7日の土曜日、急用で上京することになった、東京での約束
時間が16時なので、それに間に合うように静岡で途中下車、
前回の丸子宿から府中宿まで歩くことにした。
早朝の新幹線で新大阪をたち、名古屋でのぞみからひかりに
乗り換え静岡駅へ、バスの待ち時間が長くて丸子宿の西の入
り口、前回ゴールの丸子橋へタクシーで移動。
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途中、安倍川にかかる安倍川橋で運転手さんが背中に富士山
が見えると教えてくれたので振り返る、雪をかぶった富士山
の迫りくるような迫力にびっくり、この安倍川橋を今日渡れ
る、わくわくする。
今日のスタートは、前回ゴールの丸子橋、ここは丸子宿の西
の入口になる。橋の上から前回歩いてきた宇津の谷の峠を振
り返る、あの峠を越えてきたのだ。
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スタートの丸子橋の目の前にあるとろろ汁でおなじみの丁子
屋は梅がちらほら咲いてほのかな香りが春の訪れを告げてい
るようだった。
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丁子屋の梅の木の横にある芭蕉句碑
"梅わかな丸子の宿とろろ汁"
東海道の道中には梅の花が咲き、宿の食膳には若菜が出され、
丸子の宿では名物のとろろ汁を召し上がったりしてよい旅を
してくださいという意。
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あたりを散策していると後ろから30代後半くらいの男性に
声をかけられた、東京からマラソンで五十三次を走って京都
へ向かっているという、すごい、しばし東海道談義をして別
れた。
穏やかな早春の日差しを背に受けて走って行く男性の姿を見
送ってこちらもスタート、午前9時半今日の予定は午後2時
まで、3時前の新幹線には乗りたい。
車の通行量の多い道を日差しに向かって歩く、丸子本陣跡は
道路脇に石碑が立っているだけ、宿場の名残はまったくない。
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埋もれかけた丸子一里塚も気をつけないと見過ごしてしまうよ
うに道路脇にひっそりと立っていた。
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佐渡の交差点で1号線へ合流、両側にお寺の続く道を富士山の
見える安倍川橋を目指して元気よくすすむ、寒さはまったく気
にならなくて手袋も外した。
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安倍川橋が見えてきた、自然と早足になる、富士山が待って
くれている・・・・と信じて。
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緩やかな坂道を上って橋のふもとまで行くと目の前に富士山
が・・
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?あれ
見えない!
富士山がいない!
おかしい?
どこへ行った?!
なんでやねん!!
快晴、真っ青な空
ただ、富士山の方向だけ雲に覆われていた・・・
・・・あ、がっかり!
気を取り直して安倍川にかかる安倍川橋を渡る、これまで渡っ
てきた天竜川や大井川と川幅を比べれば半分にも満たない
安倍川だが、それでも大きな川だ。
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この正面に見えるはず・・・
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渡り終えると安倍川義夫の碑をはさんで名物の安倍川餅の
店が2軒、手前の一軒でおやつに買うことにした、注文し
てつくってくれるので時間がかかる。今でもこの安倍川餅
は名物として人気があるらしい、東海道を行き来していた
昔の旅人は、ここまでくると安倍川餅を食べながら冨士を
眺め一息ついていたのだろうなあ・・・弥治さん、喜多さ
んもきっとそうだろう。
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安倍川義夫の碑には、ほのぼのとした物語があるようで、
旅人の落とした小判の入った財布を拾った川越し人足が、
落した旅人を追いかけて渡し、礼金も固辞、その人足を
正直者として讃えた碑らしい。旅人の故郷だった和歌山
県と静岡県の有志が立てた碑ということだ。
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すぐ近くの弥勒公園に行ってさっそくオヤツに3個食べ
た、おいしい、旅人気分も味わった。
こしあん、つぶあん二個ずつ+きなこに白砂糖をまぶした
餅4個の計8個豪華なおやつ。
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公園内には、由井正雪の大きな碑が立っていた、由井正雪
はこれからすすむ由比の生まれで三代将軍家光没後に反乱
をおこそうとして失敗、自殺した歴史上の人物だ、碑の大
きさから地元では尊ばれているのだろう。
この場所に碑があるのは、当時、この安部川河原に処刑場
があって由井正雪と一族が河原で晒し首になっていたから
だそうだ。
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この弥勒公園あたりが府中宿の西の入り口(出口)だったら
しい。
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公園の入口角に安倍川川会所跡の説明板が立てられている、
川会所とは、当時の安倍川は徒歩渡しがおこなわれていて、
その川越し人足に指示を出したり賃銭の取り扱いをする役人
がいたところ。
安倍川川会所跡から一筋東海道を外れた府中一里塚を尋ね、
訪ねて歩いてやっと発見した。
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古い街並みの新通りをすすみ、右折して人宿通りへ入り、
今度は左折して七間通りに向かう、曲がり曲がりの道は
わかりづらくて、確かめながら歩くので時間がかかる、
七間通りには映画館が続き人通りも多くなる、どうやら
静岡の歓楽街のようだ。
さらに札の辻の石碑を目印にすすむ、小学生高学年くら
いの女の子とお母さんが石碑の文字を声を出して読んで
いるのに遭遇、話しかけると地元にいながらこれまで碑
に気がつかなかったと言っていた。
ここには高札があったところらしい、高札とは、幕府の
法令を掲示するところで町奉行所が設置していた。
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人通りの多い呉服町へすすむ、この通りは東海道の宿場
のモニュメントが立てられていてそれに沿って歩く、江
川町通りに出てさらにすすむ、このあたりが静岡の中心
地らしい、ビルが続く、そのビルの前の一角に西郷・山
岡会見史跡のモニュメントがあったが、これを発見する
のにも道を行ったり来たり、恥ずかしいくらいうろうろ
した。
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西郷・山岡会見史跡について、1868年(慶応4年)幕府を平
定するために駿府まで軍をすすめた西郷隆盛のもとへ勝海舟か
らの手紙を携え山岡鉄舟が乗り込んできた、この会見は松崎屋
弥兵衛宅で行われ、勝・西郷の江戸城無血開城を話し合った、
鉄舟は徳川慶喜の身柄につき西郷に善処を約束させた。
この話し合いによって明治政府が樹立されたというから歴史を
作った場所といってよい。
次の交差点が伝馬町、伝馬通りになる、東海道はこの伝馬通り
を進むが、せっかく静岡に来たのだから家康公に会わずに素通
りはできないと、東海道から離れて駿府城跡へ向かう。
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官庁街の従えるように広がる駿府城跡は広く、いまはお堀の他、
巽櫓が再興され、きれいに整備された公園は静岡の人の憩いの
場になっているのだろうと思った。
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駿府城は今川氏に始まり義元が城下町として整備したが、家康
は竹千代時代に1549年(天文18年)から12年も人質とし
てこの城で過ごした、桶狭間の戦いで今川義元が敗死して解放
され岡崎城へ戻った。
天下統一を果たした後、再びこの城を居城として好きな鷹狩りな
どで過ごしていたが、1616年(元和2年)この城で亡くなった。
早咲きの桜も咲き始めている公園の一角、本丸跡に徳川家康公
の大きな銅像が立っていた、ここまで岡崎城、浜松城、そして
駿府城と家康公ゆかりの城で家康公に会ってきたが、それぞれ
の地で天に向かって立つ姿はいかにも天下人らしく雄々しくて
人々の誇りなのだ
ろう。
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城跡をのんびり歩きまわっておやつ代わりに買った安倍川餅を
全部食べてしまった・・・結局、昼食代わりになってしまった。
お堀周辺の「家康公の散歩道」にある弥次さん喜多さんの像。
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午後2時には静岡駅に戻りたいのでゴールは、静岡駅のひとつ
東にある東静岡駅にすることにして東海道伝馬通りへ戻り先を
急ぐ。
1号線を渡り、JR東海道線をくぐって曲金観音でウォーキング
中の女性グループと出会う、ここは時間が気になるので声をか
けなかった。
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そのまま直進、東海道とは少し離れるが真新しいJR東静岡駅へ
ゴール、約24000歩。
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余裕を持って新幹線に乗って東京での予定も楽しく過ごすこと
ができた。
・・理解不足のため日記の内容や、人名、地名等の固有名詞に
つきまして誤記や不明確な表現があるかもしれません。
失礼があればお許しください。
時間が16時なので、それに間に合うように静岡で途中下車、
前回の丸子宿から府中宿まで歩くことにした。
早朝の新幹線で新大阪をたち、名古屋でのぞみからひかりに
乗り換え静岡駅へ、バスの待ち時間が長くて丸子宿の西の入
り口、前回ゴールの丸子橋へタクシーで移動。
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途中、安倍川にかかる安倍川橋で運転手さんが背中に富士山
が見えると教えてくれたので振り返る、雪をかぶった富士山
の迫りくるような迫力にびっくり、この安倍川橋を今日渡れ
る、わくわくする。
今日のスタートは、前回ゴールの丸子橋、ここは丸子宿の西
の入口になる。橋の上から前回歩いてきた宇津の谷の峠を振
り返る、あの峠を越えてきたのだ。
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スタートの丸子橋の目の前にあるとろろ汁でおなじみの丁子
屋は梅がちらほら咲いてほのかな香りが春の訪れを告げてい
るようだった。
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丁子屋の梅の木の横にある芭蕉句碑
"梅わかな丸子の宿とろろ汁"
東海道の道中には梅の花が咲き、宿の食膳には若菜が出され、
丸子の宿では名物のとろろ汁を召し上がったりしてよい旅を
してくださいという意。
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あたりを散策していると後ろから30代後半くらいの男性に
声をかけられた、東京からマラソンで五十三次を走って京都
へ向かっているという、すごい、しばし東海道談義をして別
れた。
穏やかな早春の日差しを背に受けて走って行く男性の姿を見
送ってこちらもスタート、午前9時半今日の予定は午後2時
まで、3時前の新幹線には乗りたい。
車の通行量の多い道を日差しに向かって歩く、丸子本陣跡は
道路脇に石碑が立っているだけ、宿場の名残はまったくない。
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埋もれかけた丸子一里塚も気をつけないと見過ごしてしまうよ
うに道路脇にひっそりと立っていた。
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佐渡の交差点で1号線へ合流、両側にお寺の続く道を富士山の
見える安倍川橋を目指して元気よくすすむ、寒さはまったく気
にならなくて手袋も外した。
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安倍川橋が見えてきた、自然と早足になる、富士山が待って
くれている・・・・と信じて。
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緩やかな坂道を上って橋のふもとまで行くと目の前に富士山
が・・
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?あれ
見えない!
富士山がいない!
おかしい?
どこへ行った?!
なんでやねん!!
快晴、真っ青な空
ただ、富士山の方向だけ雲に覆われていた・・・
・・・あ、がっかり!
気を取り直して安倍川にかかる安倍川橋を渡る、これまで渡っ
てきた天竜川や大井川と川幅を比べれば半分にも満たない
安倍川だが、それでも大きな川だ。
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この正面に見えるはず・・・
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渡り終えると安倍川義夫の碑をはさんで名物の安倍川餅の
店が2軒、手前の一軒でおやつに買うことにした、注文し
てつくってくれるので時間がかかる。今でもこの安倍川餅
は名物として人気があるらしい、東海道を行き来していた
昔の旅人は、ここまでくると安倍川餅を食べながら冨士を
眺め一息ついていたのだろうなあ・・・弥治さん、喜多さ
んもきっとそうだろう。
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安倍川義夫の碑には、ほのぼのとした物語があるようで、
旅人の落とした小判の入った財布を拾った川越し人足が、
落した旅人を追いかけて渡し、礼金も固辞、その人足を
正直者として讃えた碑らしい。旅人の故郷だった和歌山
県と静岡県の有志が立てた碑ということだ。
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すぐ近くの弥勒公園に行ってさっそくオヤツに3個食べ
た、おいしい、旅人気分も味わった。
こしあん、つぶあん二個ずつ+きなこに白砂糖をまぶした
餅4個の計8個豪華なおやつ。
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公園内には、由井正雪の大きな碑が立っていた、由井正雪
はこれからすすむ由比の生まれで三代将軍家光没後に反乱
をおこそうとして失敗、自殺した歴史上の人物だ、碑の大
きさから地元では尊ばれているのだろう。
この場所に碑があるのは、当時、この安部川河原に処刑場
があって由井正雪と一族が河原で晒し首になっていたから
だそうだ。
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この弥勒公園あたりが府中宿の西の入り口(出口)だったら
しい。
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公園の入口角に安倍川川会所跡の説明板が立てられている、
川会所とは、当時の安倍川は徒歩渡しがおこなわれていて、
その川越し人足に指示を出したり賃銭の取り扱いをする役人
がいたところ。
安倍川川会所跡から一筋東海道を外れた府中一里塚を尋ね、
訪ねて歩いてやっと発見した。
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古い街並みの新通りをすすみ、右折して人宿通りへ入り、
今度は左折して七間通りに向かう、曲がり曲がりの道は
わかりづらくて、確かめながら歩くので時間がかかる、
七間通りには映画館が続き人通りも多くなる、どうやら
静岡の歓楽街のようだ。
さらに札の辻の石碑を目印にすすむ、小学生高学年くら
いの女の子とお母さんが石碑の文字を声を出して読んで
いるのに遭遇、話しかけると地元にいながらこれまで碑
に気がつかなかったと言っていた。
ここには高札があったところらしい、高札とは、幕府の
法令を掲示するところで町奉行所が設置していた。
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人通りの多い呉服町へすすむ、この通りは東海道の宿場
のモニュメントが立てられていてそれに沿って歩く、江
川町通りに出てさらにすすむ、このあたりが静岡の中心
地らしい、ビルが続く、そのビルの前の一角に西郷・山
岡会見史跡のモニュメントがあったが、これを発見する
のにも道を行ったり来たり、恥ずかしいくらいうろうろ
した。
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西郷・山岡会見史跡について、1868年(慶応4年)幕府を平
定するために駿府まで軍をすすめた西郷隆盛のもとへ勝海舟か
らの手紙を携え山岡鉄舟が乗り込んできた、この会見は松崎屋
弥兵衛宅で行われ、勝・西郷の江戸城無血開城を話し合った、
鉄舟は徳川慶喜の身柄につき西郷に善処を約束させた。
この話し合いによって明治政府が樹立されたというから歴史を
作った場所といってよい。
次の交差点が伝馬町、伝馬通りになる、東海道はこの伝馬通り
を進むが、せっかく静岡に来たのだから家康公に会わずに素通
りはできないと、東海道から離れて駿府城跡へ向かう。
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官庁街の従えるように広がる駿府城跡は広く、いまはお堀の他、
巽櫓が再興され、きれいに整備された公園は静岡の人の憩いの
場になっているのだろうと思った。
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駿府城は今川氏に始まり義元が城下町として整備したが、家康
は竹千代時代に1549年(天文18年)から12年も人質とし
てこの城で過ごした、桶狭間の戦いで今川義元が敗死して解放
され岡崎城へ戻った。
天下統一を果たした後、再びこの城を居城として好きな鷹狩りな
どで過ごしていたが、1616年(元和2年)この城で亡くなった。
早咲きの桜も咲き始めている公園の一角、本丸跡に徳川家康公
の大きな銅像が立っていた、ここまで岡崎城、浜松城、そして
駿府城と家康公ゆかりの城で家康公に会ってきたが、それぞれ
の地で天に向かって立つ姿はいかにも天下人らしく雄々しくて
人々の誇りなのだ
ろう。
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城跡をのんびり歩きまわっておやつ代わりに買った安倍川餅を
全部食べてしまった・・・結局、昼食代わりになってしまった。
お堀周辺の「家康公の散歩道」にある弥次さん喜多さんの像。
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午後2時には静岡駅に戻りたいのでゴールは、静岡駅のひとつ
東にある東静岡駅にすることにして東海道伝馬通りへ戻り先を
急ぐ。
1号線を渡り、JR東海道線をくぐって曲金観音でウォーキング
中の女性グループと出会う、ここは時間が気になるので声をか
けなかった。
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そのまま直進、東海道とは少し離れるが真新しいJR東静岡駅へ
ゴール、約24000歩。
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余裕を持って新幹線に乗って東京での予定も楽しく過ごすこと
ができた。
・・理解不足のため日記の内容や、人名、地名等の固有名詞に
つきまして誤記や不明確な表現があるかもしれません。
失礼があればお許しください。