様は、鎌倉五山第一位の寺格を示している、臨済宗建長寺派の大本山だ。
鎌倉幕府五代執権北条時頼が1253年(建長5年)に建立したわが国最初の禅寺で本格的な禅の修行の場として発展した。中国の建物を模した禅宗様式は、のちにわが国の禅宗寺院建築に大きな影響を与えているそうだ。





鎌倉幕府が滅んだ後も、足利幕府によって保護され、現在も各地に400寺以上の末寺をもっている。

ラッキーだったのは法堂が特別公開中で普段見ることができない髭面のお釈迦様の像を見ることができた。法堂の天井には、小泉画伯の雲龍図が描かれている。


北鎌倉から新横浜へ、息子が心配したのか新幹線の入口までついてきた、午後8時半に自宅へ戻ることができた。
前日が、東海道53次丸子宿から府中宿まで歩き、今日は鎌倉五山巡り、天気にも恵まれ楽しい思い出に残る二日間を過ごすことができた。

同じ仏教を土台に栄えてきた京都・奈良とはまるで違う雰囲気が漂う鎌倉への関心はますます高まるばかり、機会をつくってまた訪れたい。

最後に「五山」について

「五山」とはインドの五精舎にならって中国で始められた制度で禅宗の保護と統制を目的に、格式の高い5つの寺と定めたもの。禅宗が入ってくるまでのお寺、たとえば東大寺、興福寺、延暦寺などの有名寺院は五山に含まれていない。

源氏の後を継いだ北条氏が京都の貴族文化と違った新しい仏教や文化を育てようと禅宗の育成に力を入れたことから鎌倉で五山制度が定められたらしい。室町時代になると京都五山が定められた。

ブログの記載内容は正確さを欠くところがあるかもしれません。鎌倉や仏教に詳しい方、間違いがあればご指摘いただけるとありがたいです。

古寺巡礼ウォーク(2-1)鎌倉五山-円覚寺・浄智寺・寿福寺

2009-02-09 19:36:04 | 古寺巡礼
急用で土曜日の午後に上京(静岡に途中下車、東海道五十三次の一宿場間ウォーク)東京で一泊して日曜日、古寺巡礼ウォークに息子と鎌倉五山を訪ねた。

本来は、京都五山を予定にしていたのだが、先に鎌倉へ、しかも息子と一緒に一日を過ごせるというめったにないチャンスとあって朝からまるで遠足気分、ホテルに迎えに来てくれる息子を待ちきれなくてロビーでうろうろ。

10時半、スタートの北鎌倉駅を下車、駅のすぐそばにある鎌倉五山の円覚寺へ
駅から円覚寺への道は大変な人、やっと憧れの円覚寺を訪れた嬉しさと息子と一緒で付いて歩けばいいという気楽さでるんるん、きのうの東海道ウォークと夜の痛飲とでいささか疲れ気味だった気分もふっとんでしまった。

円覚寺は鎌倉五山第二位の格式をもつ寺で、鎌倉幕府八代執権・北条時宗が1282(弘安5年)に創建した臨済宗・円覚寺派総本山。
文永・弘安の役で蒙古の大軍を撃破した時宗が、両軍戦死者の菩提を弔い、己の精神的支柱となった禅宗を広めたいと願い、中国から招いた無学祖元(仏光国師)を師として日夜参禅に励んだ、その師への報恩の念から無学祖元を開祖に円覚寺を建立したと伝えられている。


階段を上るといきなり目の前にそびえたつ山門に圧倒される、創建当時の建物はたび重なる火災で焼失、再建されているが、寺の奥にある舎利殿は、室町初期の建築で禅宗を代表する建物だそうだ。土曜参禅会の案内が掲示されているのを見て、近くにおれば・・・と残念に思った。




受付で売られていた色紙


ご朱印をいただいて次の浄智寺へ向かう、今日の五山巡り順序は、②円覚寺→④浄智寺→③寿福寺→⑤浄妙寺→(鶴岡八幡宮)→①建長寺の順路、JR北鎌倉駅スタート、ゴールですすむ建長寺を最後にしたのは、数年前に訪れているので時間がなくなればパスすることにした。

円覚寺から鎌倉海道を大勢の人の流れに続いて歩く、途中にある東慶寺へ寄った
東慶寺は、北条時宗夫人覚山尼が開山、明治に至るまで男子禁制の尼寺で、駆入寺または縁切として多くの女人を救済したとか。
咲き始めた梅が狭い参道を華やかにし、西田幾太郎、和辻哲郎、鈴木大拙、小林秀雄、佐佐木信綱・・・等、多くの文人の歌碑が立つ境内は女性の参拝人が目立って多かった。

ロウバイ、白梅、花の寺のよう・・・


東慶寺から次の浄智寺は近く街道からやや奥に入り込むと木々の間に唐風の建物が見えてくる浄智寺は鎌倉五山の第四位、開基は北条時宗の弟・宗政の夫人とその子師時でも宗政の菩提のために1281年(弘安4年)建立されたという。入口には、鎌倉十井のひとつ、甘露の井がある。
この寺の特徴は、唐門風の鐘楼門が印象的で規模は小さいが円覚寺や東慶寺のような人出もなく、静かでのんびりと散策するのにはとてもいい。受付のご婦人が話しかけてくれるほど訪れる人は少なかった。


本尊三世仏、阿弥陀・釈迦・弥勒が安置されている



次の鎌倉五山第三位の寿福寺をめざす、このコースは小さな峠越えがあり、うっかりハイカーにつられて木の根っ子の続くハイキングコースに踏み込んで引き返す羽目になったが、別れ道に標識もなく道も整備されていなかったので五山巡りの順路
ではなかったのかもしれない。春のような陽気に峠歩きで暑い、JRの路線わきに戻り鎌倉駅方向にすすむと寿福寺に着く。
ここは人通りの多い道路脇にあるので便利でわかりやすい寺だが、街道は人の列が続いているのに寿福寺を訪れる人は少なく、みかけたのは女性グループの四人だけ。正門から続く長い参道には誰もいなくて騒々しい通りから一歩入っただけなのに驚くほどの静けさだった。寿福寺は、源頼朝の夫人政子が、夫の源頼朝を供養するために1200年(正治2年)に建立されたが、大火でほとんどが焼失、北条政子と源頼朝の供養塔が立つ、拝観はできない。受付場所もなくご朱印はインターホンでお願いした。



JRの踏切を渡り鶴岡八幡宮前の賑やかな通りを人ごみに紛れるようにぶらぶら、そばやさんに入って昼食、休憩。時間はすでに午後1時半。
後半は、→(鶴岡八幡宮)→①建長寺の順路でJR北鎌倉駅へ。

(2-2)へ続く