お世話をしているウォーキング倶楽部の二月例会は快晴に恵まれて
熊野古道・紀伊路の出発地点である大阪天満橋・八軒家浜跡から住
吉大社まで、メンバー8名が参加、大阪市の旧街道跡を訪ね歩いた。
今回の案内人は、現在、熊野古道を歩いている倶楽部リーダーのT
さん、道中の学習のために地図付きの詳細な資料を作成してくれて
用意万端。
ポイントでは、資料を読み合わせ解説をしながらすすめていくのが
倶楽部のスタイル。誰が見ていようとおかまいなし、分担して大き
な声で読み上げる・・歴史上の言葉は読み方が難しいので四苦八苦。
自分が熊野本宮大社を目指して熊野古道を歩き始めたのが平成17
年10月9日、1年かけて紀伊路から中辺路を歩いて熊野本宮大社
まで辿りついたのが18年9月27日だった。
そのスタート地点に再び戻ってきて、なつかしくて、わくわく胸が
高まる思いがした。
スタート地点は八軒家浜船着場跡の昨年、整備された大川のほとり
にある記念碑の前、ここは熊野古道に向かう人々が、京都の下鳥羽
から舟に乗って淀川をくだり、ここに上陸したところ。昔、八軒の
宿があったことから名づけられたらしい。

10時、そこからの紀伊路へ、自分が三年前にスタートした永田昆
布店前にある八軒家浜船着場跡の碑を経由してすすむ、自分が出発
したのはこの場所からだった。

熊野を目指す人(熊野詣)は、その途中で、王子とよばれる祠を巡拝
しながら巡拝しながら長く険しい旅を続けた。この王子が熊野古道
沿いには、「九十九王子」(九十九は実際の数ではなく、数の多い
ことを表したもの)と言われる程たくさんの王子社があり、熊野の
神様の御子神(ミコガミ)が祀られているところで、参詣者の休憩所で
もあったといわれている。
(熊野古道についてのご参考に・下記の自分のHPに接続して下さい)
http://www.human-dy.com/kumano.walk-2.html
その王子社の一番目の坐摩神社(窪津王子跡)を訪ねる、ビルに挟ま
れるようにひっそりとたたずむ坐摩神社(窪津王子跡)から休日の静
かなオフィス街、ここは上町台地と言われる市内ではやや高台にな
っているところ、途中、秀吉にかかわる歴史的遺跡もたどりながら
二番目の坂口王子跡へ。大阪府内は熊野街道の表示で統一してある。

榎木大明神を越え谷町筋、空堀堀、上汐通りを右へ、左へ移動しな
がら南へ向かう。ここは複雑な道が続いて自分が歩いた時も、迷い
に迷って時間を消費したところで格別な思いのあるコース。
現在も跡地が確定していない群戸王子跡や場所が離れている上野王
子跡はパスして四天王寺へ。
四天王寺は、大阪の人にはおなじみのところ。593年に聖徳太子
が創建した最古の官寺で、南大門前には、熊野権現礼拝石がある。

四天王寺の休憩食堂で弁当を食べながら、各自の今年のウォーキン
グ目標の進捗状況、とくに健康管理の数値改善目標の推移について
報告、アドバイスに盛り上がって思わぬ時間を使う。
現在メタボ解消のためにとくに「育成強化指定メンバー」になって
いる二人のうち、Y君に対するつっこみは激しい。
メンバーからしっかり者の女性メンバーHさんをY君付きのトレーナ
ーに指名、食事も含めて日々のチェックをしてもらうことにする。
年末に本人が目標として宣言した数値をクリアーできない場合は、
退会をしてもらうことにしている。
トレーナーも責任をとってもらうことにした。
ただ、偉そうなことは言えない、自分も高血圧とやや気になる体
内脂肪を目標数値まで下げなければ、自分で自分を退会させねば
ならなくなる。こっちの方が大事だ。
少々、過激かもしれないが、これも健康ウォーキングを目的として
いる倶楽部である以上、やつてみよぅじゃないか!
南大門を後にして、浄瑠璃の中興の祖、竹下義太夫の墓のある聖徳
太子草創の超願寺へ。
さらにすすんでわが国の更申の始まりという更申堂へ、ここには立
派な三猿(見ざる・聞かざる・言わざる)が三猿堂へ祀られていた。


JR、近鉄をまたいであべの筋の裏道をまわりまわり、松虫通りから
西へ一筋目、静かな住宅街を南下してすすむとやがて安倍晴明神社
の前に行く。
ここは、安倍晴明の生誕の地、境内には、白狐を足元に安部晴明の
像がたっている。狐は古来から霊力をもった動物としてあがめられ
白狐であった晴明の母を持つ晴明は天才陰陽師として知られている。
白狐であった晴明の母とは・・・千年以上昔、狩りに追われた白狐
を助けた安倍保名、やがて白狐は女になって保名のところへ来て結
婚、生まれた子供に安倍童子(晴明の幼名)と名付けた。

境内に占いの建物があり順番を待つ人が見えた。さすが晴明神社だ。
少しすすむと安倍王子神社へ行く、ここは五番目の王子社。大阪府
内で唯一現存している王子社だ。

ちんちん電車の通りから左へ万代池のほとりを歩いて再び路面電車
通りを南下、電車ファンには楽しい通りをすすむとやがて南海電鉄
高野線の踏切を渡る。
ここは、自分が歩いた時、電車の撮影に気をとられてうっかり柵の
上に置いた地図をそのまま忘れてしまい、後程出てくる住吉大社で
気づいたが、もう、戻ってこないだろうとあきらめて、先へも進め
なくなった苦い思い出のところ。
その場面を再現していると、倶楽部の副リーダーで女性のまとめ役
のMさんが20メートルの先まで地図を探してうろうろ、その様が
真剣で彼女の楽しいパフォーマンスにさすが大阪のおばちゃん、い
や、京都出身の歯医者のセンセ、この場は、ランドセルと二人共演
パフォーマンス、なんたって二人は、元吉本新喜劇の木村政雄さん
の塾の卒業生だから・・・。
今日のゴール、住吉大社へ無事にゴール、広い境内をぶらり一周し
て境内の鳥居を通して見えるちんちん電車の写真撮りコンテスト、
まあいろいろと楽しんで駅前のコーヒーハウスでしばし休憩、昼の
続きの健康ウォーキング談義の続編で再び盛り上がった。




次回は、西宮の海辺歩き、甲子園球場がゴールのコース、すでに次
回担当のHさんが待ち構えている、皆の協力があって名ばかりのお世
話役をさせてもらっている、ありがたい。
参加者が少なめだが、なにしろ中心が40代の一番多忙な人たち、自
営組はとくに休日といえどものんびりと休んではおられない。そうい
う人たちにウォーキングの機会を提供したいとつくっている倶楽部だ
が、ここにも世相の厳しさを感ずる。
(熊野古道と世界遺産)
熊野古道は、世界遺産として登録されている「紀伊山地の霊場と参詣
道」を構成する参詣道のひとつ、熊野参詣道の通称。京都、大坂、伊
勢から熊野信仰の中心である熊野三山の「熊野本宮大社」、「熊野速
玉大社」、「熊野那智大社」に詣でるための道で、古くは「くまのみ
ち」、「熊野街道」とも呼ばれ、これらのうち保存状況の良い部分が
「熊野参詣道」として国の史跡に指定されている。
(自分のHPから熊野古道についてご参考になれば)
http://www.human-dy.com/kumano.walk-2.html
熊野古道・紀伊路の出発地点である大阪天満橋・八軒家浜跡から住
吉大社まで、メンバー8名が参加、大阪市の旧街道跡を訪ね歩いた。
今回の案内人は、現在、熊野古道を歩いている倶楽部リーダーのT
さん、道中の学習のために地図付きの詳細な資料を作成してくれて
用意万端。
ポイントでは、資料を読み合わせ解説をしながらすすめていくのが
倶楽部のスタイル。誰が見ていようとおかまいなし、分担して大き
な声で読み上げる・・歴史上の言葉は読み方が難しいので四苦八苦。
自分が熊野本宮大社を目指して熊野古道を歩き始めたのが平成17
年10月9日、1年かけて紀伊路から中辺路を歩いて熊野本宮大社
まで辿りついたのが18年9月27日だった。
そのスタート地点に再び戻ってきて、なつかしくて、わくわく胸が
高まる思いがした。
スタート地点は八軒家浜船着場跡の昨年、整備された大川のほとり
にある記念碑の前、ここは熊野古道に向かう人々が、京都の下鳥羽
から舟に乗って淀川をくだり、ここに上陸したところ。昔、八軒の
宿があったことから名づけられたらしい。

10時、そこからの紀伊路へ、自分が三年前にスタートした永田昆
布店前にある八軒家浜船着場跡の碑を経由してすすむ、自分が出発
したのはこの場所からだった。

熊野を目指す人(熊野詣)は、その途中で、王子とよばれる祠を巡拝
しながら巡拝しながら長く険しい旅を続けた。この王子が熊野古道
沿いには、「九十九王子」(九十九は実際の数ではなく、数の多い
ことを表したもの)と言われる程たくさんの王子社があり、熊野の
神様の御子神(ミコガミ)が祀られているところで、参詣者の休憩所で
もあったといわれている。
(熊野古道についてのご参考に・下記の自分のHPに接続して下さい)
http://www.human-dy.com/kumano.walk-2.html
その王子社の一番目の坐摩神社(窪津王子跡)を訪ねる、ビルに挟ま
れるようにひっそりとたたずむ坐摩神社(窪津王子跡)から休日の静
かなオフィス街、ここは上町台地と言われる市内ではやや高台にな
っているところ、途中、秀吉にかかわる歴史的遺跡もたどりながら
二番目の坂口王子跡へ。大阪府内は熊野街道の表示で統一してある。

榎木大明神を越え谷町筋、空堀堀、上汐通りを右へ、左へ移動しな
がら南へ向かう。ここは複雑な道が続いて自分が歩いた時も、迷い
に迷って時間を消費したところで格別な思いのあるコース。
現在も跡地が確定していない群戸王子跡や場所が離れている上野王
子跡はパスして四天王寺へ。
四天王寺は、大阪の人にはおなじみのところ。593年に聖徳太子
が創建した最古の官寺で、南大門前には、熊野権現礼拝石がある。

四天王寺の休憩食堂で弁当を食べながら、各自の今年のウォーキン
グ目標の進捗状況、とくに健康管理の数値改善目標の推移について
報告、アドバイスに盛り上がって思わぬ時間を使う。
現在メタボ解消のためにとくに「育成強化指定メンバー」になって
いる二人のうち、Y君に対するつっこみは激しい。
メンバーからしっかり者の女性メンバーHさんをY君付きのトレーナ
ーに指名、食事も含めて日々のチェックをしてもらうことにする。
年末に本人が目標として宣言した数値をクリアーできない場合は、
退会をしてもらうことにしている。
トレーナーも責任をとってもらうことにした。
ただ、偉そうなことは言えない、自分も高血圧とやや気になる体
内脂肪を目標数値まで下げなければ、自分で自分を退会させねば
ならなくなる。こっちの方が大事だ。
少々、過激かもしれないが、これも健康ウォーキングを目的として
いる倶楽部である以上、やつてみよぅじゃないか!
南大門を後にして、浄瑠璃の中興の祖、竹下義太夫の墓のある聖徳
太子草創の超願寺へ。
さらにすすんでわが国の更申の始まりという更申堂へ、ここには立
派な三猿(見ざる・聞かざる・言わざる)が三猿堂へ祀られていた。


JR、近鉄をまたいであべの筋の裏道をまわりまわり、松虫通りから
西へ一筋目、静かな住宅街を南下してすすむとやがて安倍晴明神社
の前に行く。
ここは、安倍晴明の生誕の地、境内には、白狐を足元に安部晴明の
像がたっている。狐は古来から霊力をもった動物としてあがめられ
白狐であった晴明の母を持つ晴明は天才陰陽師として知られている。
白狐であった晴明の母とは・・・千年以上昔、狩りに追われた白狐
を助けた安倍保名、やがて白狐は女になって保名のところへ来て結
婚、生まれた子供に安倍童子(晴明の幼名)と名付けた。

境内に占いの建物があり順番を待つ人が見えた。さすが晴明神社だ。
少しすすむと安倍王子神社へ行く、ここは五番目の王子社。大阪府
内で唯一現存している王子社だ。

ちんちん電車の通りから左へ万代池のほとりを歩いて再び路面電車
通りを南下、電車ファンには楽しい通りをすすむとやがて南海電鉄
高野線の踏切を渡る。
ここは、自分が歩いた時、電車の撮影に気をとられてうっかり柵の
上に置いた地図をそのまま忘れてしまい、後程出てくる住吉大社で
気づいたが、もう、戻ってこないだろうとあきらめて、先へも進め
なくなった苦い思い出のところ。
その場面を再現していると、倶楽部の副リーダーで女性のまとめ役
のMさんが20メートルの先まで地図を探してうろうろ、その様が
真剣で彼女の楽しいパフォーマンスにさすが大阪のおばちゃん、い
や、京都出身の歯医者のセンセ、この場は、ランドセルと二人共演
パフォーマンス、なんたって二人は、元吉本新喜劇の木村政雄さん
の塾の卒業生だから・・・。
今日のゴール、住吉大社へ無事にゴール、広い境内をぶらり一周し
て境内の鳥居を通して見えるちんちん電車の写真撮りコンテスト、
まあいろいろと楽しんで駅前のコーヒーハウスでしばし休憩、昼の
続きの健康ウォーキング談義の続編で再び盛り上がった。




次回は、西宮の海辺歩き、甲子園球場がゴールのコース、すでに次
回担当のHさんが待ち構えている、皆の協力があって名ばかりのお世
話役をさせてもらっている、ありがたい。
参加者が少なめだが、なにしろ中心が40代の一番多忙な人たち、自
営組はとくに休日といえどものんびりと休んではおられない。そうい
う人たちにウォーキングの機会を提供したいとつくっている倶楽部だ
が、ここにも世相の厳しさを感ずる。
(熊野古道と世界遺産)
熊野古道は、世界遺産として登録されている「紀伊山地の霊場と参詣
道」を構成する参詣道のひとつ、熊野参詣道の通称。京都、大坂、伊
勢から熊野信仰の中心である熊野三山の「熊野本宮大社」、「熊野速
玉大社」、「熊野那智大社」に詣でるための道で、古くは「くまのみ
ち」、「熊野街道」とも呼ばれ、これらのうち保存状況の良い部分が
「熊野参詣道」として国の史跡に指定されている。
(自分のHPから熊野古道についてご参考になれば)
http://www.human-dy.com/kumano.walk-2.html