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東海道五十三次ウォーキング⑳(丸子宿→府中宿)

2009-02-10 13:46:11 | 東海道五十三次
7日の土曜日、急用で上京することになった、東京での約束
時間が16時なので、それに間に合うように静岡で途中下車、
前回の丸子宿から府中宿まで歩くことにした。

早朝の新幹線で新大阪をたち、名古屋でのぞみからひかりに
乗り換え静岡駅へ、バスの待ち時間が長くて丸子宿の西の入
り口、前回ゴールの丸子橋へタクシーで移動。


途中、安倍川にかかる安倍川橋で運転手さんが背中に富士山
が見えると教えてくれたので振り返る、雪をかぶった富士山
の迫りくるような迫力にびっくり、この安倍川橋を今日渡れ
る、わくわくする。

今日のスタートは、前回ゴールの丸子橋、ここは丸子宿の西
の入口になる。橋の上から前回歩いてきた宇津の谷の峠を振
り返る、あの峠を越えてきたのだ。




スタートの丸子橋の目の前にあるとろろ汁でおなじみの丁子
屋は梅がちらほら咲いてほのかな香りが春の訪れを告げてい
るようだった。



丁子屋の梅の木の横にある芭蕉句碑 
 "梅わかな丸子の宿とろろ汁"
東海道の道中には梅の花が咲き、宿の食膳には若菜が出され、
丸子の宿では名物のとろろ汁を召し上がったりしてよい旅を
してくださいという意。


あたりを散策していると後ろから30代後半くらいの男性に
声をかけられた、東京からマラソンで五十三次を走って京都
へ向かっているという、すごい、しばし東海道談義をして別
れた。

穏やかな早春の日差しを背に受けて走って行く男性の姿を見
送ってこちらもスタート、午前9時半今日の予定は午後2時
まで、3時前の新幹線には乗りたい。

車の通行量の多い道を日差しに向かって歩く、丸子本陣跡は
道路脇に石碑が立っているだけ、宿場の名残はまったくない。



埋もれかけた丸子一里塚も気をつけないと見過ごしてしまうよ
うに道路脇にひっそりと立っていた。


佐渡の交差点で1号線へ合流、両側にお寺の続く道を富士山の
見える安倍川橋を目指して元気よくすすむ、寒さはまったく気
にならなくて手袋も外した。


安倍川橋が見えてきた、自然と早足になる、富士山が待って
くれている・・・・と信じて。


緩やかな坂道を上って橋のふもとまで行くと目の前に富士山
が・・


?あれ

見えない!

富士山がいない!

おかしい?

どこへ行った?!

なんでやねん!!


快晴、真っ青な空

ただ、富士山の方向だけ雲に覆われていた・・・

・・・あ、がっかり!



気を取り直して安倍川にかかる安倍川橋を渡る、これまで渡っ
てきた天竜川や大井川と川幅を比べれば半分にも満たない
安倍川だが、それでも大きな川だ。


この正面に見えるはず・・・


渡り終えると安倍川義夫の碑をはさんで名物の安倍川餅の
店が2軒、手前の一軒でおやつに買うことにした、注文し
てつくってくれるので時間がかかる。今でもこの安倍川餅
は名物として人気があるらしい、東海道を行き来していた
昔の旅人は、ここまでくると安倍川餅を食べながら冨士を
眺め一息ついていたのだろうなあ・・・弥治さん、喜多さ
んもきっとそうだろう。


安倍川義夫の碑には、ほのぼのとした物語があるようで、
旅人の落とした小判の入った財布を拾った川越し人足が、
落した旅人を追いかけて渡し、礼金も固辞、その人足を
正直者として讃えた碑らしい。旅人の故郷だった和歌山
県と静岡県の有志が立てた碑ということだ。


すぐ近くの弥勒公園に行ってさっそくオヤツに3個食べ
た、おいしい、旅人気分も味わった。
こしあん、つぶあん二個ずつ+きなこに白砂糖をまぶした
餅4個の計8個豪華なおやつ。


公園内には、由井正雪の大きな碑が立っていた、由井正雪
はこれからすすむ由比の生まれで三代将軍家光没後に反乱
をおこそうとして失敗、自殺した歴史上の人物だ、碑の大
きさから地元では尊ばれているのだろう。
この場所に碑があるのは、当時、この安部川河原に処刑場
があって由井正雪と一族が河原で晒し首になっていたから
だそうだ。


この弥勒公園あたりが府中宿の西の入り口(出口)だったら
しい。


公園の入口角に安倍川川会所跡の説明板が立てられている、
川会所とは、当時の安倍川は徒歩渡しがおこなわれていて、
その川越し人足に指示を出したり賃銭の取り扱いをする役人
がいたところ。

安倍川川会所跡から一筋東海道を外れた府中一里塚を尋ね、
訪ねて歩いてやっと発見した。


古い街並みの新通りをすすみ、右折して人宿通りへ入り、
今度は左折して七間通りに向かう、曲がり曲がりの道は
わかりづらくて、確かめながら歩くので時間がかかる、
七間通りには映画館が続き人通りも多くなる、どうやら
静岡の歓楽街のようだ。

さらに札の辻の石碑を目印にすすむ、小学生高学年くら
いの女の子とお母さんが石碑の文字を声を出して読んで
いるのに遭遇、話しかけると地元にいながらこれまで碑
に気がつかなかったと言っていた。
ここには高札があったところらしい、高札とは、幕府の
法令を掲示するところで町奉行所が設置していた。


人通りの多い呉服町へすすむ、この通りは東海道の宿場
のモニュメントが立てられていてそれに沿って歩く、江
川町通りに出てさらにすすむ、このあたりが静岡の中心
地らしい、ビルが続く、そのビルの前の一角に西郷・山
岡会見史跡のモニュメントがあったが、これを発見する
のにも道を行ったり来たり、恥ずかしいくらいうろうろ
した。


西郷・山岡会見史跡について、1868年(慶応4年)幕府を平
定するために駿府まで軍をすすめた西郷隆盛のもとへ勝海舟か
らの手紙を携え山岡鉄舟が乗り込んできた、この会見は松崎屋
弥兵衛宅で行われ、勝・西郷の江戸城無血開城を話し合った、
鉄舟は徳川慶喜の身柄につき西郷に善処を約束させた。
この話し合いによって明治政府が樹立されたというから歴史を
作った場所といってよい。

次の交差点が伝馬町、伝馬通りになる、東海道はこの伝馬通り
を進むが、せっかく静岡に来たのだから家康公に会わずに素通
りはできないと、東海道から離れて駿府城跡へ向かう。


官庁街の従えるように広がる駿府城跡は広く、いまはお堀の他、
巽櫓が再興され、きれいに整備された公園は静岡の人の憩いの
場になっているのだろうと思った。



駿府城は今川氏に始まり義元が城下町として整備したが、家康
は竹千代時代に1549年(天文18年)から12年も人質とし
てこの城で過ごした、桶狭間の戦いで今川義元が敗死して解放
され岡崎城へ戻った。

天下統一を果たした後、再びこの城を居城として好きな鷹狩りな
どで過ごしていたが、1616年(元和2年)この城で亡くなった。

早咲きの桜も咲き始めている公園の一角、本丸跡に徳川家康公
の大きな銅像が立っていた、ここまで岡崎城、浜松城、そして
駿府城と家康公ゆかりの城で家康公に会ってきたが、それぞれ
の地で天に向かって立つ姿はいかにも天下人らしく雄々しくて
人々の誇りなのだ
ろう。



城跡をのんびり歩きまわっておやつ代わりに買った安倍川餅を
全部食べてしまった・・・結局、昼食代わりになってしまった。

お堀周辺の「家康公の散歩道」にある弥次さん喜多さんの像。


午後2時には静岡駅に戻りたいのでゴールは、静岡駅のひとつ
東にある東静岡駅にすることにして東海道伝馬通りへ戻り先を
急ぐ。

1号線を渡り、JR東海道線をくぐって曲金観音でウォーキング
中の女性グループと出会う、ここは時間が気になるので声をか
けなかった。


そのまま直進、東海道とは少し離れるが真新しいJR東静岡駅へ
ゴール、約24000歩。


余裕を持って新幹線に乗って東京での予定も楽しく過ごすこと
ができた。

・・理解不足のため日記の内容や、人名、地名等の固有名詞に
つきまして誤記や不明確な表現があるかもしれません。
失礼があればお許しください。

古寺巡礼ウォーク(2-2)鎌倉五山-浄妙寺・建長寺

2009-02-09 22:46:22 | 古寺巡礼
古寺巡礼(第2回-2)鎌倉五山-⑥浄妙寺⑦建長寺古寺巡礼・鎌倉五山巡りの後半コースへ

五山の第五位は、浄妙寺。ここに行く途中にある宝戒寺へ寄ってみた
ここは鎌倉で最大級の枝垂れ梅が有名と聞いていたので訪れて納得。


こんもりと小山を連想させるような見事な白梅、ここまで歩いてきてまだ冬枯れの鎌倉を彩っているのが梅であると感じていたが、宝戒寺の梅はお見事すぎる、人も多かった。




萩寺といわれるらしいので萩もきれいなんだろう。北条一族の鎮魂の目的で1335年(建武2年)に足利尊氏が建立されている。

ここから浄妙寺へは距離がありバスも考えたが、やっぱり巡礼は歩くこと、まがりくねった金沢街道の狭い歩道をどんどんすすむ。浄妙寺のバス停から左へ入って行くと山間に佇むように鎌倉五山五位の浄妙寺についた。


他の五山が北条氏と関係が深い中で、浄妙寺だけは足利氏と関係のある寺で1188年(文治4年)足利義兼が建てた真言宗が前身、その後に臨済宗に改宗、足利氏の保護のもとに発展したという。
この寺も重なる火災で衰退、いまの銅葺きの屋根の本堂が往時をしのばせている、参道の梅と白砂と本堂が背景の山に静かにおさまっていてとても雰囲気のあるお寺だった。




すぐ近くにある報国寺へ寄りたかったが時間がなくてパス、残念。
次は、鶴岡八幡宮から建長寺へ、その途中、寄りたかった鎌倉宮もパス、源頼朝の墓所へは寄ってみた。


鶴岡八幡宮も大勢の人が訪れていた、ここも二度め、SNSのおせつさんが紹介していた国宝のいちょうも、いまは冬の装い、舞殿で結婚式に遭遇、野次馬になってしばし見物させてもらった。




15時50分、八幡宮から建長寺へ
息子が幼稚園の頃から、京都・奈良の史跡を一緒に歩いたころのことをなつかしく思い出しながら今日最後の親子ウォーキング、建長寺を目指して鎌倉街道の狭い道を後ろ前に並んで歩く、あの頃は、朱印帳を持ち歩いていたのが息子、いまはその息子に連れられてご朱印を楽しみに集めるおやじ。二度めの建長寺の門前へ、なつかしい。


総門を入ると三門がそびえ立つ、そこから仏殿、法堂と建物が縦一列に並ぶ様は、鎌倉五山第一位の寺格を示している、臨済宗建長寺派の大本山だ。
鎌倉幕府五代執権北条時頼が1253年(建長5年)に建立したわが国最初の禅寺で本格的な禅の修行の場として発展した。中国の建物を模した禅宗様式は、のちにわが国の禅宗寺院建築に大きな影響を与えているそうだ。





鎌倉幕府が滅んだ後も、足利幕府によって保護され、現在も各地に400寺以上の末寺をもっている。

ラッキーだったのは法堂が特別公開中で普段見ることができない髭面のお釈迦様の像を見ることができた。法堂の天井には、小泉画伯の雲龍図が描かれている。


北鎌倉から新横浜へ、息子が心配したのか新幹線の入口までついてきた、午後8時半に自宅へ戻ることができた。
前日が、東海道53次丸子宿から府中宿まで歩き、今日は鎌倉五山巡り、天気にも恵まれ楽しい思い出に残る二日間を過ごすことができた。

同じ仏教を土台に栄えてきた京都・奈良とはまるで違う雰囲気が漂う鎌倉への関心はますます高まるばかり、機会をつくってまた訪れたい。

最後に「五山」について

「五山」とはインドの五精舎にならって中国で始められた制度で禅宗の保護と統制を目的に、格式の高い5つの寺と定めたもの。禅宗が入ってくるまでのお寺、たとえば東大寺、興福寺、延暦寺などの有名寺院は五山に含まれていない。

源氏の後を継いだ北条氏が京都の貴族文化と違った新しい仏教や文化を育てようと禅宗の育成に力を入れたことから鎌倉で五山制度が定められたらしい。室町時代になると京都五山が定められた。

ブログの記載内容は正確さを欠くところがあるかもしれません。鎌倉や仏教に詳しい方、間違いがあればご指摘いただけるとありがたいです。

古寺巡礼ウォーク(2-1)鎌倉五山-円覚寺・浄智寺・寿福寺

2009-02-09 19:36:04 | 古寺巡礼
急用で土曜日の午後に上京(静岡に途中下車、東海道五十三次の一宿場間ウォーク)東京で一泊して日曜日、古寺巡礼ウォークに息子と鎌倉五山を訪ねた。

本来は、京都五山を予定にしていたのだが、先に鎌倉へ、しかも息子と一緒に一日を過ごせるというめったにないチャンスとあって朝からまるで遠足気分、ホテルに迎えに来てくれる息子を待ちきれなくてロビーでうろうろ。

10時半、スタートの北鎌倉駅を下車、駅のすぐそばにある鎌倉五山の円覚寺へ
駅から円覚寺への道は大変な人、やっと憧れの円覚寺を訪れた嬉しさと息子と一緒で付いて歩けばいいという気楽さでるんるん、きのうの東海道ウォークと夜の痛飲とでいささか疲れ気味だった気分もふっとんでしまった。

円覚寺は鎌倉五山第二位の格式をもつ寺で、鎌倉幕府八代執権・北条時宗が1282(弘安5年)に創建した臨済宗・円覚寺派総本山。
文永・弘安の役で蒙古の大軍を撃破した時宗が、両軍戦死者の菩提を弔い、己の精神的支柱となった禅宗を広めたいと願い、中国から招いた無学祖元(仏光国師)を師として日夜参禅に励んだ、その師への報恩の念から無学祖元を開祖に円覚寺を建立したと伝えられている。


階段を上るといきなり目の前にそびえたつ山門に圧倒される、創建当時の建物はたび重なる火災で焼失、再建されているが、寺の奥にある舎利殿は、室町初期の建築で禅宗を代表する建物だそうだ。土曜参禅会の案内が掲示されているのを見て、近くにおれば・・・と残念に思った。




受付で売られていた色紙


ご朱印をいただいて次の浄智寺へ向かう、今日の五山巡り順序は、②円覚寺→④浄智寺→③寿福寺→⑤浄妙寺→(鶴岡八幡宮)→①建長寺の順路、JR北鎌倉駅スタート、ゴールですすむ建長寺を最後にしたのは、数年前に訪れているので時間がなくなればパスすることにした。

円覚寺から鎌倉海道を大勢の人の流れに続いて歩く、途中にある東慶寺へ寄った
東慶寺は、北条時宗夫人覚山尼が開山、明治に至るまで男子禁制の尼寺で、駆入寺または縁切として多くの女人を救済したとか。
咲き始めた梅が狭い参道を華やかにし、西田幾太郎、和辻哲郎、鈴木大拙、小林秀雄、佐佐木信綱・・・等、多くの文人の歌碑が立つ境内は女性の参拝人が目立って多かった。

ロウバイ、白梅、花の寺のよう・・・


東慶寺から次の浄智寺は近く街道からやや奥に入り込むと木々の間に唐風の建物が見えてくる浄智寺は鎌倉五山の第四位、開基は北条時宗の弟・宗政の夫人とその子師時でも宗政の菩提のために1281年(弘安4年)建立されたという。入口には、鎌倉十井のひとつ、甘露の井がある。
この寺の特徴は、唐門風の鐘楼門が印象的で規模は小さいが円覚寺や東慶寺のような人出もなく、静かでのんびりと散策するのにはとてもいい。受付のご婦人が話しかけてくれるほど訪れる人は少なかった。


本尊三世仏、阿弥陀・釈迦・弥勒が安置されている



次の鎌倉五山第三位の寿福寺をめざす、このコースは小さな峠越えがあり、うっかりハイカーにつられて木の根っ子の続くハイキングコースに踏み込んで引き返す羽目になったが、別れ道に標識もなく道も整備されていなかったので五山巡りの順路
ではなかったのかもしれない。春のような陽気に峠歩きで暑い、JRの路線わきに戻り鎌倉駅方向にすすむと寿福寺に着く。
ここは人通りの多い道路脇にあるので便利でわかりやすい寺だが、街道は人の列が続いているのに寿福寺を訪れる人は少なく、みかけたのは女性グループの四人だけ。正門から続く長い参道には誰もいなくて騒々しい通りから一歩入っただけなのに驚くほどの静けさだった。寿福寺は、源頼朝の夫人政子が、夫の源頼朝を供養するために1200年(正治2年)に建立されたが、大火でほとんどが焼失、北条政子と源頼朝の供養塔が立つ、拝観はできない。受付場所もなくご朱印はインターホンでお願いした。



JRの踏切を渡り鶴岡八幡宮前の賑やかな通りを人ごみに紛れるようにぶらぶら、そばやさんに入って昼食、休憩。時間はすでに午後1時半。
後半は、→(鶴岡八幡宮)→①建長寺の順路でJR北鎌倉駅へ。

(2-2)へ続く

ドクターイエロー。

2009-02-06 22:19:06 | 電車・鉄道
春がきたかのような暖かい日が今日も続いた

資料作成の合間にコーヒーを飲みながら何気なく外を見ていると
黄色い新幹線が入ってきた

ドクターイエローの愛称で親しまれている東海道・山陽新幹線を
走っている正式名称・新幹線電気軌道総合試験車だ


新幹線の線路のゆがみ具合や架線の状態、信号電流の状況などを
検測しながら走行し、新幹線の軌道・電気設備・信号設備を検査
するための事業用の車両で、検測結果は、新幹線情報管理システム
にデータを送り、トラブルの未然防止などでドクターイエローは
重要な役目を持っている

黄色の車体は一般の車両と間違わないよう(乗車しないよう)に塗ら
れているのだと思う

この車両、新幹線の時刻表にはもちろん乗せられていないし
車両が短いので、よくみかけるのだがいつも見逃しばかりで
撮影に成功したことはなかった

今日はたまたまデジカメがそばにあったのでこの通り撮れた

まるで春を運んできてくれたような気がした。



内蔵脂肪、ナイトウォーキング復活!

2009-02-05 20:40:49 | 健康
夕べ、ナイトウォーキングの途中で公園の街灯のそばにある
梅が咲いているのを発見

このところの暖かさで梅の開花も早いのかもしれないが
立春、自然界はもう春がそこまでやってきている

この様子だと桜も早いのかもしれない
自分の古希の誕生日も桜とともにまもなくやってくる

久しぶりにヘルスメーターにのり数値をチェックして気に
なることを発見した

内蔵脂肪がいつのまにか増えている、まずい!
体脂肪は昔からまったく問題がなかったので内側のことまでは
あまり気にもしていなかった

ほっておいて内蔵脂肪肥満になると様々な生活習慣病の元になる
と聞いているので気にならない数値にまで下げたい

対策は食事や運動が直接的でいいが
やったかどうかがチェックでき、楽しく取り組めることで
好きなナイトウォーキングを再開することにした

ここ数年は人通りのない夜の道を歩くことの危険性を考えて
積極的にやっていなかったナイトウォーキングだが
ここはやらないわけにはいかない

続けるための仕組みとして(ルール)
「体重」と「体脂肪」と「内蔵脂肪」をグラフにして変化がわかる
ように記録していくことにして表を用意した


日曜日はウオーキングにでかけることが多いので週6日のうち
3日以上、マイウォーキングコースの中で最短4キロコースを歩く

最近はブログに書くことに追われるようなウォーキングで物足らなさ
を感じていたので反省を込めて本来の健康ウォーキングを楽しみたい

もう実行するだけだ

当面の目標数値まで下がったら道中に最近オープンした焼鳥屋で
ご褒美さんをしたい・・・それが肥満の元?


今日もぽかぽか陽気、仕事場から新幹線N700

立春、丸刈り、春の装い。

2009-02-04 20:43:04 | 輝いて生きる
今日は「立春」
昼間はコートがなくてもいいほど暖かくて
まるで春がきたかのような一日だった

その暖かさにつられて散髪に行ってきた
顔そり、洗髪も含めて15分で完了
もちろんトレードマークの丸刈り

このブログを見てもらっているのに
しばらく会っていない人たちに
元気な姿をみていただこうと
一足早く春の装い
丸刈りでこんにちは!
まもなく69歳、元気です!



老舗同士、買うか買われるか。

2009-02-03 23:19:53 | ひとりごと
百貨店のそごうが本店(心斎橋店)を大丸に売却というニュースが
報じられている

00年に経営破綻、西武と提携して06年に新店舗で再スタート
したそごう本店も結局復活することができないままに心斎橋から
撤退することになる

そごう本店と大丸心斎橋店は隣同士、老舗大丸心斎橋店にとって
は売り場面積の拡大、売上増へのテコ入れにしたいのだろう

社会人としてスタートしたのが心斎橋、地下鉄から地上へ出るの
にいつも両百貨店の間にある地下通路を利用していたので思い出
も深い

百貨店業界の売上比率が前年を10%前後も減少している中で
大阪駅に11年、三越伊勢丹が進出、12年阪急本店建て替え完了、
大丸梅田店、14年に近鉄も増床等で大阪の百貨店競争はますます
厳しい見通しにおかれている

インタビューにそごうの社員が、聞いていないと不安そうに受け
答えしていたが、緊急の経営決断だったのだろう

(1月10日に撮影したそごう本店と大丸心斎橋点)


数日前に、新年早々に春の新人研修の話をいただいていた名門
企業から、会社が合併することになったので・・と断りの連絡
があった

会社も生き残りをかけ、過去のしがらみは捨てて、なりふりかま
わず、昨日の敵が明日の友とそれが珍しいニュースでなくなった

大阪では、パナソニックの三洋統合に続いて、また、おなじみの
会社が消えていく、さびしい限りだ

いつ、どこで、なにが起こっても不思議でない時代
自分のことは自分で守るという覚悟がないと生きていくのが
難しい世の中になった。

一日一生、今日を生き切る。

2009-02-02 18:17:10 | 輝いて生きる
      一日一生
  夢に向かって一日一日を大切に
      太田泰示

宮崎の青島神社にかけられた巨人期待の大型新人太田選手の絵馬が
新聞に紹介されていた

プロ選手として活躍することを夢見て、これから始まる毎日毎日の厳しい
トレーニングを続けて行くにあたっての決意を書いたのだろうと思う

たまたま年末に読んだ比叡山延暦寺の千日回峰行を二度も満行された
天台宗酒井雄哉大阿闍梨の著書「一日一生」のことを思い出した



「あせらず、あわてず、あきらめず、無理をしないで」

「仏さんには、なんもかんもお見通しかもしれないよ」

「大丈夫、明日はまた、新しい人生が生まれてくるから」

こんなことが書かれていた

今日の自分は今日の自分

明日の自分は明日の自分

今日のことは今日でお終いでひきづらない

明日は新しい気持ちで出会えればよい


一歩一歩、一日一日、七年、四万歩も歩き続けて千日回峰を満行された人
の言葉に重みがある、大変な修行も日々の小さな一歩の積み重ねからだ

自分がいまなお現役にこだわっているのは
ずっと持ち続けている「夢」があるから

しかし
その実現に向けて日々近づくことをしているかといえば
必ずしもそうではなく流されて過ごす時間が多いことに気づく
一日一生
改めて思う。

続・ 歳を忘れて過ごした二日間。

2009-02-01 18:57:31 | 仕事
昨日の続き

きのう17時半に終了した若き経営者の卵たちが
自宅に到着するたびに共通の掲示板に無事帰宅したと
書きこんでくれた

一番帰宅が車で鳥取市へ帰ったメンバー、22時前
福島県郡山へ帰ったメンバーは途中の東京駅で一報
新幹線内の弁当と読書のことまでふれていた
自宅へは23時過ぎ
新幹線と車を乗り継いだ島根県のメンバーはぎりぎりの
23時後半・・・
大阪で後泊メンバーを除いて全員がその日のうちに
無事に帰ってくれてほっとした
それを確認して自分も仕事場から自宅へ帰った
一番遅かったのが自分だった

郡山のメンバーは今日も現場で仕事らしい

40代の一人を除いて全員が20代の若者
サラリーマンなら気楽?な年齢だろうが
彼(彼女)らに、この不況下、それは望めない
直面している会社の現実、そこから会社や自分の将来を
どう描いていくことができるのやら
宿命といえ厳しい道が続くことに違いない
痛々しささえ感ずる

コメントをつけることにも神経を遣う
一言も聞き洩らさないようにメモをとっている姿を見ると
まさに真剣勝負

彼(彼女)らの置かれた現場も経営の実態も詳細はわからない
いつも別れた後に自分の口から出た言葉、メモを見て
言葉足らずや、適格性を反省してしまう

コメンテーターで終わってはいけないので
自分も次回に会うまでに報告ができるように
ささやかなことでも課題を持ってチャレンジをする

彼(彼女)らと学ぶチャンスを得ているのだから
それを力にして自分も少しでも成長したい

そのひとつが彼(彼女)らが読んだと紹介した本の中から
何冊かは読みたい

それに定期的に掲示板にメッセージを書き込みを続ける

現在、管理している掲示板が5つ(3つが仕事関係)
仕事優先にしていいメッセージを送り続けたい
あー時間をうまくコントロールしないと

きのうのメンバーN君が、きのう持ち込んできた本の詳細を
連絡してきたのでコピーを↓してみた

11月末から、よくこれだけ読んだものだと感心する

さて、どれを読んでみようか・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

①「大金持ちをランチに誘え」 世界的グルが教える「大量行動の原則」
ダン・S・ケネディ 著  枝廣 淳子訳 1470円

②「究極のセールスレター」"シンプルだけど、一生役に立つ!
お客様の心をわしづかみにするためのバイブル
ダン・S・ケネディ著 1680円

③「究極のマーケティングプラン 」シンプルだけど、一生役に立つ!
お客様をトリコにするためのバイブル ダン・S・ケネディ著 1680円

④「へえ、儲かる会社はこんなことをやっているんだ」小山 政彦著 560円

⑤「儲かる仕組み」をつくりなさい」落ちこぼれ企業が「勝ち残る」ために
 小山 昇 1,365円

⑥「涙の数だけ大きくなれる 木下晴弘著1,365円

⑦「成功と失敗の法則」稲盛和夫/著1050円

⑧「人に好かれる話し方」生島ヒロシ著1500円

⑨「日本でいちばん大切にしたい会社」坂本光司著1470円

⑩東社長より推薦頂いたオススメ本「二世経営者の帝王学」
古賀実 現代書林 1,529円