今年もまた「敬老の集い」の案内がきている
いつからもらっているのか?65歳からかな?
行ったことも行くつもりもないので定かではない
当日、はがきを持っていくと引き換えに参加記念品が
もらえると記されている
他に集いの内容は何も書かれていないのでもしかして
時間内に記念品をもらいに行くだけなのだろうか?

毎年、この時期になるとこのブログに同じようなことを
書いているような気がするのだが
記念品がほしい人がどれだけいるのだろうか
わざわざそのために行く人はそんなにいないだろう
それよりも
長生きしてよかった!
長生きすればいいことがある!
あの人みたいになりたい!
そんな出会いや気にさせてくれることがあるなら
記念品なんかもらわなくても行くけどなあ・・
それこそ「百歳万歳」に出るような人と会えるなら
よろこんで行く!
お世話をしている人たちのご苦労や気持ちはありがたいし
それはそれとして感謝しなければならない
ただ、はがきを持って記念品をもらいに行くというイメージに
抵抗感があって毎年、せっかくのお誘いも受けないままに
もしかしたら記念品は無駄になっているのかもしれない
いま「敬老」という二文字は死語になっていないだろうか?
車内の優先座席はお譲さん達の携帯電話&お化粧室みたい
になっていてお年寄りが前に立とうがおかまいなし
お年寄りを敬う気持を感ずる場面に遭遇することはないなあ
もちろんすべての人がそうであるというのではない。
楽しい「敬老の集い」について前からいい企画を持っていて
もし自分がお世話役なら即、実行するんだけど・・・
別に敬老の集いにこだわるわけではないが
いつの日か、やって見たいと思っている!
今日は神戸検定の心準備のためにぶらり歩きをしてくる
つもりで家を出たのだが高温の予感がしたので自重した
そういえば1年前の今日9月5日は東海道五十三次ウォークで
三島から箱根峠を登って元箱根まで歩いた日だ
いまの時間は芦の湖の夕陽をみていたなあ
http://www.human-dy.com/tokaido-25.21.09.06.html (HP)
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/d/20090906(ブログ)
そして翌日、箱根峠を下りて小田原まで歩いた
あの日も暑かったが今年はどうだろうか・・・
この間のことのように記憶も鮮明に残っている
箱根峠はまた歩いてみたい特別な思いのある道だ。
いつからもらっているのか?65歳からかな?
行ったことも行くつもりもないので定かではない
当日、はがきを持っていくと引き換えに参加記念品が
もらえると記されている
他に集いの内容は何も書かれていないのでもしかして
時間内に記念品をもらいに行くだけなのだろうか?

毎年、この時期になるとこのブログに同じようなことを
書いているような気がするのだが
記念品がほしい人がどれだけいるのだろうか
わざわざそのために行く人はそんなにいないだろう
それよりも
長生きしてよかった!
長生きすればいいことがある!
あの人みたいになりたい!
そんな出会いや気にさせてくれることがあるなら
記念品なんかもらわなくても行くけどなあ・・
それこそ「百歳万歳」に出るような人と会えるなら
よろこんで行く!
お世話をしている人たちのご苦労や気持ちはありがたいし
それはそれとして感謝しなければならない
ただ、はがきを持って記念品をもらいに行くというイメージに
抵抗感があって毎年、せっかくのお誘いも受けないままに
もしかしたら記念品は無駄になっているのかもしれない
いま「敬老」という二文字は死語になっていないだろうか?
車内の優先座席はお譲さん達の携帯電話&お化粧室みたい
になっていてお年寄りが前に立とうがおかまいなし
お年寄りを敬う気持を感ずる場面に遭遇することはないなあ
もちろんすべての人がそうであるというのではない。
楽しい「敬老の集い」について前からいい企画を持っていて
もし自分がお世話役なら即、実行するんだけど・・・
別に敬老の集いにこだわるわけではないが
いつの日か、やって見たいと思っている!
今日は神戸検定の心準備のためにぶらり歩きをしてくる
つもりで家を出たのだが高温の予感がしたので自重した
そういえば1年前の今日9月5日は東海道五十三次ウォークで
三島から箱根峠を登って元箱根まで歩いた日だ
いまの時間は芦の湖の夕陽をみていたなあ
http://www.human-dy.com/tokaido-25.21.09.06.html (HP)
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/d/20090906(ブログ)
そして翌日、箱根峠を下りて小田原まで歩いた
あの日も暑かったが今年はどうだろうか・・・
この間のことのように記憶も鮮明に残っている
箱根峠はまた歩いてみたい特別な思いのある道だ。