今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

五百円札発行記念日

2008-04-02 | 記念日
1951(昭和26)年の今日(4月2日)、岩倉具視の肖像の五百円札が初登場した。
この発行開始日が1951(昭和26)年4月2日の日本銀行券B五百円券(支払停止日:昭和46年1月4日)、および、発行開始日が1969(昭和44)年11月1日のC五百円券(支払停止日:平成6年4月1日)に岩倉具視の肖像が採用された。C五百円券は500円硬貨の登場(1982年(昭和57年)後も、1985年(昭和60年)まで製造されていた。B五百円券、C五百円券は、もう既に支払いが停止されているが使用は、今でも有効である。
 先にB五百円券とかC五百円券とか言っているが、五百円券とか千円券とかの「券名」の最初の文字は発行された時期によって紙幣を分類する記号で、A券、B券等と呼ばれる。概ね、昭和初期までは「甲乙丙丁」、戦時中は「いろ」、戦後はアルファベット「ABCDE」であり、A券は1946(昭和21)年3月以前に発行されていた。
失効したものを除き日本国の法定通貨である日本銀行券とは、日本銀行が発行するもしくは発行していた紙幣である。現在発行中の日本銀行券は、独立行政法人・国立印刷局によって製造され、日本銀行 に納入されている。納入価格は明らかにされていないが、券1枚あたり数十円程度といわれているそうだ。日本銀行は日本銀行法を根拠に、それらを発行し(市中に払い出し)通貨として流通させている。
現在、日本の法定通貨には、この日本銀行が発行する日本銀行券とその補助貨幣である、造幣局が製造し国が発行する硬貨がある。従って、日本銀行の五百円券の代わりに発行された500円硬貨は造幣局が製造した補助貨幣と言うことになり、補助貨幣は銀行券や本位貨幣のような主たる貨幣に対する補助的に使う、おもに小額決済のために発行されたものである。銀行券などと共に法定通貨とされることが通常だが、法定通貨としての強制力においては、一回の決済での総額面や使用枚数に制限があることが多い。日本円では、法定通貨としての強制力を有するのは、一回の決済につき、同一額面の貨幣それぞれについて20枚までと言うことになっている。(以下参考に記載の「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」第7条 参照)従って、500円札なら一度に何枚でも使用できるが、500円硬貨なら20枚の1万円までしか原則的には使用できないことになっているのである。
日本銀行の目的は、日本銀行法第1条により、「日本の中央銀行として、・銀行券を発行すること ・物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること ・決済システムの円滑かつ安定的な運行を確保し、金融システムの安定に資すること 」としている。ただ、現在、日本では、”今、衆・参両議院のねじれ現象から、アメリカのサブプライムローン問題の影響により、円高ドル安・株価の下落・石油はじめ麦価ほか諸物価が値上がりし、景気が低迷するなど、日本経済が大変な時期を迎えているのにもかかわらず、中央銀行である・日銀総裁が不在などと言う状況であり、英エコノミスト誌は「JAPAiN」と題する日本特集を掲載、日本政治が馬鹿にされている・・ことは、このブログの3月22日小説家・城山 三郎の忌日でも書いたばかりである。・・・情けない話である。
話は元に戻るが、日本銀行券の肖像などの様式は、日本銀行法第47条②に財務大臣が定め、公示する旨が定められており、例えば、1984(昭和59)年に発行された銀行券(一万円券五千円券千円券)の肖像選定に当たっては、・ 実在の人物で業績があり、知名度が高いこと、・ 史実考証面で明確な写真や肖像画があること、・ 芸術家や文化人の採用が近年における世界的潮流となっていること、・ 国際性があること、・ これら3券種は同時改刷であったため、3券種統一テーマで選ぶこと、などが考慮され、最終的には国立印刷局(旧財務省)のデザイン・彫刻の専門家の意見もあって、福沢諭吉、 新渡戸稲造、夏目漱石という明治以降の文化人トリオに決定したという。なお、12年7月19日から発行された二千円券には、表面に守礼門が、裏面に源氏物語絵巻紫式部が描かれているが、図柄の選定に当たっては、故小渕恵三元総理大臣が大蔵大臣(当時)と相談のうえ、決めたとのことである。小渕元総理は、 官房長官時代に昭和天皇が崩御。元号変更にあたり、記者会見で「新しい元号は”平成”であります」と平成を公表。新元号の発表は、国民的な注目を集めていたこともあり、小渕は「平成おじさん」として一躍超人気者となった。1998(平成10)年7月30日、第18回参議院議員通常選挙での敗北の責任をとって辞任した橋本龍太郎の後継首相となる。しかし、首相在任中の2000年(平成12年)4月2日に突然脳梗塞を発症し、倒れてから約1か月半を経た同年5月14日死去。この脳梗塞で既に意識を完全に失っていたかもしれないといわれる小渕から内閣官房長官の青木幹雄首相臨時代理に就任したとして後任の森喜朗総裁を誕生させたことには、深い「疑惑」があり、不透明さと併せて、「五人組による密室談合政治」と大々的に批判される原因となっている。
又、話は、5五百円札の肖像となった岩倉具視のことに戻るが、岩倉は、前権中納言堀河康親の次男として京都に生まれ、岩倉具慶の養子となる(以下参考に記載の「江戸大名公卿net・岩倉家 」参照)。関白・鷹司政通の門流となり、朝廷改革の意見書を提出した。1854(安政元)年に孝明天皇の侍従となる。1858(安政5)年に老中・堀田正睦日米修好通商条約の勅許を得るため上京した時に、反対派の中山忠能等公家と阻止をはかる。(「廷臣八十八卿列参事件」)。1860(安政7)年に桜田門外の変井伊直弼が暗殺された後、1862(文久2)年公武合体派として和宮降嫁(皇室から降嫁、徳川家茂と婚儀)を推進。「四奸」(よんかん=内大臣久我建通、左近衛権中将岩倉具視、左近衛権少将千種有文、中務大輔富小路敬直〔ひろなお〕)の1人として尊皇攘夷派から非難され、1867(慶応3)年まで幽居される。幽居中も意見書を書いて朝廷や薩摩藩の同志に送るなどの活動を続け、この間に薩摩藩の動向に呼応する形で倒幕派へと路線を変更。1866(慶応2)年の徳川家茂の死を機会に朝廷の名において列藩召集を行なおうとするが失敗、1868(慶応4)年1月3日(慶応3年12月9日)には大久保利通らと王政復古の大号令と徳川慶喜の領地と官位を取上げ、無禄の平民にする辞官納地(官職を辞職させ、領地を返納させる)発令を実現し、天皇親政(天皇を中心とした中央集権制)実現へのスタートを切ったが、明治政府誕生後間もなくして形骸化した。新政府においては、参与、議定、大納言、右大臣等をつとめる。1871(明治4)年特命全権大使として長州藩・木戸孝允らを率いて岩倉使節団を組織し、欧米を視察。憲法制定の方針を確定し、また皇族、華族の保護に力を注いだ。
ただ、孝明天皇の死の際には毒殺説が流れ、首謀者として疑われた。一説には、自分が成り上がろうとして孝明天皇を暗殺し、幼く操縦しやすいと思われる明治天皇を早く即位させ利用したという説もあるが、当然これを否定する説もあり其の真実は不明。
彼は幕府の衰亡を予感すると、公武合体策をあっさりと捨て、薩摩と接近するようになる。最初は条約勅許に公然と反対し、次には和宮の徳川家降嫁を推進して幕府との宥和を図り、幕府がだめとみると、討幕派に加担するなど、その変わり身の早さには驚かされるが、彼の目的である朝廷の復権を実現するための現実的な選択と言うことかもしれないが、犯人としては、岩倉具視が、最も有力視されている。実行犯としては、孝明天皇の妾で、岩倉具視の姉(異母姉)堀河紀子(岩倉らとともに「四奸二嬪」と呼ばれた「二嬪」のうちの1人)と言われている。岩倉具視の孫で、16歳になっていた具定(ともさだ)も、孝明天皇の近侍だったので、下手人の可能性はある。明治天皇の母は権大納言中山忠能の娘・慶子(よしこ)であるが、中山忠能は岩倉具視らと廷臣八十八卿列参事件を起こした中心人物でもある。
政治の政界は恐いね~。昔から、「政治」的に解決するなどいった使い方がされるが、このような場合の「政治」は碌な事を言わないからね~。いずれにしても、岩倉は明治維新の一大革命劇には必須の人物であり、公家のなかでは特異な存在であったことは確かだ。「五百円札発行記念日」に、その肖像画となっている岩倉具視のことをもっと詳しく勉強してみるのも面白いのでは・・・。
(画像は、五百円券。肖像:岩倉具視。発行開始日:昭和26.4.2。日本銀行HPより)
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五百円札発行記念日:参考

2008-04-02 | 記念日
参考:
日本銀行券- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%8A%80%E8%A1%8C%E5%88%B8
岩倉具視- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E5%80%89%E5%85%B7%E8%A6%96
日本銀行ホームページ
http://www.boj.or.jp/type/list/yuko/data/5hyaku.htm
通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律(昭和62年6月1日法律第42号)
http://www.lawdata.org/law/htmldata/S62/S62HO042.html
討幕密勅中止御沙汰
http://www2.odn.ne.jp/kasumi-so/bakumatu/jiken/michochusi.htm
小渕恵三 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B8%95%E6%81%B5%E4%B8%89
小渕無能論のウソ
http://homepage3.nifty.com/nskk/kenkyu004.htm
二千円日本銀行券の発行について
http://www.mof.go.jp/jouhou/sonota/so009.htm
2000円札パラダイス
http://starsh2000.fc2web.com/
江戸大名公卿net・岩倉家
http://www1.parkcity.ne.jp/sito/k107.html
江戸と座敷鷹/ 天皇公卿の制度と事件■尊号事件
http://www.0105.jp/~mizuki/tennoukughounoseido6.html
江戸と座敷鷹 /天皇公卿の制度と事件■戊午(ぼご)の密勅事件
http://www.0105.jp/~mizuki/tennoukughounoseido6.html
京都大学附属図書館 維新資料画像データベース/二九 三〇 岩倉公隱棲の趾
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/ishin/kanren/doc/kaisetsu/KIS29.html
京都大学附属図書館 維新資料画像データベース/資料 #0108200の参考引用文献
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/ishin/kanren/doc/kaisetsu/0108200-1.html
何でも質問箱FAQ
http://www2.dokidoki.ne.jp/quwatoro/faq2/faq2.cgi?action=answer&no=38
なるほど幕末・文久2年← テーマ別「今日」文久3年 →元治元年
http://bakumatu.727.net/kyou/theme-b3.htm
后妃伝 ・孝明天皇后妃
http://homepage2.nifty.com/hpsuiren/koukyu/edo/koumei.htm